中津川市(なかつがわし)は、岐阜県の南東部に位置する市である。長野県に隣接しており、古くより木曽谷や伊那谷との関係が深いが、近年は中京圏との関係が強くなってきている。市域を断層が縦横に走っているため山地が多く、木曽川に流れ込む河川はどれも小規模だが清流であり、木曽川水系においても水の綺麗さの点では有数の地である。丘陵地が多い東濃において北部と南部を中心に山地が広く分布する点が特徴である。南部では市の中心部からも見える木曽山脈最南端の恵那山 (2,191m) とその前面に前山・保古山など屏風山山系が北東 - 南西方向に連なり、北部では阿寺山地が北西 - 南東方向に山を連ねている。市の北部は平成の大合併により中津川に編入された恵北(旧恵那郡北部)地域である。どちらも第四紀における断層運動により形成された断層崖であり、特に恵北地域を縦断する阿寺断層は地学的にも名高い。最も標高の低い場所で230m、全域として見た場合は、各河川の流下方向に沿うように東から西へ向かって標高が低くなっている。断層運動によって相対的に沈降した盆地に木曽川支流中津川、四ツ目川が流れ込んで形成された、傾斜のある段丘面上に市街地が分布する坂の多い町。市域を東西に横断して流れる木曽川と市街地との間には丘陵があり、木曽川とその支流は合流地点周辺において先行谷の様相を示すことが多く、市の西部は苗木花崗岩の奇岩が連なる景勝地・恵那峡を形成している。市北部・旧恵北地域は、阿寺断層沿いの低地を北から白川(加子母川)付知川・川上川が流れ、南の木曽川に注いでいる。白川のみは西流し、飛騨川に注いでいる。各河川沿いの低地や段丘面上に集落が連なるように分布している。中津川市の中心部は、かつて中山道の宿場町・中津川宿として栄えた中津地区である。ここは今日でも宿場町ならではの歴史ある家屋が軒を並べている。前述の中津川、四ツ目川はそれぞれ恵那山、前山を源流とする河床勾配の大きな急流河川であり、過去に幾度となく氾濫してきた。四ツ目川とは、四回目の氾濫を意味する説がある。宿場町は中央本線の中津川駅よりも少し(20m程)高い場所にあり、1932年の四ツ目川の氾濫により駅周辺が被害を受けた際も助かったとされる。中津川市の地名も参照。旧恵那郡坂下町・川上村・加子母村・付知町・福岡町・蛭川村の3町3村を、恵北(けいほく)という。旧中津川市域と福岡地区の一部で東濃用水を使っているが、近隣の配水池より標高の高い分団等は使用していない。また、それ以外の地区にもおおむね簡易水道が引かれている。中津、坂本地区には公共下水道が引かれている。苗木、落合、馬籠、坂下、付知、福岡、蛭川地区には特定環境保全公共下水道が引かれている。中津川市議会※なお、名古屋市の「中津川野外教育センター」(小学生向け)が市内苗木に置かれているため、名古屋市の小学生はここで宿泊研修を行う。※学校図書館を除く市の中心となる駅:中津川駅【中津川駅前を発着するバス路線】【中央自動車道の中津川インターチェンジ及び中央道馬篭(神坂パーキングエリア)に停車するバス路線】【その他中津川市内のバス路線】中津川市は東海東山方言の中の美濃弁に属するが、濃尾平野で話されているような連母音の融合は無い。長野県に接しているため信州弁の影響が強い。特に以前は長野県であったが岐阜県中津川市に越県合併した旧山口村や旧神坂村はその傾向が強い。また飛騨に接する旧加子母村は飛騨弁の影響が見られる。中津川中継局を参照市内は全域0573(中津川MA)であるが蛭川地区のみは恵那MAであり、この地域への通話は市内でも市外局番が必要である。なお、馬籠地区は2009年2月28日まで合併前と同じ0264を使っていた。
出典:wikipedia
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