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ギルガメシュ叙事詩

『ギルガメシュ叙事詩』(ギルガメシュじょじし)は、古代メソポタミアの文学作品。実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュをめぐる物語。本項では特に記載がない限り、アッカド語、特にアッシリア語の翻訳名と内容に基づいて叙述した。また、ときに『ギルガメシュ叙事詩』の略称に「叙事詩」を用いている。1172年に遺跡訪問が行われて以降、各国の研究者が調査と発掘を繰り返してきた。1854年、イギリスの調査団が多数の発掘品を掘り起こし、大英博物館へ持ち込まれると、1858年にはアッシリア語の解読が公式に認められた。楔形文字で粘土版に記された『ギルガメシュ叙事詩』の断片が最初に見つかったのは1872年のことで、それは1853年にホルムズ・ラムサン()によってアッシリア遺跡から発見された遺物の1つに記されていた。大英博物館の修復員であるジョージ・スミス()が解読を進め、『聖書』と対比される「大洪水」の部分を見つけたのである。この発見と発表は大きな旋風を巻き起こし、有名になった。初めのうちは神話と見なされていたが、その文学性に注目が集まり19世紀末には更に研究が進み、G・スミス没後15年の時を経た1891年、1人の研究者が登場人物の名を「ギルガメシュ」と初めて正しく読むことに成功する。以降1900年の独訳を嚆矢に各国語への翻訳が進み、各地の神話、民話との比較が盛んになる。1930年にはセム語を用いた『ギルガメシュ叙事詩』をカムベル・トムソンが刊行し、それは後の翻訳に関する全ての基盤となるとともに、各著者によって叙事詩の改訂増補が成されていった。主人公のギルガメシュは紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王であるが、後に伝説化して物語の主人公にされたと考えられる。最古の写本は、紀元前2千年紀初頭に作成されたシュメール語版ギルガメシュ諸伝承の写本。シュメール語版の編纂は紀元前3千年紀に遡る可能性が極めて高い。叙事詩を構成する個々の題材が、シュメール時代には既に流布していたことを示している。時代が下がるとともに主題や思想が組み込まれ、シュメール伝承を基に紀元前1800年頃に最初のアッカド語版が完成すると、中期バビロニア版、ヒッタイト語版、フルリ語版など様々な方言に区分されるようになる。標準版と呼ばれるものは、それらの区分された版とは別に標準バビロニア語を用いて編集されたアッカド語版のことを指す(紀元前12世紀成立)。アッカド語にはアッシリア語や古バビロニア語など、方言程度の違いを有する幾つかの言語を含み、特にどの方言か明瞭でない場合にアッカド語、またはセム語と呼称する。和訳は矢島文夫により完成し、1965年に山本書店から、その33年後には文庫化に伴い、『イシュタルの冥界下り』を加えた増訂版がちくま学芸文庫として筑摩書房から刊行された。後者はシュメール語版を基にアッカド語で編集されたニネヴェ語版のうち、現存する2000行により知られている。全体として物語が首尾一貫することを重要視して訳・編成されたため、史料的な翻訳書であるとは限らない。ウルク都城の王ギルガメシュは、強き英雄であると同時に暴君でもあった。その横暴ぶりを嘆いた市民たちの訴えを聞いた天神アヌは、女神アルルにギルガメシュの競争相手を造るよう命ずる。アルルは粘土からエンキドゥを造り、ウルクから少し離れた野に置いた(写本そのものが粘土板から作られていることにも注意)。エンキドゥは初め人の姿を持たず、野獣のように暮らしていた。エンキドゥに狩りを妨害されたと言う狩人親子の助けを聞いたギルガメシュは、エンキドゥのもとに娼婦シャムハトを遣わす。エンキドゥはシャムハトの魅惑に惹かれ、6夜と7日を共に過ごした。その過程で野にいた獣たちから孤立し力も弱くなるが、着衣や飲食などの作法を覚え、姿も人間らしくなっていった。シャムハトからギルガメシュのことを聞き、仲間が欲しいと思い喜び勇んでウルクに向かうエンキドゥと、近々やって来るエンキドゥという男と友人関係になることを夢で見ていたギルガメシュ。2人は顔を知る前から互いを意識していたが、ギルガメシュが国の花嫁を奪い去るという噂を耳に挟んだ瞬間エンキドゥは憤激し、出会って早々、大格闘を繰り広げる。結局のところ決着がつかず、2人は互いの力を認め合い深く抱擁を交わして親友となった。彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。昔日の暴君とは異なるギルガメシュと、野人としての姿を忘れ去ったエンキドゥはウルクの民から讃えられる立派な英雄となっていた。だが、冒険の果てに彼らを待っていたのは決してかんばしいものではなかった――。他の神話や伝承では各々が叙事詩と違う関係性を持つ者同士もいるが、この項目では特に触れないものとする。通称アッカド語版「全てを見たる人」として導入されるギルガメシュを讃える叙述から始まり、「周壁持つウルクの守り手」、「強く見目良く賢い人」、などの紹介が続く。彼はウルクの王で、2/3が神、1/3が人間の半神半人であった。腕力の強いギルガメシュの競争相手にと、アルルは粘土からエンキドゥを造る。神聖娼婦シャムハトとエンキドゥが出会う。 シャムハトはエンキドゥに人間の食物を与えたりと人間らしさを培った。シャムハトに連れられエンキドゥはウルクを訪れる。ギルガメシュとの格闘の後、エンキドゥとギルガメシュは互いの力を認め友だちになる。ギルガメシュは杉を持ち帰るため、杉の森に住む怪物フンババを倒すことをエンキドゥに提案。ギルガメシュは母である女神ニンスンを訪問すると、ニンスンは太陽神シャマシュに2人の加護を祈り、エンキドゥを養子に迎え入れる。2人の森への遠征を、ウルクの民たちは祝福し送り出す。長老たちは初め、フンババとその見張りは強いので危険であるとし、ギルガメシュに「年が若いから気持ちがはやっている」と言って遠征に反対したが、シャマシュの加護があることを祈って結果的に承諾することとなった。杉の森はシャマシュが所轄しているため、遠征に際しその成功と無事を祈祷する前、ギルガメシュがシャマシュに杉森への立ち入りを申し出て許可をもらうシーンがある。アッカド語版で言う杉とはレバノン杉と同定であるが、しばしば香柏とも言われ、針葉樹一般を指す。またその目的地は西方となっているが、一説には東方に位置するザグロス山脈にあたる地域であるとも考えられている。2人は45日分に及ぶ距離(1500㎞)を3日間で歩いた。更に歩き進め森の入口に到着すると、フンババの手下がいて見張りをしていた。それを見たギルガメシュは怖気づくが、エンキドゥとシャマシュの励ましを受け、見張りの者たちと戦う。エンキドゥは呪いの掛かった門に触れて手に思わぬ痛手を負うも、今度はギルガメシュが励まし、2人は森へ入って行く。シャマシュはギルガメシュに、杉森までの案内役として合成獣とおぼしき遣い魔、または守護霊を与えている。杉の森に向かう途中、ギルガメシュは連日に渡り夢を見ており、エンキドゥはそれらの夢をシャマシュによる加護があることを告げる吉兆だと解いた。そして現に事実となる。2人が森へ入る直前、「フンババはまだ7つの鎧の内1つしか身につけていないから、今のうちに急いで打ち倒しなさい」と言うシャマシュの助言を受け、2人は急いで山に近づく。その時フンババが異変に気付き、洪水の如く激しい叫び声を上げたために2人は怖気づいてしまう。4版は破損が多く、推察されたものが多い。補足内容は月本訳に準拠したもの。2人は杉の森に入る。杉の立派さに心を奪われるが、ほどなくしてフンババが駆けつけてきた。戦いが始まると、山は揺れ空は暗くなる。シャマシュは「恐れるな」と声を掛けると、「大なる風、北風、南風、つむじ風、嵐の風、凍てつく風、怒涛の風、熱風」に及ぶ8つの風を起こして援護し、フンババを降参させた。するとフンババが命乞いをするので、ギルガメシュは聞き入れようとするがエンキドゥは殺すことを勧める。ギルガメシュが第1撃を、エンキドゥが第2、第3と切り付けフンババは息絶えた。山はざわめきを上げて静まり返り、森にも静けさが戻った。2人は杉を伐って船を造り、杉の大木とフンババの首を持ってウルクへ帰還する。矢島訳では第5の書版に夢解きの内容が入り、フンババとの戦いに関しては比較的控え目な演出となっている。月本訳においては夢解きが第4版に記され、第5版はフンババとの戦いを中心に会話が幾らか多めに展開する。例として、フンババが「お前の喉と首を噛み砕く」と言ってギルガメシュを脅したり、エンキドゥにはギルガメシュを連れてきたことに不満と疑問を漏らした。古バビロニア版ではフンババの最期をフンババが持つ7層の光輝に倣って「7つの恐れが殺された」と表現しているほか、シュメール版ではギルガメシュが策略を用いて知将性を発揮するなど、フンババ征伐までの流れは粘土板によってバリエーション豊かである。ただしシャマシュが介入していることと、エンキドゥのフンババを絶対に始末する、という姿勢に大きな差異は認められない。エンキドゥがフンババの命乞いを却下したのは、フンババの反撃、或いはエンリルに密告されることを恐れたためである(ギルガメシュとエンキドゥはフンババを森の番人として差し向けたのがエンリルだと知っていたことが、文中から読み取れる)。その実エンリルを怒らせないための対策として、2人はあらかじめエンリルの住むニップル市にユーフラテス川から杉を運び込み奉納していたが、エンリルはギルガメシュたちが持ち帰ったフンババの首を見た途端、激怒している。その後エンリルはフンババが持つ7層の光輝を地上の各地に振り分けるという処置を行い、フンババ征伐一連の物語は締めくくられる。ウルクに凱旋したギルガメシュは髪を洗い身を清め、王の衣服を纏った。その美しく立派な姿に目を上げた愛と美の女神イシュタルは、すぐさま彼に求婚する。ギルガメシュは「あなたをもらうのに何を差し上げたらよいのか」と語り始めると、イシュタルの愛人(配偶神ドゥムジなど)の悲惨な末路を数え上げ、その不貞を指摘し求婚を断った。イシュタルは立腹し、ギルガメシュを殺害しウルクごと滅ぼすため、父アヌに聖牛グガランナを送ることを求めるがアヌは拒否する。イシュタルは冥界から多数の死者を蘇らせ、地上に生ける者を喰わせると言ってアヌを脅し、グガランナを造らせた。グガランナがイシュタルに導かれウルクを破壊していくと、ユーフラテス川の水位が下がり、地上はえぐられ、多くの人間が命を落とす。ギルガメシュとエンキドゥはウルクの危機に駆けつけ、2人協力してグガランナを倒しその心臓をシャマシュに捧げた。更にイシュタルは怒り、ギルガメシュに向かって呪いを吐いた。怒ったエンキドゥは雄牛から腿を引きちぎり、それをイシュタルの顔面に投げつけて「お前も成敗してやろうか」などと言い放つ。イシュタルは退き、嘆いた。ウルクは歓喜し、2人の英雄ギルガメシュとエンキドゥを讃えた。その夜、エンキドゥは不吉な夢を見た。その内容をギルガメシュに語り出す。「何故、大神は会議を開いているのか」。イシュタルはギルガメシュ凱旋の噂を聞きつけ、その様を見ようとエアンナから王宮へ出掛けた際に惚れたようである。また、イシュタルと結婚することは「聖婚儀礼」に連結し、「神の座に就くこと」を意味する。ギルガメシュは半神でありながら、常に人間の側に立った行いをしてきた王であり、神格化することに己の崩壊を垣間見た。故にギルガメシュがイシュタルの求婚を受け入れなかったのは、自身の神格化を拒絶したということに等しい。ギルガメシュは雄牛を始末した後、ラピスラズリで出来た角に入っていた約250リットルの油をルガルバンダに贈り、角の方はギルガメシュが自身の寝室に飾った。シュメール版では異なり、ギルガメシュは雄牛の肉を貧しい子どもたちに分け与え、角はイシュタルに奉献されている。以下エンキドゥが見た夢の内容によるもの。森番フンババと聖牛グガランナを倒したために、2人のうち1人が死なねばならぬとアヌは言った。エンリルはギルガメシュの死を望まず、「エンキドゥが死ぬべきだ」と言った。シャマシュは「(ギルガメシュたちは)自分の命令に従って牡牛どもを殺したのに、何故エンキドゥが死なねばならぬのか」と反論する。エンリルは答えた。「何故ならば、お前(シャマシュ)は毎日あの2人(ギルガメシュとエンキドゥ)の仲間であるかのように行動するからだ」。エンキドゥは夢を語り終えると、病み倒れて泣いた。エンキドゥの涙を見たギルガメシュはエンリルに祈りを捧げ裁判のやり直しを望むが、エンリルは聞き入れなかった。エンキドゥはシャマシュの前で泣きシャムハトを呪うと言い出すので、シャマシュは「シャムハトのお陰で人間らしくなれ、ギルガメシュという親友ができた」と言って励ましエンキドゥの心を落ち着かせた。後にエンキドゥは冥界にいる夢を見て、死が近いことを悟る。熱病に倒れてから12日目、ギルガメシュとこれまでの思い出を語り合い、共に冒険し苦難し寄り添った親友に看取られながら、エンキドゥは息を引き取った。夜明けの光とともに、ギルガメシュはエンキドゥを哀悼する。ラピスラズリや金で出来た立派な像を作り、紅玉石の入れ物に蜜を詰め、青玉石の入れ物にはバターを詰め、これらを飾った物を奉納した。様々な副葬品を用意してそれらが「彼(エンキドゥ)の傍に行くように…」とシャマシュに祈り、ウルクの民たちと共に手厚く葬儀を行った。埋葬を終えたギルガメシュは荒野を彷徨い、エンキドゥの死にはげしく泣いた。次第に死の恐怖に怯えるようになり、ギルガメシュは永遠の生命を求め旅立つ決意を固めた。「大洪水」の生存者、神によって妻とともに不死を与えられたウトナピシュティムに、不死のことを聞き出すための旅である。ギルガメシュは地の果てでマシュ山()の双子山に着く。そこには門を守る2人のサソリ人間が居た。サソリ人間たちはギルガメシュが半神であることを見抜き、何故こんな所までやって来たのかを問うた。ギルガメシュは訳を話すが、サソリ人間は「この先の山は暗闇に包まれ、入ってしまえば出ることは出来ない」と言ってギルガメシュを引きとめる。しかしギルガメシュの意志は固く、ついにサソリ人間は山の門を開いた。ギルガメシュは120kmの暗闇を歩き抜き、宝石やブドウで満ちた木々がある楽園へ辿り着いた。シャマシュはギルガメシュの姿を見て困惑し、どこまで彷徨い歩くのか尋ね、「求める生命が見つかることはないだろう」と話す。ギルガメシュは自分なりの答えを言い、先へ進んだ。ギルガメシュは海辺で酒屋の女将シドゥリに出会い、旅の目的を尋ねられたのでこれまでの経緯を話す。ここでもシドゥリから「求める生命を、あなたが見つけることは出来ないでしょう」と言われ、人間はいずれは死ぬものだという人生のあり方を示される。それでもエンキドゥの死によって苦しむギルガメシュは考えを変えず、海を渡る道を教えてほしいと頼んだ。シドゥリはギルガメシュの胸中を悟り、船頭ウルシャナビを紹介する。ギルガメシュはウルシャナビに名を告げ、2人は死の海を漕ぎ出した。船がウトナピシュティムの島に着くと、ギルガメシュは旅の目的をウトナピシュティムに話した。訳を聞いたウトナピシュティムは、ギルガメシュに「神々に創られし者であるならば、そこに必ず命は定められるのだ」と語る。ギルガメシュは更に教えを請うと、ウトナピシュティムはどのようにして不死を手に入れたか、その秘事を明かし始めた。  エア神の説明によりウトナピシュティムは船をつくり、自分と自分の家族、船大工、全ての動物を乗船させる。6日間の嵐の後に人間は粘土になる。ウトナピシュティムの船はニシル山の頂上に着地。その7日後、ウトナピシュティムは、鳩、ツバメ、カラスを放つ。ウトナピシュティムは船を開け乗船者を解放した後で神々に生贄を捧げると、その匂いにつられて多くの神が集って来た。生き残った者がいることを知ったエンリル神は怒り、ニヌルタ神は言った。「エア以外に誰がこんなことをしようか」と。エア神は「洪水など起こさずとも、人間を減らすだけでよかった」、「ウトナピシュティムに夢を見させただけで、私は何もしていない。彼らがただ賢かったのだ。今は助かった者たちに、助言を与えるべきであろう」と話す。そしてエンリル神はウトナピシュティムに永遠の命を与えた。ウトナピシュティムは遥かなる地、2つの川の合流地点に住むこととなった。ウトナピシュティムが話し終え、6日6晩の間眠らずにいてみよと告げるが、ギルガメシュには眠りが雲のように漂った。妻に促されたウトナピシュティムがギルガメシュを起こすと、ウルシャナビに彼を洗い場へ連れて行ってやるように言う。洗い終えたギルガメシュはウルシャナビと船に乗った。ウトナピシュティムは妻のとりなしにより、ギルガメシュを呼び寄せ若返りの植物「シーブ・イッサヒルアメル」が海の底にあることを教える。ギルガメシュは足に石の重りを付けて海底を歩きその植物を手に入れるが、帰還途中、泉で水浴びをしている間に蛇がその植物を取って行ってしまった。ギルガメシュは泣き、ウルシャナビと共にウルクへ到着する(物語の終わり)。旅の成果がギルガメシュにとっていかがなものであったかに注目が及ぶが、不死を得た者が言うには、永遠の命は神々からの贈り物であってウトナピシュティム自身があずかり知ることではなかった。ギルガメシュは若返りの薬すら手に入れられず、最終的に永眠しているため、旅の果てに永遠の命を諦めたとも、最後には死の恐怖を克服したとも受け取れるというが、こういった締めくくり方は書き手によって表現、判断が異なる傾向にある。粘土版 1-11 とは独立。神々の名がシュメール語で呼ばれていることにも注意。天地が創造されてしばらく経ったある時、ユーフラテス川のほとりに柳の木が生えていた。木が南風により倒れると、川の氾濫が起きて柳の木が流されていく。これを見つけたイナンナによって椅子と寝台にする目的で聖なる園に植えられる。ところがその木に蛇やズー、リリトが棲みついてしまった。イナンナの悲嘆を知ったギルガメシュは蛇を撃ち殺し、ズーとその子ども達は山へと、リリトは砂漠へと逃げていった。ギルガメシュの家来たちによって木は切り倒され、イナンナはその礼に木の根元から太鼓と撥を作り、ギルガメシュはこれを受け取る。ところが、詳細は不明だが若い娘たちの叫び声が原因となって太鼓と撥は大地の割れ目から地下(=冥界)に落ちてしまった。そこでエンキドゥが冥界に向かうこととなり、ギルガメシュはあらゆる注意事項をエンキドゥに言い聞かせるが上手く伝わっておらず、エンキドゥはタブーを破って冥界に囚われてしまう。ギルガメシュはエンリルに助けを求めるが取り合わず、エンキに助けを求めると彼は承諾した。最後は冥界にいるエンキドゥが、エンキとウトゥの助けによって影(すなわち魂)のみ地上に戻る。その後はエンキドゥにより冥界の様子が語られる。題名は『ギルガメシュとエンキドゥと冥界』、古代の書名は『古の日々に』。古バビロニア時代(紀元前2000年頃)では学校の教材にもなっていた。全文およそ300行を越える長さの物語だが、まったく神話風のものとなっていて解釈が難しく、前版との続き具合も明らかに不自然である。天地創造から始まる複雑な内容でもあり、叙事詩本編からは完全に切り離されて収録された。文学性は「死後の世界」と「生死観への答え」であり、第8版に見るエンキドゥの埋葬儀礼にその背景が示される。当時シュメール人は、人は死んだら冥界に行くものと考えていた。死者が冥界で歓迎されることとそこでの暮らしが難儀にならないよう、葬儀は手厚く執り行い、埋葬後も死者へ供物を捧げる習慣があった。そういった故人を懇ろに扱うことの必要性を説いているとされる。『ギルガメシュとアッガ』、『ギルガメシュの死』という2つの説話は、叙事詩では全く伝えられていない。前者は歴史的物語、後者は名の通りギルガメシュの最期にまつわるエピソードである(本来シュメール語でのギルガメシュの名はビルガメシュだが、引き続きアッカド語名で記述)。キシュの王アッガはウルクの王ギルガメシュに使者を送った。使者たちは「井戸を空にすること」という難題を命じる。これは「ウルクの人々がキシュのために水汲みの労働をすること」、間接的にウルクはキシュに屈伏すべきという意味を含んでいる。ギルガメシュは長老会と若者会(=民会)に対応を諮り、開戦することを決めた。ウルクはキシュに包囲され、エンキドゥ含めウルク側の戦士も立ち上がったが、ギルガメシュの恐るべき畏怖によって敵軍は総崩れし、キシュ王アッガを捉える。ところがギルガメシュはアッガに情けを掛け、キシュへ帰還することを許した。物語はギルガメシュを讃えたところで終結する。『シュルギ王讃歌』やシュメール王名表によれば、エンリルが起こした大洪水後、王権はキシュに降りたが、その後ギルガメシュがアッガに戦勝したことでウルクに王権が移ったと伝えられている。この背景を踏まえて物語を振り返ってみると、『ギルガメシュとアッガ』が史料的・歴史的事実の反映を伝えているのは明らかである。叙事詩から除外されたのも、他の書版と比較して英雄的であるというより幾分か歴史的であるということが影響した。また、物語にはイナンナ(イシュタル)が関与しており、『ギルガメシュとアッガ』は「論争詩」というシュメール文学の一分野に筋立てされた論争的モチーフで描かれている。イナンナがギルガメシュとアッガ、どちらが自分に相応しいかを戦の女神としての視点から観察しており、更にはギルガメシュの手指が綺麗であるという観点から、イナンナ自身の目線で好む男性はギルガメシュの方ではないだろうか、という彼女の主観が示されている。論争的モチーフを介して都市と都市の対立を語る作品であると認められながらも、『ギルガメシュとアッガ』に安易に史実を見出してはならないとの指摘もある。ギルガメシュの人間離れした英雄性を伝えるという点では、叙事詩の枠を飛び越えれば数あるシュメール文学の中で比肩しても明確には孤立しておらず、孤立していたとしてもそれが史実の反映に直結するとは言えない。故に戦争や征服に関する客観的な記録ではなく、ギルガメシュの英雄的功業を讃えることやイナンナの好意を競うことに主題を見出すことも可能である。ギルガメシュは不老不死の秘薬を求める旅から帰国した後も王として国を治め、城壁を完成させるなど成すべきことを果たしたとされている。ギルガメシュは死が近くなるとエアの薦めで墓の造営に取り組み、冥界の女神エレシュキガルの住まう宮殿の神々に供物を捧げて眠りについた。王の最期をウルクの民は嘆き悲しみ、その死を悼んだ。死者を弔うことや副葬品を用意することの意味が間接的に伝えられるが、物語の主人公が死んでしまってはまとまりが悪いとして、叙事詩に取り入れられることはなかった。代わりに第8版で描かれたエンキドゥの埋葬が対応している。世界最古の教養小説として名高く、友情の大切さや、ギルガメシュとエンキドゥの成長、自然と人間の対立など、寓話としての色合いも強い。叙事詩は12の書版で成り立つが、ギルガメシュに焦点を当てると大きな5つのまとまりに振り分けることができる。前半はエンキドゥとの出会いとフンババ征伐、繋ぎにイシュタルの誘惑、後半にエンキドゥとの別れと不死の探求という5つである。ギルガメシュの前半における英雄的信条がエンキドゥの死によって脆くも放棄されたように、ギルガメシュの起こす行動のきっかけ・内容・結果がエンキドゥとの友情を軸にして見事に対応するとともに対称的である。にもかかわらず物語全体が違和感なく首尾一貫しているのは、イシュタルの誘惑と聖牛退治という前半と後半を橋渡しする重要かつ自然な事象が繋ぎとして配置されたからであろう。また、場面展開の前にはギルガメシュかエンキドゥのどちらかが夢を見ており、その夢による予告機能は、物語の緊張感を促すことに貢献している。行単位で認められる対句法、語呂合わせ、周壁持つウルク・天なるシャマシュのような枕詞など、説話文学的な表現技法も認められる。冒頭で触れたように、物語の1つ1つは元来シュメール語で成立したが、古バビロニア版が翻訳されるまで2人の友情関係は描かれていなかった。こうした改変の一種もまた、叙事詩を構成する上で貴重な役割を果たしたと言える。フンババ征伐に見る「勇気ある者の冒険譚」、『ギルガメシュとアッガ』から「英雄的行動の描出」のように、1つの説話からメインテーマを見出すこともできるが、全体を見通し様々な観点から叙事詩を俯瞰すると、「不死の追及」・「友情」・「シャマシュ信仰」・「主人公の精神遍歴」が浮かび上がる。ただし、主題と言ってもそれらは初めから客観的に備わっているものではなく、あくまで叙事詩を読み解く可能性を探るためのものである。不死の追及:近代ではシュメール民族による伝承に基づき、セム民族が組み込んでいったバビロニア独自の人生観であるとの見解が示され、「人は死から免れることは出来ない」と認識すること、すなわち人類の精神史における神話時代からの脱却と理性の目覚めを意味しているとされた。友情:第6版の注釈でも触れているように、ときにエンキドゥがギルガメシュと対等ではなかったかのように叙述されることもあるが、それでも2人の絆に傷が生じることはなかった。エンキドゥがギルガメシュの元から去ることで友情の限界を描きたかったわけではなく、友情の意義そのものを問いているのであれば、その友情が永遠ではなくとも、異なる2つの魂の出会いという最古の友情物語であったと言える。シャマシュ信仰:シャマシュ信仰に見る個人神崇拝の概念が、叙事詩に取り入れられたとする見方である。シャマシュは神として至高の位を占めることはなかったが、多くの崇拝地を持つことも知られている。彼への言及が直接的かつ登場回数の多い神話も『ギルガメシュ叙事詩』に偏り、加えて本来発揮するべき神性が前面に出ることはなく、ギルガメシュの個人神としての側面が強い。ただしその活躍は、版によって加減されている。主人公の精神遍歴:フンババ征伐時の勇敢な英雄的信条、神格化の拒絶、死への恐怖、不死の追及と、ギルガメシュの精神は物語の進行とともに変化するが、最終的に何を感じ、思い、学び、その最期を迎えたのか、叙事詩は答えない。読者に残す教訓は、上述のように「人は死すべき存在である」という生死観の在り方なのかもしれないが、ギルガメシュの不死希求が結果的に失敗に終わったからといって、その旅が無意味なものであったとか、逆に新しい人生観を得て日常へ回帰したとは言えず、たとえそれが事実たらしめたとしても、叙事詩はそのような結末を端的に伝えはしなかった。「あらゆる苦難の道を歩んだ」主人公自身の軌跡こそが『ギルガメシュ叙事詩』であり、それらが伝承として刻まれたという事実のみがギルガメシュという1人の英雄を築き上げたとすれば、それそのものが唯一残され、現代に生きているのである。考古学者や文献学者の中には『旧約聖書』にこの物語の影響があると考える者もおり、特にノアの方舟のくだりは、ウトナピシュティムの洪水伝説が元になっているとしている。このほかの旧約聖書の内容やギリシア神話にも、この物語が原型と考えられているものがある。例えばエアがウトナピシュティムに洪水を知らせる部分は、ギリシア神話における「ミーダース王のロバの耳」に類似しており、ギリシア神話のアフロディーテおよびローマ神話におけるヴィーナスの原型であるとされるイシュタル自身の存在が挙げられる。このように最初の粘土板写本が発見された1872年以後の文学作品にも大きな影響を与えた。

出典:wikipedia

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