柳家 小三治(やなぎや こさんじ)は落語家の名跡である。当代は10代目。この名跡は中堅どころの位置付けであるが、「柳家(柳派)の出世名」といわれる。初代・5代目・9代目小三治が柳派の総帥・留め名である「柳家小さん」を襲名した一つ前の名となるからである。10代目柳家 小三治(やなぎや こさんじ、1939年〈昭和14年〉12月17日 - )は、東京都新宿区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。出囃子は『二上りかっこ』。定紋は『変わり羽団扇』。本名、郡山 剛蔵(こおりやま たけぞう)。まれに「高田馬場の師匠」とも呼ばれる。教師・教育者(小学校校長)の5人の子のうち唯一の男子として厳格に育てられる。テストでは常に満点を求められ、100点満点中95点を取ることすら許されなかった。その反発として遊芸、それも落語に熱中する。東京都立青山高等学校に進学。高校時代にラジオ東京の『しろうと寄席』で15回連続合格を果たす。この頃から語り口は流麗で、かなりのネタ数を誇った。卒業後、教員育成大学である東京学芸大学への入試に失敗し、学業を断念。落語家を志し、5代目柳家小さんに入門した。以後、5代目小さん門下で柳家のお家芸である滑稽噺を受け継ぎ活躍。噺の導入部である「マクラ」が抜群に面白いことでも知られ、「マクラの小三治」との異名も持つ。全編がマクラの高座もある。落語協会会長6代目三遊亭圓生は大変に芸に厳しい人物で、前任の会長より引き継いだ者を真打にした以外は、実質上3人しか真打昇進を認めなかった。つまり、6代目圓生から真打にふさわしいと見做されたのは、6代目三遊亭圓窓・小三治・9代目入船亭扇橋の3人のみである。小三治は17人抜き真打昇進という記録を作った。上野鈴本演芸場初席における主任(トリ)の座を師の5代目小さんから1991年(平成3年)に禅譲され、2013年(平成25年)まで維持した。リウマチを持病に抱えながらも、現在も高座に上がり続ける。落語協会会長5代目鈴々舎馬風が病気を理由に2期で勇退した後を受け、2010年(平成22年)6月17日開催の理事会において後任会長に就任。2014年6月、4代目柳亭市馬に会長職を譲って協会顧問に就任した。夫人は染色家の郡山和世、次女は文学座に所属する女優の郡山冬果。弟子に対する指導が厳しいことで知られ、出来が悪い弟子には「素質がない」「噺家をやめろ」と頭ごなしに発言したこともあったという。主な持ちネタには『あくび指南』『うどん屋』『かんしゃく』『看板のピン』『金明竹』『小言念仏』『子別れ』『死神』『芝浜』『大工調べ』『千早振る』『茶の湯』『出来心』『転宅』『道灌』『時そば』『鼠穴』『初天神』『富士詣り』『百川』『やかんなめ』などがある。面白くもなんともなさそうな顔のまま、面白いことを話す。飄々とした表情のまま、ぶっきら棒にしゃべる。柳家の伝統通り滑稽噺を主なレパートリーとするが、師と同じく、「あざとい形では笑わせない芸」を目標としている。落語(滑稽噺)は本来が面白いものなのできちんとやれば笑うはずであり、本来の芸とは無理に笑わせるものではなく「客が思わず笑ってしまうもの」だとの信念を抱いているからである。過去の落語家のものまねを得意とする。8代目三笑亭可楽などのものまねが時折高座で披露される。指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンを「メリハリが効くというよりもあざといくらい派手な音を作り出す」「人を感心させようとして棒を振るから嫌いだ」と評すると同時に、「落語も同じだよ」と付け加えている。寄席や落語会では、同じ演目を異なる芸人が続けて演ずることは絶対のご法度とされている。永六輔が自らの主催するイベント「六輔その世界」のゲストに毒蝮三太夫と小三治を招き、両名に落語を演じてもらおうと企画した際、毒蝮は『湯屋番』を演じた。毒蝮は落語界の人間ではないが、7代目(自称5代目)立川談志の古くからの盟友であり、徹底的な指導を受けていた。その後に高座に上がった小三治は、直前までネタを決めていなかったが、毒蝮と同じ『湯屋番』を語り始めた。小三治も談志も同門(5代小さん門下)であり、文字として並べる限り『湯屋番』の内容はほとんど変わらない。しかし、プロとしての技術を駆使して全く別のやり方で『湯屋番』を語り、毒蝮よりもはるかに客を笑わせたという。演芸評論家・矢野誠一の著書『志ん生の右手』(河出文庫)では、この件を小三治自身が後書きで説明している。同じ噺をした理由は「毒蝮三太夫という人の後に落語家として噺をすることに抵抗があった」「毒蝮のやった噺とそれに対するお客さんの反応をみて、これは落語を聞かせる客じゃないな、ショウアップされた趣向を興味半分でのぞきに来てる客だな、と思った」ことであり、「せっぱつまった飛び降り自殺みたいなものです」「もう頼まれたって二度とやりませんが、ひとにも勧めません。それほど愚行です」と矢野への謝辞と共にコメントしている。多趣味で知られる。落語仲間で「ヨタローズ」というチームを組織していた。3代目桂米朝などの落語家や落語を愛好する文化人らと「東京やなぎ句会」という俳句団体を組織しており、同会の名義で出版された著書もある。俳号は土茶(どさ)。鑑賞も歌唱も好む。歌声はドキュメンタリー映画『小三治』に収録されている。「少しでもいい音で音楽を聴きたい」という思いからオーディオに凝り、一時期は専門誌でもコラムを連載するなどプロ並みの知識がある。自宅には高価なオーディオ機器が多数あった。多数リリースされているが、そのほとんどがソニーミュージックエンタテインメント京須偕充によってプロデュースされたものである。
出典:wikipedia
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