田村 邦行(たむら くにみち)は、江戸時代後期の大名。陸奥一関藩第8代藩主。文政3年(1820年)7月23日、陸奥一関藩第6代藩主・田村宗顕の四男として一関にて生まれる。幼名は棣之丞。天保6年(1835年)9月1日、元服し顕允(あきちか)と名乗る。天保11年(1840年)8月23日、兄の第7代藩主・邦顕が跡取りを残さず死去したため、その末期養子となり、11月30日に家督を相続して第8代藩主となり、行顕に改名。天保12年(1841年)4月25日には邦行へ再改名した。天保13年(1841年)4月11日、犬山藩主・成瀬正寿の娘・睦を正室に迎える。藩政においては藩校・教成館の再興や医学館、慎成館の創設、西洋式軍隊や砲術の導入、農政改革など、様々な藩政改革を行って多くの成功を収めたため、名君として称えられた。安政4年(1857年)2月19日死去。享年38。嫡男・通顕が家督を相続した。家系は坂上氏流を称する田村氏。田村清顕娘・愛姫の末裔にあたる。
出典:wikipedia
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