伊藤 文隆(いとう ふみたか、1954年5月11日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。愛知県名古屋市中村区出身。プロ選手としては、阪神タイガースに所属した。社会人野球時代のからまでは「伊藤 弘利」(いとう ひろとし)、からまでは「伊藤 宏光」(いとう ひろみつ)の登録名でプレーした。大同工業高校では、エースとして1972年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、中京高の金本誠吉と投げ合い敗退。同年のプロ野球ドラフト会議で中日から5位指名を受けるも入団を拒否。その後、明治大学に進学するも中退。社会人野球の三協精機(現:日本電産サンキョー)に入社。の都市対抗では1回戦で愛知トヨタに完投勝利。2回戦で電電東京に0-1で敗退するが、その好投に注目が集まる。1977年のドラフトで阪神から1位指名を受け入団。右腕からの速球を武器にからローテーション入りを果たしには10勝を挙げる活躍を見せる。1988年は、前年の1987年を白星なしの9連敗でシーズンを終えたことから、背番号を14に変更して臨み、開幕から2戦2完封勝利と好調であった。しかし4月27日の大洋戦において池之上格の放った一塁ゴロで、一塁ベースカバーに入った際、池之上にスパイクされ右踵を裂傷。以後成績が振るわず、に現役引退。打撃では1987年9月9日の甲子園でのヤクルト戦で本塁打を記録している。引退後は、サラリーマンとしてアパレル企業のトレンザで営業職を務める。以降は、サンテレビとABCラジオ(から)の野球解説者として活動していた。からまでは日刊スポーツ野球評論家も務めた。ゴーストライターに頼らない貴重な評論家として野球名鑑に紹介されたこともある。には社会人野球クラブチーム・トータル阪神の監督へ就任。には第34回全日本クラブ野球選手権大会で優勝している。12月、球団本部付職員として阪神に復帰。球団本部チーム運営担当として、新人・若手選手やリハビリ中の選手のサポートなどを担当。12月末で退団。より、サンテレビ野球解説者へ復帰。2014年は独立リーグのBASEBALL FIRST LEAGUE加盟球団の姫路GoToWORLDの監督を務めた。
出典:wikipedia
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