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エセックス級航空母艦

エセックス級航空母艦(エセックスきゅうこうくうぼかん、)は、アメリカ海軍の航空母艦の艦級。1942年から1946年にかけて計24隻が就役し、アメリカ海軍史上、艦隊型空母としては最多の建造数となった。第二次世界大戦開戦時におけるアメリカ海軍の空母の理想像を具現化した艦であり、また第二次世界大戦後も改修を受けつつ運用され、アメリカ海軍の艦隊航空兵力の一翼を担った。なお後期建造型についてはタイコンデロガ級として区別される場合もある。1938年3月、アメリカ海軍は第二次ロンドン軍縮条約のエスカレーター条項によって、4万tの空母建造枠を得た。これによりアメリカ海軍は2万t型の空母2隻を新たに建造することを決めた。だが、艦艇の設計担当である艦船局が多くの新型戦艦設計案を進めており、新型空母を設計する余裕がなかったこともあって、1隻は1938年度計画として基準排水量1万9,600tであるヨークタウン級の改正型(後の「ホーネット」)を建造し、もう1隻は1939年度計画として新規設計艦を建造することを決めた。新型空母はヨークタウン級より全ての性能を上回ることが要求に上げられた。しかし建造可能枠は残り2万400tしかなく、更に要求の増大もあって設計がまとまらなかったため、ヨークタウン級4番艦「エセックス」として建造される可能性も浮上していた。しかし第二次世界大戦による無条約時代の到来に伴い、ヨークタウン級を大幅に拡大した基準排水量2万7,100tの大型空母として建造されることとなった。1943年の対空火器改善計画に伴い艦首対空銃座の増設のために船体を伸ばした後期型が存在するが、44年以降に起工された原型もあり、計画トン数も同一となっている。アメリカ海軍においては後期型を「LIST3型」、原型を「LIST1型」と呼称していた。戦後、LIST3型は「長船体型」、LIST1型は「短船体型」として呼ばれるようになった。長船体型が「ロングハル-エセックス」1955年から行われた大規模な近代化改修(SCB-125改修)を受けて攻撃空母に分類されたものがタイコンデロガ級と呼ばれることもある。第二次世界大戦の勃発に伴い、1940年の第三次海軍拡張法、両洋艦隊法によって大量建造が決定され、予算の成立した32隻が発注、第二次世界大戦の終了にともないキャンセルされた8隻を除く24隻が、1942年から1950年の間に就役した。主船体は4層の全通甲板をもつ船首楼型を採用しており、最上層の第1甲板は、ハンガーの床面であるとともに強度甲板となっている。第1甲板の天井はギャラリー・デッキとなっており、その上に全通した飛行甲板が設けられている。なお、バイタルパートである機関室を防護するため、第1・4甲板でその上に当たる部分(全長にして5分の3程度)には、それぞれ2.5インチと1.5インチ厚の (STS) 装甲が施されており、特に第1甲板のものは1,000ポンド爆弾にも抗堪しうるとされている。また舷側は、152mm砲弾や魚雷に抗堪しうるよう、第4甲板付近から吃水下までに4インチ厚の装甲帯が付加されているほか、船底は3重底構造とされた。ただし飛行甲板については、装甲化が検討されたものの、排水量が大幅に増加することより見送られ、単なる木板張りの鋼板とされている。第1甲板より下層の部分は船体内で密閉区画となることから、船体後部第2甲板レベルに設けられたダクトから給気されていたが、このダクトが陰圧となっていたため、「レキシントン」で発煙剤タンクが破損した時にこのダクトを通じて艦内に煙が充満するという事態になり、以後改良された。飛行甲板後部が搭載機で満載された状況に備えて、艦首側から飛行甲板前部に着艦が可能とするように船体の前と後が似たような形状 (Double-ended) になり、後進速度も設計考慮事項だった。また、艦首から艦尾までの着艦制動索が設置されていた。飛行甲板は長さ262.7m×幅32.9mを確保し、2基の油圧カタパルトが設置された。機種としては、当初予定のH-4型の開発は間に合わず、1番艦は当初カタパルトなしでH-2型を後日装備しており、H-4型の装備化は「レキシントン」以降となった。また飛行甲板以外にも、格納庫から横向きに直接射出できるよう舷側カタパルトも装備された。こちらは軽量な小型機だけに対応し、非使用時には上側に跳ね上げて格納する形式であった。しかし運用上メリットが少なく、1943年中盤には全ての艦から撤去された。アレスティング・ギアは、Mk.4 mod.3Aが10基前後搭載されたほか、のちに能力向上型のMk.5も装備化された。エレベーターは従来型のインボード式のもの(14.7m×13.5m、力量12.7t)を前部と後部に設置したほかに、左舷中央部に小型ながらもデッキサイド式のもの(18m×10m、力量8.2t)を装備し、計3基となった。対弾防御は高度1万フィート(3,048m)から投下された1,000ポンド (454kg) 爆弾を防ぎ、最上型の15.5cm砲に耐えることを目標とされた。これは当時の空母が巡洋艦を主力とする偵察艦隊と共に行動し、日本の偵察艦隊である第二艦隊と交戦した際に、戦闘に巻き込まれる可能性があると考えられたためだった。舷側装甲には63 - 102mm、格納庫の甲板部には63mm、機関室上部の装甲甲板に38mmの装甲板が貼られ、これにより15.5cm砲弾に対しては1万300mより遠方を安全圏とし、高度1万フィートから投下された1,000ポンド爆弾を格納庫甲板で防ぐことができるとされた。大戦中においても、日本軍機の250kgや500kg爆弾によって格納庫下部の重要区画への損害を受けたことはほぼ無く、装甲甲板下部にある機関区画に損害を受けたことは全くなかった。水中防御においてもTNT火薬500ポンド分の水中爆発を防ぎ、魚雷3本を同じ舷側に被雷しても沈まないことを目標とされた。この目標は達成されたものの、当時の戦艦が採用していた多層式液層防御よりは効果が劣り、ヨークタウン級より大きく改善されていないという評価もあった。また、大戦後期には対空火器増設によって復元性が悪化しており、「魚雷2本を同じ舷側に被雷した際は転覆する危険性がある」と艦船局が警告を出していた。主機関としては、圧力、温度450℃の高温高圧缶による蒸気タービン推進方式が採用された。抗堪性の観点から主機配置にはシフト方式が採用されており、艦首側から、前部ボイラー室2室、前部機械室、後部ボイラー室、後部機械室の順に配置された。このうち、前部機械室が外側2軸、後部機械室が内側2軸を駆動する。経空脅威の深刻化に伴い、対空砲火力はさらに増強されている。両用砲としては、連装のMk.32がアイランド前後に2基ずつ背負い式に、また単装のMk.24が左舷の前・後部のスポンソンに2基ずつと、計12門の38口径5インチ砲が搭載された。その射撃指揮はアイランド上のMk.37 砲射撃指揮装置2基によって行われたが、左舷側については視界が不足であり、一度は左舷格納庫甲板レベルに3基目のMk.37 GFCSが装備されたが、のちにこれは40mm機銃に換装された。ボフォース 40mm機銃は4連装マウントに搭載されており、当初は8基、のちに増設されて17・8基とされた。こちらは砲側のMk.51方位盤による射撃指揮を受けていた。レーダーとしては、対空捜索用にはPバンドのSKが、対水上捜索・航空機誘導用にはSバンドのSGが搭載されたほか、航空管制用の測高用としてSMが、さらに珊瑚海海戦の戦訓から予備の対空捜索レーダーとしてSC-2も搭載されていた。また大戦末期には対空・測高機能を統合したSXレーダーも配備されたほか、直上の目標に対処するため、航空機搭載用のAPS-6や陸軍のSCR-720を搭載した艦もあり、非常にバリエーション豊富である。アメリカ海軍では、1941年8月より、空母艦上に戦闘指揮所 (CIC) を設置していた。これは、急速に展開していく航空戦闘の様相に対応し、また、レーダー探知など、視認不能な敵情報を適切に把握するため、情報を統合的に集中処理するものであった。この試みは本級にも導入されており、当初はギャラリー・デッキに、後期建造艦では格納庫甲板より下のレベルにCICが設置された。大戦終結後、航空機技術は飛躍的な発展を遂げたことから、これに対応するため、運用プラットフォームたる本級も数次に渡る改装を受けることになった。大戦末期のジェット機の登場によって航空機の性能は飛躍的に向上したが、その一方、特に初期のジェット機は、失速速度が比較的速く(低速安定性が低く)、加速が悪く、機体重量が重かったことから、艦上機としての運用は困難なものであった。このため、まず1946年より (Ship Characteristics Board) 改修が開始された。本改修は当初、新鋭のミッドウェイ級への適用が検討されていたものの、改修のために新鋭空母が長期間戦列を離れることは許容しがたかったことから、まず当時建造中断だった本級の「オリスカニー」をSCB-27Aに準拠して改設計の上で建造再開することとされた。また同艦の完成を待たず、予備役艦を優先して改修が開始され、1949年の「エセックス」「ワスプ」を筆頭に8隻が改修された。SCB-27Aは、大重量のジェット艦上機の運用に耐えるよう飛行甲板とエレベータの構造を強化するとともに、カタパルトを油圧式の最終発達型であるH8に、アレスティング・ギアも一括して能力向上型のMk.5に更新するものであった。飛行甲板拡張のため、アイランド前後の38口径5インチ連装砲は撤去された一方、近接防空力強化のため、40mm機銃は新型のVT信管対応速射砲である50口径3インチ連装砲に換装された。また飛行要員の待機室は、防御を考慮し、ギャラリー・デッキから格納庫甲板下層に移されており、これに伴い、待機室から飛行甲板に簡単に移動できるよう、長大なエスカレーターが設置されている。一方、1951年末以降に改修された6隻はSCB-27Cと呼ばれる設計が採用された。これはイギリスから導入された蒸気カタパルトの技術を導入したもので、射出能力は飛躍的に増強された。「ハンコック」と「タイコンデロガ」にはイギリスから輸入されたブラウン・ブラザーズ社製BSX-1が装備されたのち、これをもとに蒸気圧を高めたC-11がアメリカで開発され、以後の艦はこちらに切り替えた。またカタパルト始点には昇降式のジェット・ブラスト・デフレクターが設置されるとともに、機体停止用のバリケードはナイロン・バリアに換装された。後部(第3)エレベータも、インボード式から右舷側のデッキサイド式に変更され、これにより本級のエレベータ3基のうち2基がデッキサイド式とされた。イギリスにおいては、蒸気カタパルトの発明に続いて、より発着艦を合理化できる飛行甲板設計としてアングルド・デッキが考案され、1952年2月より試験を行なっていた。アメリカ海軍でも、1953年より「アンティータム」において同様の試験を行った後、当時SCB-27C改修の途上にあった「シャングリラ」「レキシントン」「ボノム・リシャール」の3隻に対し、アングルド・デッキ化などを含む改修を同時に施行することとした。また1954年からは、SCB-27A/C改修施工済みの10隻も改修を受けた。本改修においては、同時に、アングルド・デッキと干渉する後部エレベーターが右舷側に移設されてデッキサイド式とされるとともに、艦首がエンクローズド・バウとされており、外見上も一新された。なお、本改修では、基本的にはカタパルトやアレスティング・ギアの更新は行なっていないが、最後に対象となった「オリスカニー」のみはSCB-125A設計とされ、カタパルトは蒸気式改良型のC-11-1に、アレスティング・ギアもフォレスタル級と同じMk.7に更新された。1950年代後半になると、上記の改修をどれも受けていない艦では艦上機の発達に追随できなくなり、航空母艦としての意義が希薄化していた。このことから1959年以降、「ボクサー」以下計3隻がヘリコプター揚陸艦として改修され、ボクサー級強襲揚陸艦として再就役した。なお「レイク・シャンプレイン」 (CVS-39)もLPH化が検討されていたが、これはキャンセルされており、これによって同艦は、本級としては唯一、SCB-27改修を受けただけで退役することになった。就役が太平洋戦争中期だったために対日戦に参加したのは約半数であるが、マリアナ諸島やフィリピン方面での侵攻作戦で活躍した。太平洋戦争後、本級はアメリカ海軍の主力空母となったものの、海軍の縮小に伴い、1948年までに半数以上の15隻が予備役編入されていた。しかしその多くが朝鮮戦争の勃発により現役復帰し、3年間の戦争期間中活躍して、当時根強かった空母不要論を打ち破る働きを見せた。この時期、冷戦のグローバル化が進んでおり、またA4D艦上攻撃機の登場によって本級も核抑止任務を遂行可能となったこともあり、本級の運用寿命延伸のため、戦争中より上記のSCB-27・ついでSCB-125改修が着手された。また1952年10月に新設された新艦種である「攻撃空母」 (CVA) にも、新型のミッドウェイ級やフォレスタル級とともに種別変更されている。一方、大戦中より、アメリカ海軍においては軽空母 (CVL) や護衛空母 (CVE) が対潜戦を担当してきたが、1954年に登場した新型の艦上哨戒機であるS2Fは、極めて高性能である一方でかなり大型の機体であり、これらの小型空母では運用困難となっていた。ミッドウェイ級やフォレスタル級など大型空母の増勢もあり、1953年より、まずSCB-27改装未実施艦が、新設された対潜空母 (CVS) に艦種変更されることとなった。その後、1956年からは、SCB-125改装艦からもCVSに艦種変更される艦が出始めており、最終的には「ハンコック」「ボノム・リシャール」「オリスカニー」を除く全艦がCVSとなっている。ただしベトナム戦争開戦時には、SCB-125/SCB-27C改装艦5隻がCVA籍に残っており、空対空・空対地任務に投入された。またCVS籍にあった9隻についても、航空機運用能力が高いSCB-125/SCB-27C改装艦2隻(「イントレピッド」「シャングリラ」)は攻撃機のみ60機を搭載する軽攻撃空母として運用されたほか、その他の艦も対潜哨戒・航空救難任務にあたった。一方、「フランクリン 」(CV/CVA/CVS-13, AVT-8) と「 バンカーヒル 」(CV/CVA/CVS-17,AVT-9)は、沖縄戦で日本軍の特攻機の攻撃をうけ大破したため、損傷箇所の修理は行われたものの、太平洋戦争終結後暫くして予備艦に編入されてからは一度も現役復帰することなく、大規模な改装を受けることはないままに60年代半ばには除籍された。しかし、エセックス級の多くの艦は、ベトナム戦争の後期には就役から30年を迎えており、ベトナム戦争の終結を待たずに予備艦となるか除籍され、最後まで攻撃空母として運用されていた「ハンコック」(CV-19)が1976年1月30日付けで退役し、空母としての現役艦は姿を消した。退役後もモスボール化されて保管されていた艦があったが、1990年代前半迄には殆どが解体処分され、「オリスカニー」が人工漁礁として利用するために2006年5月17日に海没処置されたのを最後に姿を消した。「レキシントン 」(CVS-16)は、1962年に「アンティータム」(CVS-36)から練習空母の任務を引き継ぎ、その後航空機発着練習艦(AVT-16)に艦種変更され、1991年に退役するまで48年間にわたり使用された。現在、「ヨークタウン」 (CVS-10)、「イントレピッド 」(CVS-11)、「ホーネット 」 (CVS-12)および「レキシントン」の4隻が保存され、特に「イントレピッド」はニューヨーク市マンハッタンで「イントレピッド海上航空宇宙博物館」として公開され、多くの観光客を集める観光名所となっている。アメリカ海軍艦艇のハルナンバーは、造船所への発注時に造船所ごとにまとめて割り振られるもので、日本海軍で就役順に同型艦の「第X番艦」と数えるのとは全く違う概念である。CV-9からCV-15はニューポート・ニューズ造船所への発注分(第二次海軍拡張法による1隻と第三次海軍拡張法による2隻を1940年7月に発注、両洋艦隊法による4隻を同年9月に発注)に、CV-16からCV-19はベスレヘム・スチール株式会社への発注分(両洋艦隊法による4隻を1940年9月に発注)に割り当てられ、真珠湾攻撃の8日後にブルックリン海軍工廠とニューポート・ニューズ造船所に発注された分には、それぞれCV-20とCV-21が当てられた。そのため、エセックス級空母の就役順(日本海軍艦艇の「第X番艦」に相当)は、ハルナンバーの順と異なっている。

出典:wikipedia

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