広島平和記念式典(ひろしまへいわきねんしきてん)とは毎年、広島県広島市に原爆が投下された8月6日の原爆忌に広島平和記念公園で行われる、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための式典である。なお正式には「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」という。式典は会場である平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめとして、市民多数の参加のもとで挙行されるものである。毎年広島市長によって行われる平和宣言は核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けているものであり、世界各国に送られている。また秋葉忠利市長(アメリカへ留学経験がある)になってから英語による平和宣言も発表されるようになった。毎年、NHK・民放のテレビやラジオなどで生中継されるなか午前8時から始まる。原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘やサイレンを鳴らし、式典会場のみならず、家庭、職場で原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り(市内を走行中のバスや広島電鉄の車両もこの時間には停車し、乗客も黙祷を行う)、1分間の黙祷を行ったあと、広島市長が平和宣言、子供による平和への誓いを行うのが通例である。また当日の広島市の各所では、原爆死没者に対する慰霊と核兵器廃絶を訴える式典や、原爆の被害を直接受けた被爆電車の運行が行われている。この式典の性格は原爆を投下したアメリカに対する反米感情よりも、むしろ恩讐を超えた世界の恒久平和への希求であるとしている。冷戦時代には人類を滅亡へと導く手段として、現在では核拡散によって過激な集団によって大量殺戮しかねない方法として、破壊のための核兵器使用の危険性がある以上、核兵器の存在を認めず廃絶を求めることは世界最初の被爆地として責務であると、歴代の広島市長は平和宣言の中で訴えている。式典の流れは次のとおり。NHKでの全国ネットのほか広島県域では民放で生中継されている(民放での全国ネットの扱いは局により異なる)。なお、8月6日前後には各局で原爆の日関連の特別番組が多く放送される。1947年に「広島平和祭」として第一回が催され、当時の広島市長である浜井信三が平和宣言を行った。このときはGHQによる占領統治時代であったため、検閲で平和への思いが消されないためにどうするか苦労したという。この平和祭では式典のほか市内各所で盆踊りや仮装行列なども催され、アメリカの雑誌『ライフ』が「アメリカ南部の未開地におけるカーニバル」と形容したほど市民に希望を与えるものであった。1950年6月から始まった朝鮮戦争において、米国は核兵器の使用を検討していた。原爆使用禁止のストックホルムアピールへの世界的署名運動が高揚するなか、GHQによってこの年の平和式典は禁止・中止された。原爆詩人・峠三吉らはこれを弾劾して原爆詩集などを発表した。これらの運動は朝鮮戦争でのアメリカ軍の核使用を押し留める一因となったといわれている。平和記念公園が開設された1954年以降は現在の形式で行われている。なお被爆から70年以上が経過し、被爆体験を持つ人たちの平均年齢が80歳を超えたことで、被爆経験が戦争経験と同様に風化してきていると指摘されている。
出典:wikipedia
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