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吉良持長

吉良 持長(きら もちなが、生没年不詳)は室町時代の武将。東条城主。吉良朝氏の子。後期東条吉良氏(下吉良)3代目。子に吉良持助、奥州吉良氏の養子となった吉良頼高(よりたか)がいる。元服時に室町幕府第4代将軍・足利義持より偏諱の授与を受けて持長と名乗る(尚、「持」の字は嫡子の持助をはじめ、子孫の一部も用いている)。永享10年(1438年)の永享の乱の際、次子の頼高は鎌倉公方足利持氏に味方して戦功があったが、父である持長も持氏の反幕府(当時の将軍は義持の弟・足利義教)の計画に加わっていたらしい。このため、永享の乱、結城合戦で持氏一族や持氏派の武将が滅ぶと、ことが露見しそうになり、嘉吉元年(1441年)6月23日(嘉吉の乱の前日)、足利義教の懲罰を怖れて逐電した(この件について『建内記』嘉吉元年6月23日の条に「伝聞、吉良東条逐電云々、先度関東ヨリ廻文ヲ以テ相催ス其ノ内カ、云々」の内容がある。ただし、この吉良東条を持助とする見方もある)。法名は長栄寺殿。「吉良町史 中世後期・近世」

出典:wikipedia

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