近世日本国民史(きんせいにほんこくみんし)は、1918年から第二次世界大戦後の1952年にかけて徳富蘇峰が著した、近世(安土桃山時代と江戸時代)以降の日本の通史。全100巻。織田信長の時代から豊臣政権、江戸時代、幕末・維新期、西南戦争までを綴ったもの。多くの資料を駆使して書かれており、個人編著の歴史書としては、世界でも屈指の規模とされる。全巻のうち7割が幕末・維新期(ペリー来航から西南戦争まで)の記述にあてられている。この業績が評価され、徳富蘇峰は1923年に帝国学士院から恩賜賞を授与された。蘇峰は1918年、国民新聞に連載を開始し、同年『織田氏時代 前篇』を刊行。以後、第二次世界大戦終結の1945年までに、第76巻『明治天皇御宇史 15』を刊行した(いずれも民友社より)。占領下では公職追放になった事もあり、一時執筆作業を中断し、1951年に再開した。大久保利通の暗殺、木戸孝允の死までを描く最終巻の『明治時代』を脱稿したのは1952年と、34年をかけた文字通り畢生の大著になった(なお最終数巻は、1980-81年に講談社学術文庫で、『西南の役 全7巻』と『明治三傑』を改題再刊した)。蘇峰は若い頃から、歴史家として著述活動を目指しており多くの貴重文献を購い、民友社時代(1893年)に革命家として捉えた『吉田松陰』を著し、竹越三叉(『新日本史』、『二千五百年史』)・山路愛山(『足利尊氏』)・三宅雪嶺(『同時代史』)と並ぶ、在野の「史論史学」の歴史家として名を馳せたが、明治天皇崩御をきっかけに、一大叢書の編纂(さん)を思い立ったという。つまり、本来、蘇峰がこの『近世日本国民史』を書こうとした動機は、「明治天皇の時代史」を書くためであった。明治天皇の時代を書くためには、孝明天皇の時代を書かなければならず、孝明天皇の時代を書くためには、徳川時代を、徳川時代を書くためには、織田・豊臣の時代を書かなければならないと考え、織田・豊臣の時代からの歴史書を書くことを決意した。この構想をもって、蘇峰が『近代日本国民史』の大著の著述に着手したのは、蘇峰56歳の時であった。言論人・論客として伊藤博文や山縣有朋、桂太郎らと、終生親しく接した経験(また編者代表として彼らの公的伝記を編んだ)が参考になり、信長、秀吉、家康ら英傑の心事を推し量ることができた、とも語っている。蘇峰没後、平泉澄校訂で1960年から1966年に時事通信社で全100冊別冊2(総索引、附図)を刊行(新装版1969年刊)。講談社学術文庫で、1979年から1996年にかけタイトルを一部変更し50冊分を再刊したが、2012年現在全点品切。以下、解説・要約書を示す。
出典:wikipedia
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