国際興業バス鳩ヶ谷営業所(こくさいこうぎょうバスはとがやえいぎょうしょ)は、埼玉県川口市赤山184番地に位置する国際興業バスの営業所である。主に埼玉県川口市・蕨市・さいたま市緑区の路線を中心に担当しているが、一部路線は越谷市や東京都北区まで達する。鳩ヶ谷営業所は開設以来三度に渡って移転され、2014年6月14日までは埼玉高速鉄道新井宿駅に程近い場所にあった。営業所の前身は、大正初期に開業した鳩ヶ谷自動車であるが、これを含めて考えれば国際興業バスで最も長い歴史を持つ営業所ということになる。営業所が位置する鳩ヶ谷市(現:川口市鳩ヶ谷)には2001年3月27日まで鉄道駅が一切存在せず、当営業所による路線が唯一の大量輸送手段として発達しており、その中で本営業所の路線は主たる位置を占めてきた。同年3月28日の埼玉高速鉄道開業によって、鉄道と重複する路線を中心に再編成が実施されたものの、乗客の流れが予想以上に少なく、再編成を実施した多くの路線で乗客の積み残しが発生する異例の事態に陥ったため、改正直後から高密度な臨時便の確保や、廃止された路線の復活・統廃合が含まれたダイヤ改正を幾度と無く繰り返した結果、現在では多くの成熟した路線網を有している。主力路線は、鳩ヶ谷地区周辺と京浜東北線の赤羽 - 蕨の各駅を結ぶ路線だが、これらを柔軟に利用できる「鳩ヶ谷フリー定期券」を発行していることもこの営業所の特徴である。2008年2月28日から「ミニは〜と」「みんななかまバス」の専用車を除く一般車両にPASMOが導入された。道路拡幅に伴う用地捻出および施設老朽化のために2014年6月15日に川口市赤山の赤芝入口停留所付近の新営業所へ移転開業した。鳩ヶ谷営業所は1915年に設立され、翌年には鳩ヶ谷 -(岩槻街道)- 川口駅線を開業させた「鳩ヶ谷自動車」を起源としている。その後、路線を岩槻街道に沿って少しずつ延伸させ、1927年には北端を風渡野(現:東武野田線七里駅付近)まで、南端は1928年に赤羽駅 - 王子駅線を開業させたことで王子駅まで到達させた。1929年には開業したばかりの新荒川大橋経由で川口 - 赤羽線を開業させたほか、この新荒川大橋を経由して後に現在でも主力路線とされている鳩ヶ谷 - 赤羽駅線(現;赤21)の運行を開始した。1932年には、従来まで精力的に路線を拡大させていった赤羽・川口 - 鳩ヶ谷方面以外に、国道463号に沿った越谷 - 浦和線、浦和 - 志木線(現:西浦和営業所の志01)のほか、それまで路線を有していなかった浦和市(現:さいたま市)内においても営業が開始され、1936年の川口乗合自動車合併吸収を経て路線網を拡張した。戦前の僅か10年弱もの短期間に相次いで路線を開業させ、急速に成長を見せた鳩ヶ谷自動車だったが、戦前から京王電気軌道の傘下にあった会社だった。それが1944年に実施された東京急行電鉄による京王電気軌道の合併を経て、同じ東急系列だった東都乗合自動車に、中仙道乗合自動車と共に吸収合併された。これにより、鳩ヶ谷自動車の本社は東都乗合自動車の鳩ヶ谷営業所として継承され、この頃までに蕨 - 鳩ヶ谷線、川口駅 - 前川線を有していた旧・青木自動車も統合されている。1950年に国際興業バスが成立するが、その時点でも鳩ヶ谷営業所の所在地は鳩ヶ谷町(現:川口市鳩ヶ谷)浦寺23に位置していた。その後、1952年12月5日に同町浦寺20へ移転、1964年3月12日に川口市西新井宿へ移転、2014年6月15日に現在の川口市赤山の赤芝入口バス停付近へ移転して現在に至る。鳩ヶ谷営業所の所管路線は、前述の鳩ヶ谷 - 赤羽駅線、鳩ヶ谷 - 川口駅線などのように、営業所を持つ鳩ヶ谷と京浜東北線の各駅を連絡する路線を中心に引き続き運行されてきたが、一時期は赤羽駅 - 岩槻駅線、川口駅 - 安行循環線のように、鳩ヶ谷を縦横に貫通した運行も行われていた。1950年代に入ると、新路線として蓮田駅 - 風渡野 - 鳩ヶ谷 - 西新井橋 - 千住中組線の長距離路線が運行を開始したが、この背景には、。結局、都心への直通バスは道路渋滞などの問題によって実現しなかったものの、川口駅 - 東京駅線(都営バスと共同運行)などの新たな都心へのアクセス路線が誕生した。一方、鳩ヶ谷周辺では相次いで住宅・団地の建設が進められ、団地と鉄道駅を結ぶ路線が開業した。1958年には東鳩ヶ谷団地(現:鳩ヶ谷公団住宅)への入居が開始されたため、同年12月より赤羽駅 - 鳩ヶ谷住宅線(現:赤21)の運行が開始された。。しかし、自動車の普及などで道路渋滞が激しくなったことから、長距離路線を中心に定時運行が困難な状態が発生していく。このため、路線の整理・短縮・縮小などが相次いで実施され、前述の蓮田駅 - 千住中組線は全長30kmにも及ぶ長距離路線であることから複数の系統に分断、東京側の発着点も京成関屋駅へ変更されるなど、大幅に再編された。道路渋滞は都心部だけでなく鳩ヶ谷地区においても発生しており、赤羽駅 - 鳩ヶ谷線の本数を大幅に削減し、削減した分を新設した鳩ヶ谷 - 西川口駅線(現:西川01)へ回すなど、早急な対応が求められた。また、1973年には西武バスとの路線調整によって鳩ヶ谷市内の西武バス路線を譲受し、同年10月1日の武蔵野線開業によって設置された東川口駅を発着する路線の再編成も合わせて実施、鳩ヶ谷 - 京成関屋線や鳩ヶ谷 - 浦和駅線の廃止も行われた。従来までは都心部方面などへのアクセス路線を中心に運行していたが、相次ぐ住宅・団地の建設・入居開始によって、鳩ヶ谷営業所ではこれらと鉄道駅を結ぶ路線を有するように方針転換した。こうした対応が早急だったことでいち早く鳩ヶ谷市内における重要な輸送手段として運行を続けていたが、その運行に打撃を与える事態が発生する。2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業によって、旧鳩ヶ谷市内に南鳩ヶ谷駅・鳩ヶ谷駅、川口市内でも旧鳩ヶ谷市境近隣に新井宿駅の3駅が設置された。これによって、従来まで鳩ヶ谷地区の一大ターミナルとして使用してきた浦寺操車場(鳩ヶ谷ターミナル)および変電所発着便が全て廃止、既存路線の埼玉高速鉄道の各駅へ接続するように経路変更を実施したほか、本数の全体的な削減といった大規模な路線再編が行われた。戦前に開業し、この時点まで鳩ヶ谷営業所の最主力路線だった赤羽駅 - 鳩ヶ谷公団住宅線(赤21)も、埼玉高速鉄道とほぼ平行することから減便されたが、埼玉高速鉄道への乗客の転移が予想を下回る水準に留まったことから、ラッシュ時を中心に乗客の積み残しが発生した。このため、改正直後から変電所発着便の一時的な復活(臨時便の運行)や本数の増便が行われ、また同年5月・10月に再改正が実施され、現在では埼玉高速鉄道開業以前の水準にまで戻っている。赤羽駅着の京浜東北線最終電車に接続する深夜バスで、2004年に神根支所経由、2005年から伊刈消防署経由へ経路変更された。2010年5月17日より、途中停留所からの乗車は不可能となり、降車専用扱い(乗車は赤羽駅のみ)となった。歴史は長く、起源は鳩ヶ谷自動車が最初に開通した路線にまで遡る。1916年の開業当初は川口駅 - 鳩ヶ谷線だったが、新荒川大橋の開通を経て1929年に赤羽駅への乗り入れを開始した。戦後は川口駅非経由化を経て1958年に鳩ヶ谷公団住宅発着便が開通し、この頃より利用者が急増、1964年には赤羽駅 - 三ツ和(現・桜町二丁目付近)を無停車とする急行が新設されたほか、1972年に元郷新道(現:川口元郷駅) - 赤羽駅でバス専用レーンを導入、1983年に変電所 - 浦寺の旧道上り線を通勤時間帯に限ってバス専用道路とするなど、運行円滑化のためさまざまな対策が行われた。このように、東京都内北部と旧・鳩ヶ谷市内を結ぶ大動脈の路線として、埼玉地区の国際興業バス路線を代表する最主力路線として利用されてきたが、2001年3月28日に埼玉高速鉄道が開業すると事態は一変する。埼玉高速鉄道開業によって本数は半減、赤20・20-2(初代)が統合されて新井宿駅経由に変更されたほか、赤22(赤羽駅 - 変電所)の廃止さらに長年終着地として利用されてきた鳩ヶ谷ターミナル(浦寺操車場)が廃止された。以前のような勢いは失われているものの鳩ヶ谷営業所の最主力路線であることに変わりはなく、日中は赤21が1時間に4本、赤20が1時間に1本の運行、朝と夕方以降は赤21のみで1時間に6本となる。さらに埼玉高速鉄道の料金が割高なうえに赤羽駅に接続していないため乗客が路線バスの利用を継続していることもあり、再び本数が増えると共に利用者の数も安定、現在でも大量輸送手段としての大役を担っている。赤21の深夜バスは平日の終電前・終電後ともに3便ずつ合計6便が走るほか、土曜日にも1便が設定され、乗り場も日中のターミナル外からターミナル内に移動しており、鉄道からの乗り換え客がスムーズに乗車できるように工夫されている。深夜バスの最終便(赤羽駅25:10発)は、2010年5月17日より途中停留所からの乗車が不可能となり、降車専用扱い(乗車は赤羽駅のみ)となった。2011年10月11日に鳩ヶ谷市が川口市に編入合併されたため、鳩ヶ谷市役所停留所が「鳩ヶ谷庁舎」に改称、本町などの旧・鳩ヶ谷市内の地区は「鳩ヶ谷本町」などに改称された。2013年2月16日、一度廃止されていた赤20-2が同経路で平日朝に限り1便新設された。2013年11月16日より、鳩ヶ谷方面は赤羽駅東口を発車後、赤羽駅東口25:10発(赤21深夜バス最終便)を除いて赤羽東本通り上に新設された停留所にも停車するようになった。2014年6月15日の車庫移転後も川18・西川01と同じく、鳩ヶ谷公団住宅 - 鳩ヶ谷車庫間は営業運転が行われずに全便が回送で出入庫している。青木・上青木・前川・芝地区を経由して川口駅と蕨駅を結ぶ。定時運転の確保と通し利用者の減少により、2004年に分割系統の折り返し便に相当する川05-2と蕨01が新設されたため、本線の川05は本数が減少傾向にある。2006年6月18日の川口営業所移転に伴い、鳩ヶ谷営業所の管轄路線となり、出入庫として蕨01-2が新設された。この路線も赤20・蕨03と同様に浦寺操車場(鳩ヶ谷ターミナル)を終点していたが、埼玉高速鉄道開業と同時に浦寺操車場(鳩ヶ谷ターミナル)が閉鎖されるため、川18は鳩ヶ谷駅西口発着へ変更され、川18-2は鳩ヶ谷駅を経由して鳩ヶ谷公団住宅まで乗り入れる形に改めた。その後、SKIPシティの街開きによって大半の便をSKIPシティ経由に変更して鳩ヶ谷駅西口に向かう川18-3と、SKIPシティ・鳩ヶ谷駅経由で鳩ヶ谷公団住宅に向かう川18-4が新設された。しかし、川18と川18-3の鳩ヶ谷駅西口行きは、鳩ヶ谷の市街地に乗り入れない影響から2003年に廃止され、SKIPシティ経由の川18-4も2008年3月30日に廃止、川18-2のみが残され、後に系統番号の整理で枝番が外れて現在に至る。鳩ヶ谷駅では、川口駅行きのみが鳩ヶ谷駅西口ターミナルに乗り入れる。鳩ヶ谷駅(JA前)停留所に関しては両方向とも停車する。従来は新町折返場(現・新町東)止まりだったが、埼玉高速鉄道開業によって戸塚安行駅まで延伸した。川20は中央道路経由路線では最長路線で、当初はグリーンセンターまでの路線(季節便)だったが、この停留所は正門横に設けられ、現在のグリーンセンターは「グリーンセンター入口」を名乗っていた。この旧・川20が一度廃止された際に正門横の停留所も廃止され、グリーンセンター入口がグリーンセンターに改称、その後の差間地区宅地開発によって川口駅 - 差間折返場として復活、1992年6月16日に東川口駅まで延伸された。2011年6月1日の改正で、23時台に深夜バスが新設された。東川03は、早朝に(旧)鳩ヶ谷車庫から神根支所を経由して東川口駅へ向かう出庫系統だったため、東川口駅 → 鳩ヶ谷車庫の運用は長らく存在しなかったが、2010年3月15日より東川口駅南口始発が新設された(夜間のみ)。2011年6月1日の改正により、平日23時台と24時台に各1便、土曜日も23時台に1便が深夜バスとして新設された。安80は戸塚安行駅方面への運行時間を早めるために片方向のみ新設された。2014年6月15日の車庫移転に伴い、東川03・安80共に(旧)鳩ヶ谷車庫から新井宿駅発着に変更された。1994年5月1日の川口市立医療センター開業によって新設された。当初は川口営業所の担当だったが、翌年に鳩ヶ谷へ移管された。2001年3月28日の埼玉高速鉄道開通に合わせて新井宿駅まで延伸された。2011年6月1日の改正で、医療センターを経由しない深夜バスが廃止された。赤21の弟的路線で、西川口駅と鳩ヶ谷公団住宅を結ぶ。埼玉高速鉄道開業前は鳩ヶ谷市(当時)や川口市北部周辺に鉄道駅が全く存在せず、最寄駅のJR西川口駅へ行くには完全に路線バスを利用していたため、この路線も鳩ヶ谷 - 赤羽駅線と同様に国際興業屈指の最主力路線だった。特に平日の朝の時間帯は上記の西川01や、本町一丁目から同じ路線を走行する西川04・04-2だけでは供給が足りず、西川02・03を運行して補充していた。2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業によって、西川01は市役所経由から鳩ヶ谷駅経由に経路を変更、従来の市役所経由は西川01-2へ系統を変更し、開業まで運行していた西川02~04・04-2は全て廃止された。西川01-2は、当初ラッシュ時のみ運行になり本数も大幅に減らされたが、予想していた地下鉄への利用転移は大きく下回り、想定外の積み残しが発生、急遽、臨時便の運行や廃止した西川03の復活(臨時便が運行されている期間のみ)がなされた。その後は西川01が本数を大幅に減らして西川01-2が増発されていき、改正1ヶ月半後で西川01は廃止された。そのため、最終的に埼玉高速鉄道開業による改編は立ち消えとなり、西川01-2も2008年3月30日の改正で枝番が消滅、系統番号も運行経路も完全に埼玉高速鉄道開業前に戻ったこととなる。西川04・04-2(本町一丁目から同じ路線を走行する)も一時は廃止されたが、当初は鳩ヶ谷駅経由で路線復活し、のちに鳩ヶ谷市役所経由へ変更、従来の埼玉高速鉄道開業前に戻った。現在もこの路線は、西川01・04・04-2が西川口駅 - 本町一丁目間で併走しているが、主体となっているのは西川01で、近年では赤21と同様に運転回数が増加傾向にあり、今もなお当営業所の幹線系統として役目を担っている。2011年10月11日に鳩ヶ谷市が川口市に編入合併されたため、鳩ヶ谷市役所停留所が「鳩ヶ谷庁舎」に改称された。西川口駅と安行地区を結ぶ目的で新設されたが、1986年12月10日のダイヤ改正で西川04と西川04-2に分割、1991年1月20日のダイヤ改正で東川口駅南口ロータリーが開業したことで、西川04の東川口駅側を経路変更して東川口駅発着に変更した。1998年4月には、川口東高校周辺の交通アクセス改善として、川口東高校経由に変更された。旧鳩05は1986年12月改正で一度廃止されるものの、東川口駅南口ロータリー開設時に復活(1日3往復)し、2001年3月28日の埼玉高速鉄道開通に合わせて西川04の廃止代替として、短縮経路として鳩ヶ谷駅 - 東川口駅線が新設され、鳩05は現行経路となった。現在では、鳩05を早朝の東川口駅方向便のみ残して、西川04を完全に復活させた。2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業によって西川04が廃止され、前述の鳩05に短縮した。このとき西川04-2も鳩05-2に短縮されたが、5月の改正で西川04・04-2ともに鳩ヶ谷駅経由で再開した。鳩05は廃止されずに残ったが、鳩05-2は廃止された。2004年7月の改正で、西川04のみ埼玉高速鉄道開業前の経路である変電所・鳩ヶ谷市役所経由に変更した。また、2008年3月30日の改正で、西川04-2も変電所・鳩ヶ谷市役所経由に変更され、この系統も前述の西川01と同様に完全に埼玉高速鉄道開業前の運行経路に戻された。その他、2007年11月21日の改正では、けやき通りが開通したことにより戸塚中学校入口 - 長蔵一丁目を長蔵二丁目経由に変更した。2011年10月11日に鳩ヶ谷市が川口市に編入合併されたため、鳩ヶ谷市役所停留所が「鳩ヶ谷庁舎」に改称された。2014年6月15日の鳩ヶ谷車庫移転に伴い、西川04-2の赤芝入口 - (旧)鳩ヶ谷車庫間が短縮され新車庫発着となった。元々は医療センター経由で東川口駅へと向かう路線であったが、現在は新井宿駅発着となる。現在のように六円橋経由となったのは、1975年頃に地蔵橋を通る道路が整備されたためで、それまでは上青木交番を経由していた。当初から本数が少なく、現在は新井宿駅→西川口駅方向で平日朝に5便、土曜朝に1便が運行(日祝日運休)され、西川口駅→新井宿駅方向は平日朝に3本のみ運行されている(土日祝運休)。川23と同様に、2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業によって新井宿駅まで延伸された。元々は柳崎県営住宅までの運行で、附島橋まで行かず手前の柳崎県営住宅で折り返していたが、川17・蕨02とあわせるように附島橋まで延伸、その後東浦和駅発着へ変更となった。西川07-2は車庫移転に伴い、伊刈消防署 - (旧)鳩ヶ谷車庫間が短縮され、伊刈消防署止まりに変更された。川口市上青木にあるSKIPシティへ向かう循環路線で、SKIPシティ街開きの際に新設された川26が起源だが、2004年7月20日にSKIPシティへのアクセスを西川口に集約することで川26が廃止された後、代替として川18-2・18-4が増回、新たに開通したのが西川09である。しかし、現在では西川09も低迷を続けているため朝夕のみ運行、その他は川口営業所が運行している西川08が補っている。西川口駅から網代橋・前川住宅を循環運行して戻る路線で、平日日中と土曜・日祭日は運行しない完全な通勤路線である。蕨02が東浦和駅を終点とするようになったのは1986年からで、それまでは附島橋が終点(ただし東浦和駅は経由しない)だった。その出入庫として鳩81(鳩ヶ谷車庫 - 附島橋)が運行されていたが終点が同じだった川17や、終点が異なるものの近所だった西川07の出入庫も兼ねていたようである。蕨駅から鳩ヶ谷市内を抜けて新井宿駅へ向かう。この路線も赤20・川18と同じく埼玉高速鉄道線開業前までは鳩ヶ谷ターミナルを終点としていたが、埼玉高速鉄道開業後はターミナルの廃止によって蕨03は鳩ヶ谷駅西口に変更、同時に鳩ヶ谷駅西口を直進して市街地を抜け、鳩ヶ谷車庫まで運行する蕨03-2が新設された。しかし、蕨03は鳩ヶ谷市街地に入らないため利用客は低迷したのちに廃止され、枝番の蕨03-2が急遽新設された。蕨03が廃止されると同時に、蕨03-2は鳩ヶ谷車庫発着から(桜ヶ丘経由)新井宿駅発着に変更し、2008年3月30日に枝番が消えて蕨03に変更され、鳩ヶ谷市内 - 蕨駅線の主要格となった。2014年6月15日より、平日早朝1往復のみ蕨03-2が新設、蕨03とはかつてと系統番号が逆転する現象が起きた。川05・08が統合されて伊刈消防署経由に変更されたため、経由しなくなる蕨駅東口 - 網代橋の区間を補完する形で登場した。1998年の再編で川05が再び前川経由となったため、入れ替わりで伊刈消防署経由に変更、2001年3月28日の埼玉高速鉄道開通時に新井宿駅まで延伸され現在に至る。ダイヤモンドシティ・キャラ(現・イオンモール川口前川)の開業と共に新設した路線だが、蕨駅東口から北側の陸橋を越えて蕨駅西口まで結んでいる点が特徴。東川口駅から戸塚東地区を抜け、草加市との境に近い川口環境センターに至る短距離路線。1981年4月1日に戸塚地区の住居増加に伴って浦01を環境センターまで延長する形で開通したものである。しかし、1985年10月1日の埼京線開業に伴う再編で、埼京線とは無関係ながら再編対象路線となり、1986年12月10日に東川口駅で分割された。その際に鳩ヶ谷と浦和の共管で運行開始され、南口ロータリー完成に伴い南口発着に変更された際に鳩ヶ谷単独での運行になった。2011年6月1日の改正で、平日のみ運行していた深夜バスが廃止された。2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業時に、川口市北部の北原台・差間地区の住宅開発の急増に合わせて新設された。差間地区において狭隘区間を通るため、中型車限定での運用になる。。東川05-2は早朝時間帯のみ運行される(鳩ヶ谷車庫→差間三丁目は回送)。東川01・05の出入庫便で、2007年11月21日のダイヤ改正で新設された。2014年の車庫移転に伴い、赤芝入口 - (旧)鳩ヶ谷車庫間が短縮された。平日のみ運行されるが、平日でも休校日ダイヤを適用している期間は運休となる。当初は越11(越谷市役所 - 釣上 - 浦和駅、浦和担当)だったが、1970年代後半に越谷駅(現・越谷駅東口)に短縮され段々と定時運行に難が出始めたため、1992年6月に東川口駅まで短縮される。その後、東武伊勢崎線の高架複々線化に伴う越谷駅西口の開発事業が完成したために東口発着から西口発着へ変更され、2006年4月21日にイオン浦和美園ショッピングセンター(現・イオンモール浦和美園)の開業によって越12(→新越12)が開通した。2008年3月30日の改正で南方へ路線を延伸し、新越谷駅西口起点としたうえでさいたま東営業所から移管した。新越谷駅西口からは朝日自動車の路線が越谷ファミリータウンを経由しているが、国際興業の路線はそれより南側の七左町二丁目地区を経由する。2013年2月16日、新越12が廃止された。出入庫は鳩ヶ谷車庫(赤山) - 新越谷駅間を回送している。東浦11は川17(川口駅 - 上青木交番 - 上根橋 - 川口北スポーツセンター - 東浦和駅)が起源で、2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業による再編で鳩ヶ谷駅発着に変更、系統番号も鳩11に変更されたが、利用客の低迷で路線をさらに短縮し、現在の東浦11に至る。東浦82は東浦和駅発着系統の出入庫便であるが、2014年6月15日の車庫移転に伴い新井宿駅発着に変更され、同時に入庫便で途中止まりの東浦82-2が新設された。2014年6月15日の鳩ヶ谷車庫移転に伴い新設された出入庫便。但し、本数が少ない。2003年11月17日に新設された。当初はさいたま東営業所が運行していたが、鳩ヶ谷へ移管した。一時期は2便運行されていたが、2008年に武蔵野線のダイヤ改正で終電が繰り下げられると、2009年4月1日の改正で片道1便に減便した上で、京浜東北線の終電と接続できる時間に出発時間を繰り下げた。通称「ミッドナイトアロー南浦和・東浦和」で、赤羽駅から先の各駅は全て東口に停車する。みんななかまバスを参照。浦和レッズの主催試合に運行。他営業所同様、大半がいすゞ自動車製だが、川口市コミュニティバス用に日野自動車製の車両が存在する。以前は飯能営業所を除いた他の営業所に比べて低年式の車両が多かったが、排ガス規制強化後は他の営業所同様に低年式車を他社に早期に譲渡したり、規制対象外地域の飯能へ転属させたため格差は無くなった。ノンステップバスも存在し、主に川口市立医療センターを発着路線に充当している。2002年9月15日、江ノ電バスが所有していた2000年式のKC-LV380L改(江ノ電バス社番・旧114)が配置され、国際興業では9501が与えられた。この車両は諸事情で江ノ電バスが手放し、メーカーのいすゞ自動車が保管していたものを再整備の上で国際興業に提供したものである。後に池袋営業所へ用途外専用車両として転属を経て現在は飯能営業所に転属して一般路線に復帰した。2014年度中から、川口ナンバー(ご当地ナンバー)の導入に伴い、新車と他地域ナンバーエリアの営業所から転入車は川口ナンバーで登録される予定である。
出典:wikipedia
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