O・R・タンボ国際空港(O・R・タンボこくさいくうこう、)は、南アフリカ共和国ハウテン州エクルレニ都市圏にある国際空港である。2006年、ヨハネスブルグ国際空港(Johannesburg International Airport)から改称した。ヨハネスブルグ近郊に所在する。年間旅客人員数はアフリカの空港で最多の19,440,000人で、南アフリカ最大の航空会社である南アフリカ航空を筆頭に国内の航空会社の多くがハブ空港としている。それまでヨハネスブルグ周辺の主要空港であったランド空港や欧州便を取り扱っていたパルミエトフォンテーン国際空港に代わり、1952年にイーストランド、ケンプトンパークに開業した。当初の空港名は南アフリカ連邦の首相を務め、第2次ボーア戦争の指揮官であったヤン・スマッツの名前にちなみ、「ヤン・スマッツ国際空港()」であった。最初のフライトは、イギリスのヒースロー空港から英国海外航空のデ・ハビランド DH.106 コメット によって行われた。1970年代に入るとコンコルドのテスト空港として利用され、航空機が高高度で離着陸する時どう機能するか明らかにした。しかし1980年代に入り、アパルトヘイト政策への国際的批判の高まりにより、国際連合が経済制裁を決定した。それに伴い航空会社の多くは南アフリカ発着便の就航をやめなければならなかった。南アフリカ航空などは欧州方面へ向かうフライトなどで安全上の問題やアフリカ諸国からの上空飛行の拒否などでアフリカ大陸上空を飛行することが出来ず一旦大西洋側などの洋上へ出るなどアフリカの膨らみを遠回して飛行をしなければならず、当時長距離飛行に優れたボーイング747-SPが良く使われていた。1996年にカイロ国際空港の旅客人員を超えた。2006年3月までに当空港は既に1610万人の旅客を取り扱い2005年の同時期に比べ11%増加している。FIFAワールドカップ南アフリカ大会が開催される2010年までには2100万人になることが予想されている。2006年11月26日にはA380がアフリカ大陸にある空港としては初めて飛来した。これは、南極を通過しシドニーへ向かう途中の試験飛行で寄港したものである。1994年、アパルトヘイト撤廃後の総選挙を経て発足した新政府は、政治家氏名を空港名に付けないことを表明した。そのため「ヤン・スマッツ国際空港」を「ヨハネスブルグ国際空港」に変更した。しかし2005年後半頃、「ヨハネスブルグ国際空港」からアパルトヘイト闘争の英雄であるオリバー・タンボの氏名をとり、「オリバー・タンボ国際空港」に変更することが提案された。2006年6月30日に公布され、 新しいサインなども整い2006年10月27日に名称変更が実施されることとなったが、名称変更には多額の費用が掛かることや以前政府が表明した政治家の名前を空港に使用しないこととの矛盾に関して2011年に、スカイトラックス社が実施する空港部門の評価でアフリカ空港部門で1位になった。高度が約1,700mあり空気が平地より薄くなっている。それにより航空機の性能にも影響がある。例えば、ヨハネスブルグからワシントンD.C.までエアバスA340-600で運航する場合、燃料を満タンにすると重くなりすぎ、当空港からは離陸できないため、燃料補給のためにダカール・レオポール・セダール・サンゴール国際空港に寄港しなければならない。これは、高地で空気が薄くなることで翼にかかる揚力が低下し、最大離陸重量かそれに近い状態での安全な離陸は航空機の設計上不可能だからである。これとは対照的に、ワシントン・ダレス国際空港から戻ってくるフライトでは出発地が低地(標高95m)なので航空機の性能を生かし、直行便で14時間である。南アフリカ航空は現在、西アフリカの市場を考慮しアメリカ合衆国に出入りする、幾らかの便をセネガルのダカール経由で行っている。南北方向の2本の平行滑走路と、使用されなくなった交差する滑走路がある。西滑走路03L/21Rは4400m以上あり世界の国際空港に存在する滑走路の中では長い滑走路のうちの一つである。当空港の高度が高く薄い空気の影響で荷物を満載にした航空機が離陸するためにはこれ程の長さの滑走路が必要であった。繁忙な時間帯には着陸する航空機は東滑走路を使い、離陸する航空機は西滑走路を使用している。空港には6つのターミナルがあるが、国際線ターミナル、国内線ターミナル、トランジットターミナルの3つの主要エリアに分けることが出来る。トランジットターミナルは、国内線の古く使われなくなったエリアに供用された。古くなった場所の大部分は新しい中央ターミナルを建設するため取り壊され、国内線ターミナルと国際線ターミナルの屋内連絡路とチェックインエリア、より多くのゲートが供用される。当空港は南アフリカ航空博物館の基盤としても利用されており、南アフリカ航空の記念物で満たされている。1987年のヤン・スマッツ国際空港の時代の建物の時に二人の航空ファンの考えによって始められた。空港を管理している、南アフリカ空港会社(Airports Company South Africa ACSA)は2010年FIFAワールドカップに備えて大規模な空港の拡張を行うと発表している。計画には国際線ターミナルの拡張も含まれている。これは、A380の就航に対応したもので新しいピアによって容量を引き上げる。新しい中央ターミナルは現在建設中であり、反対側には高層化された駐車施設が4億7000万ランドの費用で建設中である。ターミナルAは道路と結び付けられるなどの再編成等により多くの国際線出発スペースに充てられる。中央ターミナル(建設費200億ランド)では容量が引き上げられ国内線と国際線の旅客が直接行き来出来るようになり、A380に対応された荷物コンベアも追加される。到着エリアはレベル(階)1に設置され、出発エリアはレベル3に拡張される。レベル2では商業施設などが入居する。ハウトレインの駅もターミナル内に設置される。新しい国際線ピア(建設費5億3500万ランド)は到着と出発の取扱能力が増加し9箇所の二重構造の乗り場が追加される。そのうち4箇所はA380と互換性がある。ボーディング・ブリッジは既に設置され免税品店街も拡張。追加されるラウンジなどは上階に建設される。新しい国際線ピアと改良される中央ターミナルは両方とも2009年に完成された。第二のターミナルを2本の滑走路の間に建設させることも議題に上り、2012年までに完成させることが提案された。国内線と国際線のチェックイン施設、乗り場、店舗、ラウンジなど計画の整備にようする費用は8億から10億ランドの範囲とされている。2015年までには毎年2400万人から2500万人の旅客を扱うことが予想される。当空港は世界的にA380を扱うことが出来る少ない目的地であるとエアバスはリストしている。世界的な航空会社は長距離の目的地としてヨハネスブルグ便を運航するため、A380が就航しサービスを開始する最初の年に当空港で見られることとなるかもしれない。ロンドンからのほとんどの便は毎日ボーイング747が使用されている。2009年4月1日に建設中の新ターミナルBが完成し、南アフリカ航空全路線が集結するようになった。そして、2009年からエールフランスが当空港にA380を飛ばしており、現在(2016年1月現在)はブリティッシュエアウェイズ、ルフトハンザドイツ航空、エールフランスがそれぞれのハブ空港(ロンドン・ヒースロー空港、シャルル・ド・ゴール国際空港、フランクフルト空港)からA380を飛ばしている。空港と市内を結ぶ公的なシャトルバスは存在しないため、タクシーまたは各ホテルの送迎バスを利用することになる。タクシーでヨハネスブルグ市内まで約25分、料金は300 - 350ランド。デルタ航空はアメリカ合衆国ジョージア州のアトランタ国際空港と当空港(ダカール経由)との間で2006年12月4日より就航を開始しているが、2009年6月2日からBoeing777-200LRを投入し、直行便に切り替えた。デルタ航空はアメリカ合衆国のメジャーな航空会社では唯一南アフリカ路線に就航している。南アフリカ航空はワシントン・ダレス国際空港とジョン・F・ケネディ国際空港との間に既に毎日就航している。日本との間では南アフリカ航空が以前は関西国際空港までバンコク経由で乗り入れていたが、現在は運休中である。2007年4月22日より香港乗り継ぎで全日空とコードシェアを開始した。香港発がNH6665/SA287便、ヨハネスブルグ発がNH6666/SA286便で、毎日運航している。
出典:wikipedia
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