キーラ・リンダ・カトリーナ・コルピ(, 1988年9月26日 - )は、フィンランド・タンペレ市出身の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。2006年トリノオリンピック・2010年バンクーバーオリンピックフィンランド代表、2012年欧州選手権2位、フィンランド選手権優勝5回。趣味はスノーボード、読書(好きな小説はハリー・ポッターシリーズ)、ヨーガ、バレエ、ダンスなど。好きな食べ物はアイスクリーム。語学が堪能で、公用語のフィンランド語、スウェーデン語に加えて、英語とドイツ語を話す。得意な学科は生物。高校の卒業試験と例年3月に開催される世界選手権の時期が重なってしまうため、4年かけて卒業した。現在は に入学し、企業経営を学んでいる。 自身がデザインするスポーツ衣料ブランドを持っている。父親のラウノ・コルピは有名なアイスホッケーのコーチで、1998年長野オリンピックではフィンランド女子チームを銅メダルへと導いた。地元タンペレの通称と呼ばれるアイス・スタジアムを練習拠点としている。6月から7月にかけてハカメサは閉鎖されてしまうが、近年はその期間を海外での合宿に充てている。2005年はアメリカ合衆国のカリフォルニア州レイク・アローヘッド、2006年はエストニアのタルトゥとスペインで合宿を行なった。2007年は同じくタルトゥでアレクセイ・ミーシンらの指導を受けた。トゥルクに住んでいた4、5歳のころ、2歳年上の姉ペトラ(Petra)の影響もありスケートを始めた。父の仕事の関係で1年間をオーストリアで過ごした後、タンペレに戻ったころから本格的にスケートの練習に取り組むようになる。11、12歳のころには3回転ジャンプをマスターし、2001年にはトリグラフトロフィーノービスクラスに初出場。2002-2003シーズンからジュニアクラスに移行し、ISUジュニアグランプリでは2度表彰台に立っている。2004-2005シーズンからはシニアの競技会にも出場し、2006年欧州選手権、トリノオリンピック、2006年世界選手権の活躍を通して世界的にも注目されるようになる。2006-2007シーズンから本格的にシニアに移行。体調不良もありフィンランド選手権で4位にとどまるが、欧州選手権では持ち直して3位となった。2007-2008シーズン、初戦のフィンランディア杯では5位と振るわず、グランプリシリーズスケートアメリカは病気で棄権した。フィンランド選手権ではラウラ・レピストに逆転されて僅差の2位。欧州選手権では5位。世界選手権では9位となった。2008-2009シーズンは、秋に原因不明の脚の不調などに悩まされた(未だに原因はわかっていない模様)。リンクでの練習すらできない時期もあり、フィンランディア杯、グランプリシリーズなどをすべて棄権。リハビリに耐える日々が続いた。12月に本格的な練習ができるようになり、復帰後の初戦となったフィンランド選手権では自己ベストを更新する得点で優勝。欧州選手権への出場権を手に入れた。欧州選手権ではFSの演技開始後まもなくして、大きく転倒をし演技を中断。その後、演技を再開して総合5位となった。しかし、フィンランドの世界選手権の代表枠は2つだったために、フィンランド出場選手で最も下の順位だったコルピは選出されなかった。2009-2010シーズン、シニアのグランプリシリーズで初のメダルとなる銀メダルを中国杯で獲得。欧州選手権ではパーソナルベストを出す演技で2位につけたが、FSで崩れ総合4位に終わった。バンクーバーオリンピックでは前回のトリノよりも上の11位だったものの、世界選手権では過去最低の19位だった。2010-2011シーズン、エリック・ボンパール杯でシニアのグランプリシリーズ初優勝を飾った。SPで首位に立った欧州選手権では、前年と同じようにFSで崩れたが、4年ぶりの銅メダルを獲得した。2011-2012シーズン、グランプリシリーズではロステレコム杯で5位、NHK杯で6位とあまり良い成績は残せなかった。欧州選手権では、自己最高位の銀メダルを獲得した。しかし世界選手権は怪我の為、事前に出場を取り消す形となった。2012-2013シーズン、フィンランディア杯で2位。グランプリシリーズの中国杯では3位。ロステレコム杯では2年ぶりにグランプリシリーズでの優勝を果たし、自身初そしてフィンランドの選手では初めてのグランプリファイナルへの出場を決めた。アキレス腱の炎症が原因で、欧州選手権への出場は辞退した。世界選手権も同じ理由で出場を辞退した。7月にはコーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、練習拠点をカリフォルニア州のレイクアローヘッドに移した。2013-2014シーズン、ソチオリンピックの最終予選であるネーベルホルン杯を左足のアキレス腱の部分断裂により欠場。最終的にはシーズン全ての試合を欠場するに至った。4月には手術を行い、6月末からはアメリカに戻り練習を始めた。2014-2015シーズン、ドイツに練習拠点を移した。ゴールデンスピンにて2年ぶりに競技に復帰し優勝。欧州選手権ではSP4位だったが、腹痛と発熱が理由でFSは棄権した。世界選手権ではジャンプの失敗が響きSP31位で、初めてFSへの進出を逃した。2015年8月27日、会見を行い競技からの引退を発表した。現在、または過去に活動の支援を受けた企業は以下の通りである。マクドナルド(活動支援)、ヴァリオ(, 乳製品メーカー、活動資金援助)、ボルボ・カーズ(新車提供:新型車ボルボC30)、プーマ(スポーツウェア、シューズ提供)、Astavita(サプリメント)、Stella Speio(大会衣装、アクセサリー)、Unikulma(ベッドメーカー)、Lumene(化粧品メーカー)、VO5(ヘアスプレー)、アウディなど。また、Piruetti(スポーツ衣装メーカー)やBling Team(派手なスタイリングとヘアメイク、撮影を手掛けるチーム)などのモデルも務めている。2007年からは、フィギュアスケートを取り巻く環境を整備してもらう条件でタンペレ市の広告塔を務めることに合意。フィンランドフィギュアスケート連盟、タンペレ市と調印した。2011年、日本において、大分県に本社を置くサラヴィオ化粧品の広告モデル、そしてNHK BSプレミアム「北欧特集」キャンペーンキャラクターに起用された。
出典:wikipedia
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