右翼(うよく、英:right-wing, rightist, the Right)とは、政治においては「より安定した社会を目指すための社会制度を支持する層」を指すとされ、一般に、社会秩序や社会的成層への支持を表すために使われる。保守、愛国心、国粋主義的な思想を含むとされる。類義語には「保守」や「守旧」など、対義語には「左翼」や「革新」などがある。「左翼」も「右翼」も相対的な用語であり、何を「左翼」や「右翼」と呼ぶかは時代・国・視点などによって変化する。また「右翼」と呼ばれる思想・運動にも多種多様な主義主張が含まれる。更にレッテル貼り的に使われる場合も多い。「右翼」と「左翼」の語はフランス革命の間に作り出された。「右翼」は、国民議会で旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めた事に由来する。「右翼」は社会主義と対立する保守主義・反動主義を日本では指した。また、「左派」が共産主義や社会主義をめざす勢力を指すのに対して、右翼は、左派勢力に反対して自由市場の資本主義を擁護する勢力(リバタリアニズムや新自由主義など)や、国家主義・民族主義・国粋主義を支持する勢力を指す。序文でも触れたとおり、歴史的には、「右翼」と「左翼」の語はフランス革命の間に作り出された。「右翼」は、国民議会で旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めた事に由来する。この右翼という語は、超王党派による1815年のフランス王政復活の後、よく使われるようになった。右翼とは、一般に、自国や自民族が持っている元来の文化、伝統、風習、思想等を重視した政治思想をよぶため、国や時代や立場によっても右翼と左翼の位置付けは異なり、一概に「右翼」と言っても多種多様な主義主張がある。例えば共和主義や自由主義は、フランス革命後の議会では王党派との対比で「左翼」と呼ばれたが、19世紀後半からは社会主義との対比で「右翼」と呼ばれる事が多い。世界の「右翼」にほぼ共通するイデオロギーや精神的傾向を丸山眞男は、国家的忠誠・反戦平和運動に対する反感などを10項目にわたって挙げている。なお日本の国会では議員の座席は議長が定めるが(衆議院規則第14条第1項、参議院規則第14 条第1項)、席順は慣例上、会派の所属議員数により、衆議院では議長から見て右側から左側に向かって大会派順に、参議院では議席の中央を大会派、左右に小会派が位置している。イギリス、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの欧米資本主義諸国では、二大政党制の下、それぞれの党が保守派と革新派とで明確に分かれており、これらは右翼・左翼と区別して認識されている。ただし、アメリカはマッカーシズムや赤狩りといった反共主義の政策により左翼と見られることを忌避する傾向が強いため(非常に小さい勢力ながら「アメリカ共産党」が存在する)、革新派はリベラルと名乗る場合が多い。右翼の強硬派または急進派、過激派は「極右」と呼ばれる。イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、などの思想が挙げられる場合が多い。ただしこれらは思想潮流的には国家社会主義や、アナキズムの影響が強く、伝統的な保守派や右翼とは相違点も多い。。第二次世界大戦後はネオナチなどの極端な自民族優越主義や、少数民族や移民や外国人労働者に対する排外主義などを指す場合が多い。また欧米ではプアホワイト(白人の低所得者層)によるヘイトクライム(人種、宗教などに対する偏見が原因で起こる暴行など)が問題となることもある。日本の右翼思想の源流は、江戸時代後期の国学者の一部が標榜した国粋主義や皇国史観などが挙げられる。明治時代以降の代表的な右翼団体には大アジア主義を掲げた玄洋社、対露主戦論や日韓合邦論を主張した黒龍会、また天皇親政を掲げた昭和維新運動などがある。戦前の日本からの保守・右翼は戦後GHQにより公職追放を受けた。しかし、朝鮮戦争の発生に伴い日本を“反共主義と封じ込めの防壁”化するために政策が転換された、いわゆる逆コースに伴い、旧軍人や活動家を中心に「右翼」が復活した。現在の日本における右翼のイメージは、軍歌等を大音量で流しながら黒塗りの街宣車で街宣活動を行う、暴力団系の街宣右翼に代表される。これらの暴力団系の右翼団体を「暴力団の隠れ蓑か営利組織であり本来の右翼ではない」という否定的ニュアンスで「右翼標榜暴力団」「似非(えせ)右翼」と呼称する場合もある。日本で伝統的に差別されてきている在日朝鮮人・在日中国人・部落民などの出自をもつ人がヤクザのなかに多いと Japan Times の Eric Johnston は指摘し、このために排外的・差別的傾向のある右翼とヤクザとは相容れない関係にあると述べた。また近年ではインターネットやマスメディアによって"街宣右翼は在日韓国・朝鮮人が多く、一般市民に対して、日本国旗や天皇・自衛隊等へ対する嫌悪感を植えつけるのが目的”という主張も見られるようになった。。21世紀になってからはいわゆる行動する保守が出現した。インターネットの活用による宣伝活動。電子掲示板や動画サイトなどで宣伝しシンパサイザーを増やすなどの特徴があげられている。活動内容は、カウンターデモなどによる反対派への直接行動(その際に暴行が見られることもあり、逮捕事例もある)、主に朝鮮民族に対する人種差別的なヘイトスピーチ、韓国の女優などをCMに起用している企業などへの批判及びデモ活動(主にフジテレビ、ロート製薬、花王など。場合によっては威力業務妨害で逮捕者も出たケースもある)、「売国メディア」とみなしたマスメディアへの批判及びデモ活動(主に朝日新聞、TBS、NHKなど)、中国や韓国にて反日デモが発生した際の駐日中国大使館や駐日韓国大使館への抗議デモ、韓国や中国への太極旗の引きちぎりや踏みつけなどの侮辱行為などがあげられる。警察白書では「公安の維持」として左翼勢力に次いで「右翼」の動向を掲載している今日では街宣活動や示威活動を専門に行う右翼がおり、暴力団まがいの活動を行い、あるいは暴力団が政治団体として右翼と称している事例も多い。警察学のなかで語られる右翼は基本的に「民族主義的で排外主義的な主張にもとづく市民活動」であり攻撃対象を執拗につけまわし徘徊し、あるいはテロリズムの元凶として公安警察の監視の対象とされるものである。同様に公安調査庁の情報収集対象にもなっている。2010年より、刑事事件を起こすなど(京都朝鮮学校公園占用抗議事件、徳島県教組業務妨害事件など)行動する保守での活動が過激化したことを受け、2011年(平成23年)度版「内外情勢の回顧と展望」にて、「排外主張を掲げ執拗な糾弾活動を展開する右派系グループ」として紹介され、以後毎年同団体が掲載されるようになった。中国においては、天安門事件以降の社会主義思想に基づいたプロパガンダ教育により、愛国・反日的な風潮を扇動し、学生を中心とした大規模な反日デモや暴動が発生した。「愛国無罪」を主張、日本大使館や日本料理店への襲撃などが特徴としてあげられる。政府もまた、格差拡大など社会問題のガス抜きとして、共産主義に矛盾しない形で愛国(反日)教育を推進している。また中国の一般ネットユーザーは日本のネット右翼と同じ意味の「糞青」という憤青の正反対の意味でも使われている。最近では尖閣諸島(日本・台湾)や南沙諸島(東南アジア)などの領土問題などでさらに活発化している。また2012年9月の反日デモでは、地方と大都市でのやり方が変わってきている。上海では五星紅旗とブラカードを掲げて行進する日本の行動する保守と近い形のものだったが、長沙ではデモ参加者が暴走し、公安との衝突や平和堂での略奪、放火、破壊行為などが見られ一部では日本車やベンツを破壊する人まで続出した。1989年の天安門事件を筆頭に中国共産党に対する反感情が根強く存在し、毎年6月4日と7月1日にはビクトリア広場周辺で大規模な反中デモが行われている。さらに1997年7月1日にイギリス領から中国領へ返還されるとさらに活発化し2013年のデモでは43万人が参加する大規模な抗議デモが発生した。本土派、独立派、民主派で反中、反大陸統一の考えを持つ民進党など「グリーン陣営」を支持する傾向が強くて、「脱中国化、『中華民国は存在しない』、『釣魚台は日本のもの』(親日派のみ)」などを主な傾向とするのは日本の右翼に近いが、対立側の国民党こそ「保守勢力」と視されるため、自国では「右翼」と殆ど扱われない。第二次世界大戦後長らく南北分断による北朝鮮の脅威に対抗するため、反共主義という共通目標から日本の右翼と親しい関係にあった。また1990年代以降は反日親北の強い左翼勢力が拡大し右翼は迫害される一方となった。2000年代にニューライトと呼ばれる新右翼が誕生し、アメリカ、日本寄りの姿勢を強めている。現在は親日派の右翼も存在する一方、愛国主義を過激に持つ排外的な右翼も増え続けている。主に攻撃対象は日本、中国、北朝鮮、台湾である。北朝鮮においては、朝鮮労働党の一党独裁政権(実質的には朝鮮人民軍の軍事政権)下にあるため、言論の自由が全く無く、右翼勢力は存在しない。近年、モンゴルでは極右勢力が極端な反中国・反中国人運動を展開している。「中国人の男性と寝た」との理由で、複数のモンゴル人女性の頭髪を丸刈りにしたり、中国と関係が深かったモンゴル人を殺害する事件も起きている。モンゴル首都のウランバートル市内にはハーケンクロイツのマークとともに「中国人を射殺せよ」とする落書きも多くみられる。代表的な極右団体としては「フフ・モンゴル」などがあり、構成員は数千人とされるが、人口270万人のモンゴルでは相当な人数である。モンゴルでは、3団体が極右団体に指定され、これらの極右団体が掲げる第1の敵は中国であり、経済、文化などあらゆる面で外国の影響を拒絶している。鉱山開発や建設事業で中国の影響力が増したことも、モンゴルの排外的民族主義を強める一因だと指摘する専門家もいる。200年にわたって満州族に支配された歴史をもつモンゴル人の中には、中国マネーがもたらす新たな繁栄への期待よりも、中国の野心に対する警戒心のほうが強いという見方もある。モンゴル科学アカデミー国際研究所のショルフー・ドルジは、「モンゴルに来る外国人、主に中国人の違法行為に対する彼らの自警団的活動は、モンゴル全体の支持を得る可能性がある。それこそ真の脅威だ」と指摘している。ヒンドゥー至上主義者団体が存在する。(ヒンドゥー・ナショナリズムの項目も参照)2008年にはオリッサ州においてキリスト教徒に対する暴動が発生している。2009年には熱狂的なヒンドゥー至上主義者団体が「インドの文化に反する」という理由でバレンタインデーを祝う人々へ襲撃予告を出したことがある。2010年の民政移管後に969運動などの仏教過激派・民族主義団体が目立つようになっている。奴隷制の負の遺産として、白人至上主義が歴史的に存在しており、クー・クラックス・クラン (KKK)、ミリシアなどの団体が公民権運動の成果であるマイノリティー擁護政策や移民増大の反作用として、有色人種をターゲットにし暴行を加えるなど様々な問題も抱える(ヘイトクライム)。近年では同種の主張をする団体は、KKKも含め衰退の一途をたどっているが、保守的な傾向のある地域では上記のような差別思想も根深く残っている。近年の欧州連合 (EU) では、排外主義の政治勢力が右翼または極右というレッテルを貼られることが多い。移民の高い失業率や貧困・犯罪といった問題、多文化主義政策の失敗により、非欧州系やムスリムの移民と在来の住民との摩擦が激しくなり、各国で右翼勢力の存在感が高まっている。なお、イタリアの北部同盟やオランダのフォルタイン党などは反移民を主張することから右翼政党と定義されやすいが、これらの政党は反グローバリズム・地域主義色が強く、国家を地盤とした既存の右翼勢力と同一視する事は適切ではない。欧米においてはファシズムやその傍流を主張する勢力も「戦前への回帰」という点や、その主張が現代の基本的な政治的選択肢から著しく逸脱した主張を行う事から右翼、ないし極右と評価される事が多い。彼らはポスト・ファシズム、或いはネオ・ファシズムと呼称される。ただし、ファシズムはその理論的基礎に社会主義の理念を多分に含んでいるため、従来の保守主義とは異質なものと見なされることも多い。いわゆるネオナチも「ドイツにおけるネオファシズム」と分類される。しかし、ネオナチはナチスが劣等民族と見なしていたスラブ人による東欧・ロシアでの浸透がみられ、本来のナチズムとは別物と見なされることもある。ドイツの右翼は、ネオナチの勢力が最も有名であるが、ナチズムに対して否定的な右翼も多い。ナチス系の右翼にはナチス的だが反ヒトラー派があり、また保守革命の系譜とされる諸派、例えばコンスルなどの流れを引く右翼は反ナチ系の極右である。なお、ネオナチはトルコ等からの移民を攻撃対象にする傾向にある。イタリアにおける新しい右翼思想として、ネオファシズムが勃興している。その影響でベニート・ムッソリーニの再評価も行われた。旧「君主党」など、王政復古つまりサヴォイア家復興を目指す王党派も存在し、両者はしばしば協力するが、完全に一致している訳ではない。国民戦線 (フランス)が近年伸張著しい。同政党は移民、とりわけ旧植民地のアラブ系とアフリカ系黒人の排斥、人工妊娠中絶反対を唱えている。フランスではアクション・フランセーズに代表される王党派右翼が王制廃止後も長く影響力を持ったが、現在ではほとんど消滅してしまっている。イギリス国民戦線が存在し、外国人移民排斥やアイルランド奪取などを訴えている。保守党系列のテロ集団アルスター義勇軍などもある。また近年反ムスリムの極右政党、イギリス国民党(略称:BNP)が支持を伸ばしている。2009年にはイングランド防衛同盟(EDL)という極右組織が活発になってきている。主にイギリスにいるムスリム移民の完全な排斥を最大の目標として掲げている。類似の組織はノルウェーやデンマーク、ベルギーにも存在しており、各国の反イスラーム勢力とインターネットを通じて連携を取り合っている。ネオナチ政党「フラームス・ベラング」(フランデレンの利益)が台頭しつつある。国政においても一定の勢力(議席・支持者)を持つ。1986年、元ナチス将校であったクルト・ヴァルトハイムが大統領となり、欧米で問題視された。1989年連立内閣の一員であったオーストリア自由党党首に親ナチのイェルク・ハイダーを選出して、オーストリアがヨーロッパから孤立しかけた。後に連立解消するが、現在でも自由党および自由党から別れたオーストリア未来同盟は一定の議席を持ち、ケルンテン州では与党になっている。1936-39年のスペイン内戦では、ドイツ・イタリアがファシズムにきわめて親和的なファランヘ党などの反共和国勢力を支持した。また他のヨーロッパ諸国も不干渉を口実に傍観した。共和国政府を倒し勝利したフランコは、第二次大戦においては、枢軸国との距離をおいて中立を宣言し、難局を乗り切った。欧州にあって例外的に1975年まで円満に政権を維持した。ウラジーミル・ジリノフスキー率いるロシア自由民主党が知られている。ソ連崩壊後の急激な資本主義導入により、経済発展から取り残された市民に支持されている。アラスカ返還論、核攻撃論、北方領土非返還論など奇抜かつ過激な論調が却って国民受けしている。また、2000年代に入りプーチン政権下では「強いロシア」が掲げられ反体制派への抑圧や愛国的姿勢(ナーシなど)が目立ち、ソ連時代のような全体主義的傾向への回帰が顕著である。イスラム社会の世俗化、西欧化(≒アメリカニゼーション)に対抗する形で、イスラム原理主義が一定勢力を持っている。またパレスチナ問題の未解決はイスラエル寄りでシオニズムを支持するアメリカ合衆国への不信感を招き、反米の様相を呈す一因となっている。(ハマス、ヒズボラ、ムスリム同胞団、タリバンなど)。近年にはイラク戦争を嚆矢としてこれに対テロ戦争が加わった。イランでは核問題などと絡みアフマディネジャド大統領など強硬的言動を行う政治家が存在する。なお、歴史的にキリスト教徒の多かったレバノンにおいては、マロン派キリスト教徒の一部が自分達のアイデンティティをアラブよりも欧米に求める風潮が強く、フェニキア主義と呼ばれる独特の宗派主義が生まれた。こうした政治家や政治団体は1980年代までレバノンの国政に大きな影響力を与えており、現実的な利権も絡んで1975年のレバノン内戦につながった。旧約聖書などユダヤ聖典で唱えられる、大イスラエル主義(「約束の地」は全てイスラエルのものであるとする思想)が、右翼政党「イスラエル我が家」やユダヤ原理主義聖職者のみならず、政権党リクード内部にも存在している。彼らは、自分たちイスラエルは世界中からユダヤ難民を受け入れたのだから、アラブ世界がパレスチナ難民を収容すべきだと、主張する。また、パレスチナなどもともと存在しないのだから、イスラエルに住むアラブ人は全員市民権を剥奪するか、国外追放すべきであるという主張も一部で支持されている。イスラエルにおける右翼の代表的人物にモーシェ・ファイクリン、アヴィグドール・リーベルマン、カハネ主義を唱えたメイル・カハネなどがいる。
出典:wikipedia
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