独立門(どくりつもん)は、大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の西大門独立公園())内にある門。1896年11月21日定礎、1897年11月20日完成。徐載弼の案をもとにロシア人建築家のアファナシー・イバノビッチ・セレディン=サバチン()が設計施工した。扁額は李完用の作品である。高さ14.28m、幅11.48m。約1,850個の御影石から作られている。フランスパリのエトワール凱旋門を模して作られた。史跡第32号(1963年1月21日指定)。1979年に整備事業により本来の位置から北西に70m移動された。日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせた。これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に建設された。また、迎恩門に隣接して建てられた慕華館(모화관)は独立館(독립관)と改名された。建設には、朝鮮の開化派の独立協会が中心となり、募金を募り建てている。勅命によって独立協会が解散されたのち、独立館は一進会の演説会場となり、聴衆が増えて独立館が手狭となったため、その北側に八角堂が建設された。清からの独立を記念したものであるが、韓国では独立門建設の歴史背景が正しく教えられておらず、そのために独立門はしばしば「日本からの独立」を記念する門であると誤解されているというp87-p89。。骨の髄まで中国文化に染まっていた朝鮮人は漢人の明が滅ぼされ、女真族が清を建国したとき、「野蛮人には従えない」と清への服属を拒否し、それに激怒した清は朝鮮に軍を派遣し、朝鮮王仁祖に、清皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と三跪九叩頭の礼を強制して服属させた。日本が日清戦争に勝利したことにより、下関条約で朝鮮の独立が認められ、屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって三跪九叩頭の礼をさせられていた漢城に独立門を建てたのであり、中国からの独立を記念して建てられたことを朝鮮人も意識していたことが分かる。しかし、「有史以来、朝鮮の国は独立国家であった」とデタラメが学校で教えられている韓国の若い世代はこのことを知らずに、「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、韓国の若者は「日本からに決まっているだろう」と答える。しかし、「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。韓国併合は1910年だし、光復は1945年であり、それ以前の話なんだよ」と言うと、韓国の若者は絶句して思考停止するという。2009年10月28日、周囲を整備して独立公園としてリニューアルオープン。ひとつの公園にしたことにより西大門刑務所歴史館の施設などと関連性を高め、従来より訪れやすい環境を作った。
出典:wikipedia
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