きくち 英一(きくち えいいち、1942年8月21日 - )は、日本の俳優、スタントマン、殺陣師、司会者。旧芸名・別名は菊池 英一、菊地 映一。身長179cm。体重80kg。アイティ企画所属。東京都世田谷区経堂出身。日本大学芸術学部演劇学科卒業。空手道、拳法をたしなみ、日本大学芸術学部演劇学科に在籍中、同校の「殺陣同志会」に入会。1962年(昭和37年)、「殺陣同志会」時代に、『脱線トリオ大江戸三人男』にアルバイト出演、これがデビューとなる。1964年(昭和39年)、日大の先輩である俳優の渡辺高光がアクションチーム「ジャパン・ファイティング・アクターズ(JFA)」を創設、誘いを受けて大学卒業と同時にこれに参加。以降、テレビ、映画作品に多数出演する。1965年(昭和40年)、『国際事件記者』に出演、初めて役名がつく。1966年(昭和41年)、『マグマ大使』で、敵役の「ゴア」の代役を一話のみ務める。これが被り物をつけたスーツアクターとしての初仕事だったという。1967年(昭和42年)、『ウルトラセブン』14話・15話で上西弘次の代役スーツアクターとして、ウルトラセブンを演じる。1971年(昭和46年)、『帰ってきたウルトラマン』でウルトラマンのスーツアクターを務める。1974年(昭和49年)、渡辺高光との意見の相違からJFAを辞め、フリーとなる。ほどなくしてJFAも解散。直後の『電人ザボーガー』では俳優と殺陣師を兼任。この番組のためJFAの元メンバーを集め、1年間擬斗を担当した。殺陣師としては「菊池英一」名義とし、俳優としてはこの作品以降「きくち英一」に改名。2004年(平成16年)より、「東京ビジュアルアーツ」で殺陣の講師を務める。日大では、芸能界入りのきっかけとなった「殺陣同志会」のほかに「落語研究会」もかけもちしていた。落語の腕は、『電人ザボーガー』などでも披露している。殺陣師としては、日大時代は先輩方、JFA時代は渡辺高光を師とし、正式な殺陣師として師事した師匠はいないという。1980年代には、紳士服販売の「ROC(流通卸売センター)」のテレビCMでモデルを担当。同時期に「大三紳士服」のCMでは団次郎がモデルを務めており、『帰ってきたウルトラマン』の変身前後の役者が競演していたことになる。近年では俳優のほか、結婚披露宴会場の司会なども務め、幅広く活躍している。また、今村良樹率いる紙芝居集団「渋谷画劇団」の一員としても活動しており、「お客さん参加型のチャンバラ紙芝居をやってみたい」と語っている。『帰ってきたウルトラマン』の出演依頼が来た時は、『ウルトラセブン』での経験から激務になることが予想されたため一度は辞退し、代わりに中岡慎太郎を推薦した。しかし、後日主役が団次郎に決まり、「団と中岡では体格が違いすぎる」という理由で再びきくちに依頼が来ることになる。この時も乗り気ではなかったきくちは、体よく断るために「出演料を中岡に提示された額の1.5倍にする」「MAT隊員など顔出しの役でも出演する」という条件を出した。ところが、前者はあっさり承諾され、後者も「隊員役はもう決まっているので無理だが、何か役を考える」と善処する旨の返事をされ、断る理由がなくなってしまったという。結果的に後者は一部のエピソードにゲスト出演するのみに留まったが、これについては、ウルトラマンだけでも大変だったことから、後に「それでよかった」と語っている。『帰ってきたウルトラマン』出演当初は、「嫌々やっていた時期もあった」というが、やがて「菊池さんのウルトラマンには表情がある」と渡辺高光の夫人から言われたり、1日に何通も子供たちから「東京都世田谷区帰ってきたウルトラマン様」という宛先でファンレターが届くようになって、演じるのが嬉しくなったという。第1話の撮影では、特撮プールでの待機中に誤ってプールに電気が流れてしまい、危うく感電死しかけた。当時、スタミナをつけるためにニンニクの醤油漬けや、レモンの砂糖漬けを毎日のように摂取していた。その結果、ニンニクの摂り過ぎで胃を荒らしたこともあった。また、ウェットスーツ製の衣装でアクションを演じる関係上、大量の汗をかくため、食事も毎日大量に塩を振りかけた生野菜をバリバリ食べ、1日1個レモンをかじっていた。本人は「さすがにこれは身体に悪いのではないか」と思ったが、実際にはそれでも追いつかないほど立ち回りで塩分を消費していたらしく、番組終了後には、医者から「塩分不足」と診断されたという。 次作の『ウルトラマンA』も依頼されたが、ウルトラマンのアクションは激務であり、体力的に限界ということで辞退している。なお、『ウルトラマンA』第1話の客演でのみウルトラマンを演じている。円谷プロからは記念品としてウルトラマン関係の小道具をいくつか譲られており、2002年5月7日にテレビ番組『開運!なんでも鑑定団』に出演した際には、それらの品をまとめて披露し、合計211万円の評価を受けた。演技に癖がついてしまい、この番組のあと、東映での撮影では監督に「ウルトラマンやりすぎじゃ!」と怒鳴られたこともあるという。『電人ザボーガー』以降、芸名を「きくち英一」と改名したのは、よく「菊地」と間違えられたことと、「芸名にひらがなが入っていると、出演クレジットで目立つので名前を覚えてもらえるから」だと語っている。『ザボーガー』では、当初は殺陣師として参加を依頼されたが、きくちは殺陣師ではないとして俳優としての出演を希望し、中野刑事役を得て殺陣師と兼任することとなった。クレジットは両方記載されているが、きくちは「殺陣師はサービスで」としたためギャラは中野刑事役としての分しか受け取っていない。『ザボーガー』出演当時のアクショングループは仲間うちで、「菊池英一とその残党」と半ば冗談で呼び合っていたという。その他多数
出典:wikipedia
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