ガイナーレ鳥取(ガイナーレとっとり、Gainare Tottori)は、日本の鳥取市、米子市、倉吉市、境港市を中心とする鳥取県全県をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。1983年に創設された「鳥取教員団サッカー部」が前身。2007年2月にJリーグ準加盟が承認 され、「ガイナーレ鳥取」に改称。2011年にJリーグへ入会した。山陰地方で初のプロサッカークラブかつプロスポーツクラブである。チーム名の「ガイナーレ(GAINARE)」は、前身のSC鳥取時代に公募で決まったもので、島根県の東部から鳥取県の西部にかけての方言(雲伯方言)で「おおきい」という意味の「がいな」と「大きなチームになれ」との願いを込めて制定された。マスコットは強小戦士 ガイナマンである。ホームスタジアムはとりぎんバードスタジアム、練習グラウンドは鳥取市若葉台スポーツセンター、コカコーラウエストスポーツパーク、チュウブYAJINスタジアムである。詳細は#スタジアム・練習場の項を参照。1983年に鳥取県米子市で創設された「鳥取教員団サッカー部」が前身で、1989年にSC鳥取へ改称した。2001年に日本フットボールリーグへ昇格。2006年12月に運営会社となる株式会社SC鳥取を設立。2007年2月にガイナーレ鳥取へ改称し、同月20日にJリーグ準加盟クラブとして承認された。これを機に、ホームタウンを米子市から鳥取市、米子市、倉吉市、境港市を中心とする鳥取県全県へ変更した。監督に元U-20日本代表監督の水口洋次が、ヘッドコーチにタイ代表元監督のヴィタヤ・ラオハクルが就任。開幕より成績が伸びず8月に水口が辞任し、ヴィタヤが監督に就任。就任2試合目からリーグ戦6試合無敗であったが、終盤に3連敗。JFL昇格後最多の勝ち点を獲得したが14位に終わる。オフには引退、レンタル期間満了も含め13人が退団した。元日本代表の小村徳男など元J1クラブ所属選手や、コン・ハメドやアドゥール・ラッソなどヴィタヤのタイルートを活用した外国人選手など、期限付き移籍も含め15人を獲得。SC鳥取時代を含めて、JFL昇格後初の開幕戦勝利を収めたが、以降は怪我人が多く成績も低迷、一時は4位との最大勝点差が14となった。その後、後期16節終了時点で4位との勝点差を2まで縮めたが、後期17節(リーグ最終戦)の流通経済大学戦で敗北。最終順位は5位。リーグ終了後に小村は引退した。GKシュナイダー潤之介やDF柴村直弥、FW阿部祐大朗やFW梅田直哉ら計7選手を獲得。さらに前年から期限付き移籍で加入していたMF鈴木健児とFW小澤竜己ら5選手を完全移籍で獲得した。前期は開幕3連勝を含む8戦無敗(6勝2分)、勝ち点30で2位につけたが、シーズン中盤に決定力不足に陥り4連敗を喫した。後期に入り、元日本代表のFW岡野雅行、MF奥山泰裕やDF橋内優也を獲得したが、リーグ最多の65得点およびリーグ最多得失点差の+28ながら、2年連続で5位。リーグ終了後に3選手が戦力外、レンタル移籍で獲得した3選手が契約満了で退団。シュナイダーは横浜FCへ移籍した。なお、天皇杯全日本サッカー選手権大会は2回戦でコンサドーレ札幌に敗北。ヴィタヤが2009年12月にタイ帰省中に起こした交通事故による怪我が回復せず、監督を辞任し、後任に東京V元監督の松田岳夫が就任。ヘッドコーチに中村有が就任した、また、元日本代表の服部年宏や美尾敦、喜多靖、小針清允、内間安路など8人が加入した。シーズンは、開幕14戦無敗(10勝4分)で前期は首位。後期に入り、大分からFW住田貴彦(米子市出身)をレンタル移籍で獲得。10月3日にアルテ高崎戦(後期10節)に勝利し、J2参入条件の1つであるJFL4位以内が確定(この高崎戦でJFLチーム通算300試合目、さらにJFLチーム通算100勝を達成)。10月24日に栃木ウーヴァFC(後期12節)を破り、JFL史上最速となる5試合を残してリーグ初優勝を決めた。結局、JFL記録となるホーム戦年間17試合無敗(16勝1分)、ホーム戦14連勝を達成した。11月29日、Jリーグ臨時理事会でJリーグ入会が全会一致で承認され、2011年シーズンからのJ2参入が正式に決定した。なお、天皇杯は初戦(2回戦)で徳島に敗北。戸川健太、鈴木伸貴、多田大介、丁東浩(レンタル移籍)などJリーグ経験者を中心に補強。住田貴彦のレンタル移籍期間も延長した。3月6日、Jリーグ加盟後の初戦は徳島に敗北。東日本大震災で中断し、再開した4月24日の北九州戦に勝利し、Jリーグ加盟後初勝利を飾り、6月5日の京都戦でホーム初勝利を挙げた。夏場に5連敗を喫するなど一時は調子を落としたが、天皇杯2回戦の熊本戦に勝利したり、リーグ戦ではJ2上位の札幌に競り勝った。なお、シーズン成績は8勝7分23敗の19位。シーズン終了後、松田が監督を退任。また、3選手が現役引退。服部年宏、梅田直哉、多田大介はFC岐阜へ移籍した(服部・梅田は完全移籍。多田は期限付き移籍)。監督に松本山雅FC元監督の吉澤英生が就任。紀氏隆秀をレンタル移籍で、柳楽智和と前年まで大分からのレンタル移籍だった住田貴彦を完全移籍で獲得。大卒新人選手として、杉本拓也(前年特別指定選手)、熊澤圭祐、三浦修が加入した。また、元コスタリカ代表のケニー・クニンガムとロイ・スミスの2名を獲得した。シーズン途中の7月には千葉から久保裕一と藤本修司をレンタル移籍にて獲得した。また、この年も京都からホーム初勝利を挙げている。第4節で京都に勝利したものの、開幕から10試合で勝利はその1勝のみで、第9節、第10節は最下位。第12節で最下位を脱したものの、第15節から6連敗、さらに前半戦最終戦草津戦での勝利を挟んで、後半戦も4連敗と、シーズン通して下位に沈み、第34節以降は20位もしくは21位に低迷。最終的には11勝5分26敗、勝ち点38の20位でシーズンを終えた。なお、総失点78(次に多い福岡が68)、得失点差-45(次に多い町田が-33)はJ2ワーストであった。シーズン終了後、吉澤が監督を退任。またチームトップの4得点を挙げた美尾敦と小井手翔太、倉吉市出身の福井理人など引退・レンタル期間満了を含めて16人の選手と来期の契約を結ばない事を発表した。鳥取OBの小村徳男が監督に就任。また、前監督の吉澤がヘッドコーチに就任した。柳川雅樹、岡本達也、辻正男、永里源気が完全移籍で、嘉味田隼、横竹翔、田中雄大、武田英二郎、廣田隆治がレンタル移籍で、大卒新人選手として井上亮太が加入。久保裕一がレンタル移籍期間延長で残留。外国人選手は、ブラジル出身のラファエル(5月退団)、レジナルド(5月退団)、ブルーノ(7月退団)と韓国出身の林東賢が加入した。5月には林堂眞と鮫島晃太がレンタル移籍で加入。7月にはブラジル出身のドゥドゥがレンタル移籍、安藤由翔(2014年入団内定)が特別指定選手として加入。8月にはアメリカ出身のオスカーが完全移籍、鳥取市(旧・河原町)出身の谷尾昂也がレンタル移籍で加入した。開幕から5戦を終えた時点では2勝3分で2位と好位置につけたものの、第4節から第15節まで12試合連続勝ちなし(6分6敗)で19位へ順位を下げた。第16節で当時首位の神戸に勝ち連続勝ちなしがストップ、続く第17節も勝ち連勝したが、直後に4連敗し、前半戦最後の第21節終了時点で、20位群馬と勝ち点では並ぶもののJFLとの入れ替え戦の可能性がある21位まで順位を落とす。第23節から6試合連続勝ちなしとなった第28節終了後の8月12日、成績不振により監督の小村を解任、前田浩二が強化部長兼任で後任監督に就任した。しかし前田就任後もリーグ、天皇杯いずれも公式戦での勝利を挙げることが出来ず、9月22日、勝点で並び最下位だった岐阜に敗れた第34節終了時に最下位に転落。41節の北九州戦に敗れたことでシーズン最下位が決定した。シーズン最終戦となるホーム千葉戦でも2点をリードしながら追いつかれ引き分け、結局、前田の監督就任後レギュラーシーズン終了までの公式戦13試合でも4分9敗に終わり、7月3日の第22節アウェー山形戦に勝利して以降公式戦で未勝利で最下位に終わった。J2・JFL入れ替え戦はJFL2位のカマタマーレ讃岐に1分1敗の成績で敗れ、J3リーグへの降格が決定した。シーズン終了後、前田が監督と強化部長を辞任。吉野智行、柳楽智和、岡野雅行が現役引退。チームに11年在籍した実信憲明、チーム最多の10得点を挙げた永里源気、8得点を挙げた久保裕一など引退・レンタル期間満了を含めて18選手が退団した。ピッチ外では2月24日にチュウブYAJINスタジアム(チュスタ)で行われたトレーニングマッチ(対ガンバ大阪)において、関係機関の許可を得ないまま有償シャトルバスを運行したとして道路運送法違反の嫌疑で書類送検された(後に起訴猶予処分)。また12月3日には、6月19日にクラブ職員が酒気帯び運転をし、鳥取県公安委員会から10月31日に運転免許取り消しを含む行政処分を受けたことを受け、クラブ運営会社に対し、Jリーグからけん責(始末書提出)および制裁金100万円の制裁処分が下された。松波正信が監督に、岡野がゼネラルマネージャーに就任した。林佳祐、福王忠世、倉貫一毅、藤牧祥吾が完全移籍で、稲森克尚がレンタル移籍で、大卒新人選手として安藤由翔(前年特別指定選手)、山本大稀、馬渡和彰、中山仁斗、柿木亮介、小石哲也が加入。前年からレンタル移籍で加入していた横竹翔、谷尾昂也、廣田隆治が完全移籍で加入した。シーズン途中にはブラジル出身のフェルナンジーニョとハマゾッチが完全移籍で、安田晃大と谷村憲一がレンタル移籍で加入した。U-18の2選手を2種登録。後述するが、J3降格の影響による収入減で、債務超過に陥る可能性もあったため、J2ライセンスの申請に際して、新規スポンサーの獲得と収入増を求めた「停止条件付き交付」が行われた(のちに、停止条件充足により正式なライセンスを取得)。しかし11月2日の第30節・ツエーゲン金沢戦で敗れた事により、J3残留となる3位以下が確定。最終順位は4位となった。シーズン終了後、小針清允と倉貫一毅と岡本達也が現役引退。チームに6年在籍した森英次郎、31試合に出場した戸川健太、米子市出身の住田貴彦など引退・レンタル期間満了を含めて16選手が退団した。松波体制2年目。川鍋良祐と畑田真輝と野崎雅也を完全移籍で、森川泰臣と田中智大がレンタル移籍加入。大卒新人6選手、高卒新人2選手が加入、U-18から2選手が昇格。計15選手が加入した。前年からレンタル移籍で加入していた稲森克尚が完全移籍で加入した。U-18の3選手を2種登録。4月24日、債務超過によりJ2ライセンス申請を断念(詳細は#財政問題を参照)。これにより、リーグ戦の成績に関わらず翌年のJ3残留が確定となった。リーグ戦は14勝8分14敗の6位で終えた。シーズン終了後、松波が監督を退任。小石哲也・柿木亮介など5選手と契約非更新、石輪聖人は退団、森川泰臣と田中智大はレンタル移籍期間満了、馬渡和彰は金沢へ、畑田真輝は秋田へ、山本大稀は栃木へ、安藤由翔と中山仁斗は山口へそれぞれ移籍し、計13選手が退団した。監督に前水戸監督の柱谷哲二が就任。片岡洋介、前田俊介、中島崇典、黒津勝、小谷野顕治、タム・シイアンツンが完全移籍で、池ヶ谷颯斗、宮市剛がレンタル移籍加入。大卒新人3選手、高卒新人1選手が加入、U-18から2選手が昇格。計14選手が加入した。SC鳥取時代は米子市営東山陸上競技場(現:どらドラパーク米子陸上競技場、略称:どらパー)をホームスタジアムとしていた。Jリーグ準加盟(2007年)以降の開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。とりスタ開催の際には、スタジアムの駐車場がほとんど無い(イベントスペースとして供出される)ため、スタジアム横のサブグラウンドの駐車券を事前販売しているほか、鳥取駅周辺の有料駐車場やスタジアム周辺に臨時駐車場を設け、そこからのシャトルバスを運行(パークアンドライド方式)している。また、米子〜とりスタ間(道の駅・北条公園経由)を往復する長距離シャトルバスも出している。2013年度はJ2ライセンスの交付であったが、将来的にJ1ライセンス取得のためにはスタジアムの入場可能数の増加が必要なため、クラブ側は鳥取市に対してスポーツ振興くじ(toto)助成金を利用した座席数を増設するように要請した。2014年も引き続きJ2ライセンスで、Jリーグから「B等級基準未充足」として2014年度において本拠地として使用する予定のスタジアムの衛生面、並びに屋根の不足を理由とする観客へのホスピタリティーの向上策の実施、また今後実施を予定しているホスピタリティー向上策について書面で回答すること との制裁を受け、事実上条件付きのライセンス交付であった。またJ2残留を前提として、上記の収容人員規定を満たすための3000人分の増設工事の計画が予定されていたが、J3降格を受けて鳥取市は増設工事を当面凍結することになった2015年もJ2ライセンスのみ(停止条件付き。後述の財政問題項も参照)の交付となったが、スタジアムについても前年同様屋根の敷設カバー率、トイレ数が基準を満たしていないとして制裁処分を受けた。なお、どらパーをJリーグ公式戦開催規格(スタンド増設やナイター設置など)へ改修する案もあったが、米子市側は市の財政や陸上競技場の立地状況の問題もあって、改修する考えはないとした。練習場として挙げられているのは以下の施設である。クラブは2011年以後、Jリーグライセンス規格の関係で米子など県西部での開催が行われなくなり、観客が減少していることや、ライセンスのA等級で専用練習場を確保することが義務付けられていることから、チュスタの積極活用を計画している。基本の本拠地はとりスタとし乍ら、J3リーグではJ3基準を満たしているチュスタを第2のホームスタジアムと位置付けて、日程面でホームゲームの連戦となる、集客の谷間の節でチュスタを使用する。通常の練習についても当面原則的にはチュスタを使い、ホームゲームがとりスタなど県東部で行われる場合は、調整が可能な限りは上記にある鳥取市のスタジアムも使うとしている。なお、2013年までメインで使用した「若葉台スポーツセンター」については、利用頻度増加をしてしまうと、一般市民への解放に制限が出る可能性があることも理由としている。またJ2以上の場合は収容人員の規格の問題上チュスタの使用が困難となる可能性もあるため、将来的に県西部のサポーターの集客を高めるための交通アクセスの改善、さらには「とりスタを試合の本拠地、チュスタを育成の場」と位置付ける計画も予定している。。鳥取県内でフリーペーパーなどを作成・発行・配布している株式会社Peebaが発行している「鳥取美少女図鑑」とのコラボレーションにより、2011年7月に10名のPRガールが選ばれ、2012年1月までガイナーレガールとしてホームゲームや各種イベントに出演した。2012年以降もメンバーを入れ替えて選出している。鳥取県米子市出身のシンガーBeijyの1stシングル「光の先へ」(2009年6月リリース)がサポートソングとして選ばれた。Beijy自身もホームゲームイベント等でスタジアムを何度か来訪し本曲を歌ったほか、試合観戦もしている。また、これとは別にスタジアム用のBGMとして、四種のオリジナル曲が作られ、既存のJリーグアンセム等々と併せてそれぞれのシーンに応じて流されている。2011年シーズン途中から、ホームゲームごとに鳥取県内各市町村(一部町村は合同で)を対象とするホームタウン・デイが設けられ、該当する市町村住民を対象とするチケットの割引販売、市町村紹介イベント、物産販売などが行われている。2008年8月12日、ガイナーレを運営する株式会社SC鳥取が選手補強や本拠地移転の費用等により債務超過となっていることが判明。これを受け、Jリーグから成績面でのJ2参入条件(4位以内)確保だけでなく、債務超過の解消と財務の健全化、経営基盤の強化が求められた。なお、株式会社SC鳥取によれば、J2に参加するためには、2008年11月末までに2億円の資金調達が必要であることが明らかになった。その後、行政や個人・団体から支援金が集まり、さらに鳥取県と鳥取市が出資した「バードスタジアム国際交流基金」からJリーグ参入条件であるJFL4位以内を条件に約7000万円の出資が決定し、2億円の資金調達に目処が立った。しかし、同年のJFL4位以内の確保に失敗したため、基金からの出資は事実上白紙撤回となった。なお、2008年シーズン終了時点でのクラブの累積赤字は7000万円であった。2009年以降、株式会社SC鳥取は身の丈運営でJリーグ参入を目指すことを表明しており、同年からチームの統一スローガンとして掲げられている「強小」は、その意思表示の文言である。「強小」の言葉は2012年版ユニフォームの胸にも表記されている。2010年11月29日、Jリーグ臨時理事会でJ入会が決定したが、Jリーグ側は株式会社SC鳥取に対して、2011年シーズンに向け、5000万円の増資を行うことと、2011年度において単年黒字を達成することを要請した。。なお、2012年1月期末時点で債務超過は解消されている。クラブライセンスについては、2013-15年度のいずれもJ2ライセンスを交付されている。これはとりスタの実勢収容人員がJ1基準を満たしていないため であるとともに、本拠地(とりスタ)のスタジアムの屋根、トイレ数を充足していないとして「B等級基準未充足」として書面での改善計画書の提出を求める制裁(事実上の条件付き交付)を受けた。しかし、2015年度のライセンスについては、J3所属であることのほかに、2014年度の財政面から、2013年度までの純資産・約5300万円を超える赤字、特にスポンサー・入場料・グッズ売り上げなどの収入などで約2億円の減収となる恐れが出るとJリーグから指摘され、ライセンスA等級条件の「債務超過」に抵触し、Jリーグのライセンスを交付できない(J3を含むJリーグからの除名の)可能性があるため、クラブライセンス第一審査機関から経営改善策として、の2つの条件を2014年10月30日までに確保するように命じ、それを充足した場合にライセンス効力が発生する「停止条件付き交付」とし、停止条件を満たしていない場合はJ2ライセンスは没収として、成績上のJ2昇格条件順位 を満たしてもJ2昇格不可とすることになった。これについて、塚野は「停止条件については、現在進めている増資手続きを期日までに完了することが中心であるが、増資については民間企業から確約をいただいているので確実にクリアできる条件と考えています。幣クラブの財務管理能力の未熟さと、今季・来季のキャッシュ・フローの維持(クラブ持続性)が論点となりました。クラブとしては、今回の条件クリアは対蹠的処置にしか過ぎないと考えており、根本的な基盤整備やガイナーレの今後の方向性を再度みつめなおす作業は避けて通れないと考えています」としているその後、民間企業1社からの増資引き受け、並びに複数の企業・団体から協賛スポンサーを締結するなどの増資手続きが行われ、停止条件を充足したものとみなして、2014年10月29日付けで「停止条件」を解除し、正式なJ2ライセンスが交付されたしかし、その後2015年1月期決算において、債務超過が-1700万円、また単年度の赤字額も9500万円を計上したことが分かり、2016年度のクラブライセンス申請期間である2015年6月までに、債務超過を解消することが難しくなったことから、2015年4月の段階で2016年度のJ2ライセンス申請を断念することを発表した。塚野真樹は2006年にコーチライセンス取得のためSC鳥取から出向して、1年間にわたって湘南ベルマーレユースのコーチを務めた。その後、塚野は株式会社SC鳥取の社長就任のために鳥取に復帰したが、これと前後して湘南ベルマーレのクラブスタッフだった竹鼻快が鳥取のスタッフ(ゼネラルマネージャー職)として加入。スタジアムDJの項にもある三村ロンド、田子千尋らの起用など、ベルマーレ人脈を生かしてきた。選手も特にプロ化後に多くの選手がベルマーレから移籍した。同じ山陰地方の隣県にあるプロスポーツチーム同士ということで、Bリーグの島根スサノオマジックと友好的な関係にある。公式サイトを相互リンクしたり、スサノオマジックの一部(鳥取県内で)の試合開催に於いてガイナーレ側が特設ブースを出すことがある一方、スサノオマジック側もJFL時代の米子開催時に中海市長会作成の共同ステッカーを配布したことがある。また、双方の社長が対談企画に参加したこともある。やまつみスポーツクラブがチーム運営をしていた前身のSC鳥取時代から、屋外で遊ぶ機会の少ない子供たちに、屋外で身体を使って遊ぶ機会を提供しようという観点から継続的に実施されているイベントである。選手やチームスタッフなどが「ガキ大将」役となり、参加する子供たちと共に鬼ごっこなどの遊びを行う。ガイナーレ鳥取となってからは選手等を同イベントに派遣するなどして、実行主体であるやまつみスポーツクラブに協力している。SC鳥取時代からのサポーターに加え、ホームタウンである鳥取県内を中心とした新たなサポーターの開拓も行っている。ガイナーレ・グリーン・クラブ(GGC)というチーム公式のサポーターズクラブに加入することで、当日券の前売り券価格による廉価販売、サブグラウンド駐車券の廉価での優先購入権、公式グッズの割引や限定グッズの購入権、GGC会員向けイベント参加権などの特典が受けられる。また、サポーター有志による独自性のあるサポート活動も盛んに実施されている。例として、サポーター有志で応援盛り上げなどを主目的としたフリーペーパーを作成してゲート付近で配布したり、米子市のDARAZ FMでサポーター出演による応援番組が放送されているなどがある(ラジオ放送については後述)。JFL時代からの応援団体として「Asas De Passaro(アーザス・デ・パッサーロ)」があり、ゴール裏等コアゾーンで下記に代表されるような応援の先導を務めている代表的な団体であり、サポーター主体活動の取りまとめ役ともなることが多い。応援スタイルとして、新しく用意されるチャントの他に、GKに対しての「ぬりかべ、○○(○○は選手名)」というチャントや、選手入場時の「鳥男」(ガガガSPの「弱男」が原曲)、ゴールチャンス時の「声が届くまで」(KUMACHI)など、SC鳥取時代から歌い継がれているチャントとを組み合わせている。また、試合終了後の「ガイナーレ劇場」のように選手とサポーターが一緒になって行うものもあり、サポーターの間で知られる「奥山バナナ」や「東山の約束」などは、いずれも「ガイナーレ劇場」が発端となっている。(ただし、Jリーグ昇格以降ガイナーレ劇場は行われていない)
出典:wikipedia
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