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伊号第十潜水艦

伊号第十潜水艦(いごうだいじゅうせんすいかん)は日本海軍の潜水艦。伊九型潜水艦(巡潜甲型)の2番艦。1944年(昭和19年)サイパン島付近で戦没。1937年(昭和12年)の第三次海軍補充計画(マル3計画)により川崎造船所で1938年(昭和13年)6月7日起工、1939年(昭和14年)9月20日(もしくは29日)進水、1941年(昭和16年)10月31日に竣工した。佐世保鎮守府籍となり、第六艦隊第二潜水戦隊に編入。太平洋戦争開戦時は第六艦隊第二潜水戦隊に所属し、先遣部隊として11月16日に横須賀を出港し、クェゼリンに寄港した後、30日フィジー諸島スバを飛行偵察するも、途中で搭載機が消息不明となり、3日間にわたり捜索するも発見できなかった。12月4日、サモア諸島トゥトゥイラ島パンゴパンゴ湾を偵察しアストリア級巡洋艦を視認後ハワイ方面に進出しハワイ作戦に参加。任務中の12月10日、のハワイ南東700浬の地点にて、砂糖とパイナップルを積んでスバからバンクーバーへ航行中のパナマ貨物船ドネレイル(Donerail、4,473トン)を発見。魚雷を発射するも、命中しなかったため浮上し、20発ほど砲撃した。2時間後、ドネレイルは沈没した。その後、アメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加し、1942年1月21日に横須賀に入港。3月10日、第六艦隊第八潜水戦隊に編入。12日、空母 レキシントンを旗艦とする第11任務部隊(司令官:ウィルソン・ブラウン中将)の追跡のため横須賀を出港。20日に呉に入港した。4月16日に呉を出港してペナンに寄港した後、インド洋に向かう。5月20日にダーバンを飛行偵察。30日にマダガスカル島ディエゴ・スアレスを飛行偵察し戦艦、軽巡洋艦各1隻等の在泊を報告。その後通商破壊に参加する。6月5日0231、のベイラ東方350浬地点付近のモザンビーク海峡で、パナマ、ウァーレム社貨物船アトランティック・ガルフ(Atlantic Gulf、2,639トン)を撃沈。同日1044、の地点で米貨物船マーヴィン・H・ベイカー(Melvin H. Baker、4,999トン)を撃沈。8日0953、で軍需品と政治的製品を積んでニューヨークからボンベイへ航行中の英ドッド・トムソン社貨物船キング・ルド(King Lud、5,224トン)を雷撃により撃沈。28日、のベリア南方のモザンビーク海峡で、軍需品を積んでタインからアデンへ航行中の英T・ダンロップ社貨物船クイーン・ヴィクトリア(Queen Victoria、4,937トン)を雷撃し、撃沈。30日0035、でマンガン鉱石と繊維、皮を積んでボンベイからケープタウンへ航行中の米貨物船エクスプレス(Express、6,736トン)を発見し雷撃。魚雷2本が右舷に命中し、エクスプレスは船尾から沈没した。7月6日1615、でギリシャ貨物船ニンフェ(Nymphe、4,504トン)を雷撃により撃沈。8日0718、のモザンビーク海峡で、一般貨物8,000tを積んでフィラデルフィアからロレンソ・マルケス経由でアレクサンドリアへ航行中の英J&C・ハリソン社貨物船ハーティスマー(Hartismere、5,498トン)を発見し雷撃。1番船倉に魚雷1本が命中したハーティスマーは大爆発を起こしたため放棄され、なおも浮かんでいたハーティスマーを砲撃して沈めた。1755、のモザンビーク海峡で、4,000tの弾薬を積んでダーバンからアデン経由でロンドンへ航行中の蘭貨物船アルチバ(Alchiba、4,427トン)を発見し雷撃。魚雷は左舷機関室に命中し、アルチバは放棄された。漂流するアルチバへ砲弾9発を発射して沈めた。12日に横須賀に入港。10月21日に横須賀を出港し、トラックに寄港してソロモン諸島方面に進出。12月18日にトラックに帰投した。1943年1月5日、トラックを出港した後、再びソロモン諸島方面に進出。16日、ニューカレドニア島ヌーメア南南東80浬地点付近で空母1、駆逐艦2を発見し、魚雷を発射するも、命中しなかった上、見失ってしまう。24日0100にヌーメアを飛行偵察し戦艦、巡洋艦、駆逐艦各1-3、商船20の在泊を報告後、ソロモン諸島南方で通商破壊戦に従事する。30日0449、のアメデ灯台南方115浬地点付近で、ヌーメアからニューキャッスルへ航行中の米リバティ船サミュエル・ゴンパース(Samuel Gompers、7,176トン)を発見し雷撃。魚雷はサミュエル・ゴンパースの船尾に命中し、サミュエル・ゴンパースは爆発して5分で沈没した。2月9日から10日にかけて、ニュージーランド~ヌーメア間の海域を哨戒する。9日1400、商船を発見し雷撃するも、魚雷は目標の船底下を通過し命中しなかった。10日0542、別の商船を発見し雷撃するも、命中しなかった上見失ってしまう。27日朝、ウェリントン沖にて商船を発見し、雷撃するも命中しなかった。3月1日、で米タンカー、ガルフウェーヴ(Gulfwave、7,141トン)を雷撃し撃破。ガルフウェーヴは出力低下を起こしながらスバに入港した。5日、ニュージーランド~オーストラリア間にあるトレス諸島を偵察。その後、トラックに寄港して21日に佐世保に入港して修理を受ける。5月17日、佐世保を出港して瀬戸内海へ向かう。19日から21日にかけて、第2次遣独潜水艦作戦に向けて伊8への燃料補給訓練に従事し、26日に呉に帰投。6月1日に伊8、特設潜水母艦日枝丸と共に呉を出港し、佐伯経由で12日にペナンに移動する。27日1630、第8潜水戦隊旗艦として伊8と共にペナンを出港する。7月1日と6日に伊8へ補給を行って伊8と別れた後、インド洋で通商破壊戦に従事する。22日には、のアデン湾南南東沖合で、アバダンからフリーマントルへ航行中のノルウェー貨物船アルシデス(Alcides、7,634トン)を発見し、雷撃。魚雷2本が命中したアルシデスは沈没し、船長と無線員、航海士を捕虜にした。8月4日にペナンに帰投。9月2日1600、インド洋における第七次作戦行動につくためペナンを出港。この哨戒では日映のスタッフが乗艦して60日余りの作戦行動を撮影している。9月14日、のチャゴス諸島南西沖のインド洋で、油を積んでバンダレ・アッバースからメルボルンへ航行中のノルウェータンカーブラモラ(Bramora、6,361トン)を雷撃し、撃沈した。24日0200、のアデン南東75浬地点付近で米リバティ船エリアス・ハウ(Elias Howe、7,176トン)を発見し追尾。0312、魚雷を2本発射し、うち1本がエリアス・ハウの機関室に命中した。火災を起こしたエリアス・ハウはSOSを発信した。15分後、浮上して魚雷1本を発射し、これを命中させる。命中したエリアス・ハウは衝撃で積み荷の爆発物が誘爆し、船尾から沈没した。10月1日1630、のアデン湾で、西へ向かう輸送船団を発見し、石炭を積んでモンバサからアデンへ航行中のノルウェー貨物船ストルヴィクセン(Storviken、4,836トン)へ向け魚雷3本を発射。うち2本が右舷に命中したストルヴィクセンは船尾から沈没し、乗員2名を捕虜とした。4日、アデン湾近海で輸送船団の航行音を聴取。これは、アデンからアバダンへ向かっていたAP-47船団で、追跡を開始。夜になってから浮上した。5日0510、のグアルダフィ岬北方140浬地点付近にて、約5,100mで輸送船の密集しているところめがけて魚雷3本を発射。発射完了と共に深度119mへ急速潜航した。やがて、3つの爆発音と船体破壊音が聞こえてきた。この攻撃でノルウェータンカー、アンナ・クヌドセン(Anna Knudsen、9,057トン)を撃破。アンナ・クヌドセンは総員退船となったものの、後にアンナ・クヌドセンに戻った乗員の手によって復旧に成功し、アデンに引き返していった。24日1125、のアッヅ環礁北西沖で一般貨物を積んでカルカッタからダーバンへ航行中の英A・ウェア社貨物船コンゲラ(Congella、4,533トン)を発見し、魚雷2本を発射するも命中しなかった。そのため、砲撃に切り替えてコンゲラを撃沈した。10月30日にペナンに帰投。撮影された映像は1944年に映画館で「轟沈」として上映された。その後、11月5日にペナンを出港し、シンガポールを経由して12月16日に佐世保に入港し修理を受ける。1944年2月3日に佐世保を出港し、10日にトラックに到着。17日朝、トラック島空襲に遭遇して小破した後、米空母の追跡に出港するも発見できずトラックへ帰投。この空襲で乗員3名が戦死し2名が負傷した。25日にトラックを出港し、アメリカ西海岸へ向かう。3月4日、ミレ東方で襲撃運動中、爆雷攻撃を受けて損傷。修理のため本土へ向かい、20日に横須賀に到着した。5月9日、横須賀を出港し、マーシャル諸島東方に進出。6月12日にメジュロを夜間飛行偵察し港内に輸送船1隻を視認後、搭載機が着水に失敗し破損したため機体を放棄した。14日ににサイパンの第六艦隊司令部救出に向かうべくグアム島方面へ急行し、24日にサイパン島東岸に到着するも、救出に失敗。その後、6月28日1200の艦位連絡を最後に消息不明。アメリカ側記録によると、7月4日、サイパン東北東65浬地点付近にて、米護衛空母ブレトンとタンカー6隻による海上補給を護衛しているキャノン級護衛駆逐艦「」は自艦から250°、1700mの位置で潜航中の潜水艦を聴音により探知する。報告により、タンカー6隻とブレトンが港へ向かう中、リドルは爆雷を5発投下し、潜水艦を威嚇。これにより、潜水艦は攻撃に失敗したように見えた。発見から18分後、リドルは自艦から1100mの位置にいる潜水艦を再び探知し、ヘッジホッグを発射する。しかし、潜水艦はそれを回避するべくより深く潜り、積極的に動いていた。1822、潜水艦の進路上を通過するフレッチャー級駆逐艦「」も潜水艦を探知し、中深度に設定した爆雷11発を投下する。1828、リドルが再度爆雷攻撃をしようとした時、海中で大きな爆発音がした。このため、2隻は潜水艦を見失った。しばらくして、潜水艦のものと思われる破片と、重油が浮かび上がった。翌日、現場にはおよそ17kmの長さの重油の帯が出来上がっていた。これが最期の瞬間であり、艦長の中島清次中佐以下乗員103名全員戦死。沈没地点はサイパン島近海、。1944年7月2日サイパン方面で沈没と認定され、同年10月10日除籍。撃沈総数14隻は帝国海軍潜水艦随一であり、撃沈トン数は81,153トンである。また、2隻を撃破しており、そのトン数は16,198トンである。

出典:wikipedia

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