ペンタックスの銀塩一眼レフカメラ製品一覧:35mm判 (ねじ込み式マウント)とは、ペンタックス(旧:旭光学工業)が発売したねじ込み式マウントの一眼レフカメラのシリーズ製品一覧記事である。本項目においては、アサヒペンタックスシリーズ(プラクチカマウント機)とは、旭光学工業より発売された『アサヒペンタックス(以降はAPと記述する)』より『アサヒペンタックスSPII』までの一連のプラクチカスクリューマウント(以降はPSマウントと記述する)採用機種のことを指すものとする。一連のアサヒペンタックスシリーズ機が世界中に普及したことから、PSマウントのことをペンタックススクリューマウント("PENTAX Screw Mount" )と呼ばれるほどにまでなった。アサヒフレックスからの大きな変更点は、ペンタプリズムを搭載したこととPSマウントへの変更である。ペンタプリズムを搭載したことによりアイレベルでの撮影が可能になった。このことで世界的な大ヒット商品となり、多くのカメラメーカーが一眼レフカメラの開発に転換し、このことから市場で日本製ペンタプリズム搭載型一眼レフカメラが欧米製レンジファインダーカメラに替わる標準機となっていった。まさに現在のレンズ交換式一眼レフカメラの雛型と言えるカメラとなり、デジタル化した現在においてもその構図は変わっていない。またマウント口径が37mmから42mmに拡大されたことでレンズの光学設計の自由度が大幅に向上し、超広角から超望遠、その他の特殊撮影用までの充実したレンズ製品を揃えることができシステムカメラと呼ばれるまでになった。レンズのブランド名は引き続きタクマー銘を採用したものの、このアサヒペンタックスシリーズのヒットとともに世界のタクマーレンズとまでなったのである。元来『アサヒペンタックス』とは一カメラの製品名であったが、後継機種が発売されシリーズ化され、後の機種はすべて『アサヒペンタックス○○』と命名されたことにより、実質上シリーズ名となった。後にブランド名となり、一眼レフカメラだけに限らずすべての製品名に冠されるようになった。2002年にはついに社名となる。アサヒペンタックス系シリーズとは、初代機『アサヒペンタックス(以降はAPと記述する)』のボディをベースに派生した『アサヒペンタックスS2スーパー』までの機種を指すものとする。『アサヒペンタックスSP』以前の機種はボディ内蔵式であるTTL露出計が搭載された機種はなく、すべて電気供給なしで動く「完全な機械式カメラ」であるため、現在においても清掃、調整によって完全稼動する機体が多い。またペンタックスのカメラの構造は当時の他社製品と比較しても非常に分解、組み立てがしやすいため、相応の技術を習得している者ならば自前である程度の調整、修理が出来る。そのため現在においても愛用している愛好家がいる。ここでいうスポットマチック系シリーズとは、1960年の"フォトキナ60"にて出品され、世界初の35mm判一眼レフカメラにTTL露出計による測光機能を搭載し、話題を呼んだ試作機『スポットマチック』("Spot Matic" )の製品版である『アサヒペンタックスSP』をベースとする"後期型"アサヒペンタックスシリーズ機とする。まず、高級一眼レフカメラを開発する、といった意図のもとに開発が始まった。筐体を新設計し各部の機械構造の耐久性を全面的に強化しつつ、従来までの機種とのサイズは変えない、というのがおおまかな構想だったという。そのため、従来のボディのマウントエプロン部を板金プレス加工から一体成形のアルミダイカストに変更、ボディの剛性仕上げ加工の精度が大幅に向上された。各部デザインも非常に気を遣われ、使い勝手と高級感を両立させるべくデザインされた。また低温に弱いフォーカルプレンシャッターの耐久性の強化にも重点が置かれ、開発段階ではチタン幕などの金属幕の採用も検討された。最終的にはゴム幕で実用レベルに達したものの、この時の研究成果が後の『アサヒペンタックス6×7』、『ペンタックスLX』で活かされることとなる。また並行開発されていた内光式露出計(TTL露出計)の構想と統合され、1959年にTTL露出計内蔵式カメラとしての仕様が固まった。当初は製品版とは異なり、ボタン操作によってスポット測光用のCdS露出計が取り付けられているアームが繰り出す仕組みであったが、ファインダー視野に"異物"が見える方式が試用にあたった写真家の不評を買ったため断念することになり、現在の多くの一眼レフカメラで採用されているファインダー周囲に露出計を配置する方針に転換する。そして、当時のCdSの性能の問題もあって精度を重視した結果、スポット測光式から平均測光式に仕様が変更された。絞り込み測光の採用も、当時の技術では精度的に信頼性が高かったためである。すでにアサヒペンタックスS3にて完全自動絞りを実現していたことから、実際に1966年のフォトキナにて内径44.5ミリのバヨネットマウントを実装して開放測光絞り優先AE一眼レフカメラペンタックスメタリカ("Pentax Metalica" )が試作・発表されているなど、現場からは将来的な機能拡張を考慮してバヨネット式マウントへの変更案が出されていた。同時に発表されたペンタックス6X7のプロトタイプにあたるペンタックス220は当初よりバヨネットマウントを採用しており、いずれペンタックスがバヨネットマウントに移行するであろうことは1960年代中ごろにはすでにカメラ雑誌上で取り沙汰されているが、この時点ではシステムの総入れ替えのリスクを回避するため保留された。ところがアサヒペンタックスSPがTTL測光などの数々の新機構を取り込みながらもボディサイズは従来と変わらない小型軽量を実現して予想外のロングセラーとなり、そのバリエーション機は累計350万台生産され、マウント変更の機を逸してしまう。しかし研究開発は続けられ『6×7』、後のKマウントにて結実することとなる。この後各社の一眼レフカメラにも続々とTTL測光が採用され、徐々にAE化とレンズとボディの高度な連動性への要求が高まってきたものの、旭光学工業は互換性を重視しついにPSマウントのままで『アサヒペンタックスES』によって電子シャッターの採用によるAE化を実現した。このPSマウントシリーズ機種はESの後継機であるアサヒペンタックスES IIをもって完成を見るが、残されたいくつかの課題は次世代のバヨネット式Kマウント機種に託されることとなった。開放測光が主流になった後も、絞り込み測光式のアサヒペンタックスSP IIが、アサヒペンタックスSPの復刻として製品化された。
出典:wikipedia
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