軍歌(ぐんか)とは、広義には主に軍隊内で士気を高めるために作られた歌のことである。歴史的な出来事を扱ったものから、戦死した犠牲者を悼むことを目的とするものまで、内容は様々である。世界的に有名な軍歌として、フランスの国歌である「ラ・マルセイエーズ(「ライン軍のための軍歌」・「ライン軍軍歌」)」などがある。このように一部の軍歌および軍楽は国歌としてそのまま、もしくは曲(メロディ)を使用されることもある。これら国歌として歌われているもののほとんどは革命歌であり、他国との戦争時に歌われたものでないことが多い。日本では、厳密(狭義)には軍隊によって作られた歌を軍歌とするが、一般的(広義)には戦時歌謡(軍国歌謡・国民歌謡、一部の唱歌)や軍楽など、軍隊・軍人・兵器・戦争・国体・国策などを題材とする歌や曲をまとめて軍歌と通称とする。このほか、戦地で愛唱された一般の歌謡曲(流行歌)や唱歌の一部も軍歌と称する場合もある。明治維新を迎えた明治時代初期の大日本帝国の軍歌は、古来からの長い古風な歌詞と、西洋風の旋律が組み合わさった古雅なものが多い。また日清戦争以前の古い曲の中には、唱歌や童謡と同じように、欧米の曲を流用して歌詞をつけた例もまま見られる。軍歌としての目的以外に、一般国民に対する戦況報道も兼ねていたため叙事詩的なものが多い。曲も洋式音楽が煮詰まってきた時期であり、後世に歌い継がれる秀逸なものが増えてきた。こちらも叙事詩的な性格のものが多いが、同時に将兵に対する訓戒のような軍歌も増えてきた。全体的にさらに曲が洗練され、七五調・文語体の長大優美な歌詞のものが多い。なお、海軍省は佐佐木信綱や大和田建樹などに制式海軍軍歌の制作依頼を出しており、このため一連の海軍軍歌の制作年代は明治末であるが、軍歌集による公布は大正時代初めとなっている。日独戦争(第一次世界大戦)を迎えるものの、大正時代の日本は全体的に平和な時代であり、この時期作られた軍歌は少ない。兵科ごとの曲や、軍学校の校歌や寮歌の類が目立つ。中国大陸での紛争・戦争が始まったため、軍歌が急速に作られるようになってきた。時代に合わせて口語体のものも多少出てきており、また曲は歌謡曲に近いものになってきている。戦局の泥沼化を反映してか、後期には悲壮な曲調のものが多い。レコードの大衆への普及に伴いヒット曲となる速度が非常に速くなっており、数十万枚単位で売れるベストセラー作がいくつも誕生している。太平洋戦争開戦とともにさらに数多くの軍歌・戦時歌謡が作られた。支那事変時とは打って変わり、明るく軽快もしくは勇壮な歌詞・曲のものも多い。ただし、優秀な曲が多く生まれたと同時に、時局に合わせただけの粗製濫造の曲も非常に多く、その多くは歌い継がれることなく消滅していった。また、「勇壮でない」と睨らまれた曲はたとえ軍歌でも弾圧を受け、明治以来の優秀な軍歌がいくつも歌詞改訂・歌唱禁止にされるなど、暗い面も残している。1945年(昭和20年)8月15日の終戦、その年の11月30日をもって、明治以来の大日本帝国陸海軍は解体・消滅。軍歌が新たに作られることは少なくなった。しかし、戦前中の歌に慣れ親しんだ国民により引き続き歌唱され、パチンコ店で軍艦行進曲が流されるなど軍歌自体の寿命はまだまだ続いていた。日本の軍歌は、その支配権から独立した韓国、北朝鮮、ミャンマーなどの軍歌のルーツになったとする見方もある。朝鮮人民軍は日本統治時代の旧日本軍出身者が多く、軍歌の作り方もそれに沿ったものであったとされている。また、前述の「日本海軍」や「鉄道唱歌」などから曲を流用している例も散見される。憲法上で軍隊の保有が禁止されている事から、公式には自衛隊は軍隊ではないとされるため、戦後新たに自衛隊及び部隊内で作られた歌も軍歌ではなく、正式には隊歌と呼ばれる。しかしながら、「陸軍分列行進曲」「軍艦行進曲」を筆頭に公式に旧軍時代の軍歌軍楽がそのまま使用されたり、軍歌の詞を自衛隊仕様に変えたものが歌唱されることは多い。自衛隊音楽隊により公式の場(行事式典等)にて「敵は幾万」「愛馬進軍歌」「月月火水木金金」他様々な軍歌が演奏されている。特に職種によっては軍歌を受け継いでいることが多く、普通科の「歩兵の本領」,野戦特科の「砲兵の歌・襟には映える山吹き色の」、空挺の「空の神兵」は有名である。その他各部隊が独自にシンボルとして制作した歌も隊歌として斉唱されている。
出典:wikipedia
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