鹿砦社(ろくさいしゃ)は、兵庫県西宮市に本社を置く日本の出版社。1969年、東京都千代田区神田駿河台で創業。1972年、株式会社化。1980年代までは関連会社「エスエル出版会」と共に新左翼関係の書籍を手がけていたが、その後は「言論の自由、表現の自由の限界への挑戦」をモットーに、主としてパチンコ業界、相撲業界、細木数子や落合信彦の経歴、ジャニーズなどの暴露ネタを取り上げた図書を多数刊行したことで有名になった。日本相撲協会、大阪市立大学講師、アルゼとバーニングプロダクションから名誉毀損で訴えられているほか、ジャニーズ、宝塚歌劇団からもプライバシー侵害で訴えられている(ただし、訴訟総額は週刊現代の講談社よりも安く、宝塚歌劇団との示談も2008年3月までの間にスピード成立している)。2005年の社長松岡利康の逮捕(後述)で出直しを余儀なくされ、2006年から2010年秋までは東京都千代田区の(自社ビルではなく)雑居ビルに拠点を移していた(1969年に創設されてから、松岡が社長に就任するまでの本社所在地でもあり、Uターンしたと言える)。また、2005年7月までの間、取材対象者のうち鹿砦社が「正しき者」と認定した者が自らの意思で買い取りに乗り出すという形を借りた、いわゆる「見返り出資」なるものが存在した(後述)。EXILE TRIBEやジャニーズの写真集などを本人(LDHやジャニーズ事務所)に許可をとらずに、販売している。もちろん非公式である。暴力団とのつながりを指摘されることが多いが、これは子会社のエスエル出版会の契約社員であるハイセーヤスダ(編集/ライター)が、2010年からやくざ雑誌「実話ドキュメント」(マイウェイ出版)に関わっていることが起因しており、鹿砦社そのものは暴力団の支援を受けていないとされている。 近年は、「反原発」の色彩が強い、原発推進者をたたき斬るマガジン『NO NUKES voice』(季刊/「紙の爆弾」増刊/2014年8月創刊)に力を注いでいる。反原発で世論をリードする「たんぽぽ舎」とのコラボレートマガジンで、少なくとも「反原発活動家」にとって一目置かれる、行動的なオピニオン雑誌となった。主な定期刊行物主な書籍2005年7月12日、社長の松岡利康が名誉毀損の疑いで逮捕された。発行物および ウェブサイトで、パチンコ会社のアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)、プロ野球チーム・阪神タイガースの元職員を中傷したというのが容疑の内容だった。鹿砦社は家宅捜索を受け、業務に必要な書類をことごとく押収されたため、事実上壊滅状態になった。しかし、社員や支援者団体等の尽力で、『紙の爆弾』など一部の刊行物は残った。こののち、鹿砦社発行の『アルゼ王国の闇』シリーズなどを買い取り関連団体などに配布していたとして、アルゼのライバル会社であるSNKプレイモアが7月下旬に捜索を受けている(前身会社であるSNKの倒産の真相および対アルゼ裁判の行方を一社独占スクープの形で報道したことへの見返りと言うことができ、これによって当時の売上が2割増えている)。松岡の保釈は、逮捕からちょうど半年後、時期的に言えばライブドアの堀江貴文社長(当時)が逮捕された2006年1月23日の数日後に認められた。その際、鹿砦社側は「鈴木宗男より早いタイミングで認められたとはいえ、保釈請求(抗告を除く)が4回目でやっと認められているからには、はっきり言って長すぎる」と、司法当局に対して不快感をあらわにしている。2006年4月21日、神戸地方裁判所(佐野哲生裁判長)における論告求刑公判で、検察は松岡に懲役1年6か月を求刑した。第二次世界大戦後では、出版社やその責任者が名誉毀損として刑事訴訟の対象となるのは異例で、他には 1976年の月刊ペン事件、1995年の噂の真相事件しかなく、本件で3例目である。鹿砦社側は「言論の自由、表現の自由を侵害する弾圧、もとい治安維持法を60年の眠りから蘇らせようとする暴挙が生んだ冤罪であり遺憾」として無罪を主張した。しかし「私たちの取材活動は少なくとも欧米のメディアにしか見向きもされなかった(『紙の爆弾』2005年9月号の特集記事から)」という独白文が示すように、民放や主要新聞社をはじめとするマスメディアの扱いは無視に近いもので(特に、NHKは、この出来事については、関西ローカルニュースのみでの扱いだった。また、神戸地方裁判所の駐車場に傍聴希望者の行列ができたことでも知られる初公判についても、鹿砦社自身がアルゼ関連の民事裁判事件を取材した時と同様に「一社独占スクープ」が成立していたと言ってもよかった)、元『噂の真相』編集長の岡留安則も、「不当逮捕である」との声明は出したものの、『紙の爆弾』で激しい批判的な記事を書かれていたため、全体として冷淡な態度を取った。このように、普段「タブーなきスキャンダリズム」と称し、多くの執筆者らの暴露記事・批判記事を単行本や雑誌で掲載していたことが、この出版社の報道姿勢への反感を招き、いざ立件となると大手メディアや多くの執筆者から距離を置かれたり、その彼らから手のひらを返したかのように総攻撃を受ける側に回るなど、いわゆる「村八分」を受ける原因となったと評価する声もある(そうなった背景として、無視もしくは総攻撃に回った者たちは共謀罪の適用を恐れて、というよりはスピード成立を先取りしていたのではないかとの意見も存在する)。また、容疑の一つとなった阪神スカウト転落死事件の記述について、実際の筆者となった阪神側のスカウトの娘(松岡の共犯とされたが、分離公判となり、懲役8か月を求刑された)は、証人尋問などにおいて温情判決を狙い松岡に不利となるような証言を繰り返して減刑嘆願するなど、松岡を売る態度を見せた。神戸地裁の佐野哲生裁判長は、遺族の娘に懲役8か月(2006年3月3日付)、松岡に懲役1年2か月(同年7月4日付)、2人に共通して執行猶予4年の有罪判決を下した。判決では「表現の自由に名を借りた言葉の暴力と言わざるを得ない」、「被告の行為は公共性、公益性を著しく軽視したものだ」とアルゼ側の言明・主張を完全に認めたものとなっている。また、事実認定は、阪神スカウト事件の記事については「立証されていない」としたが、アルゼ事件の記事については押収した証拠に依拠しただけで初めから行っていない。7月12日、松岡のみが冤罪を信じて控訴したものの、2007年2月27日、大阪高等裁判所は一審判決を支持。松岡は翌日に上告したが、同年6月25日、最高裁判所は、一審・二審判決を完全に支持し、松岡の有罪が確定した。その後の2007年7月27日には、『アルゼ王国の闇』シリーズを買い取り、配布していたサミーおよびSNKプレイモアがアルゼから訴訟提起されている。ちなみに松岡は、一審判決の主文に対して「たとえ冤罪とはいえ、名誉毀損事件の厳罰化を痛感した」と『紙の爆弾』など各誌の取材にコメントしているが、上訴審での説諭において「別に厳罰に処してはいないので、別に針小棒大に言うことではない」と一蹴された。2010年6月、執行猶予期間満了。2007年10月-11月頃、旧アルゼ創業者オーナーから「名誉毀損」「業務妨害」等についての刑事告訴がされ、さらに、2010年、旧「鹿砦社裁判を支援する会」代表世話人、事務局長ら3人からも告訴状が出されたが、前者は2010年12月27日に不起訴処分が決定、後者も2011年6月20日に不起訴処分とされた。2015年4月7日、松岡社長の逮捕でさまざな支援を受け、ついに創刊10年を突破した「紙の爆弾」創刊10周年パーティが、一般のファンも集めて大々的にたんぽぽ舎で行われ、右翼の鈴木邦男や、元赤軍派の議長、塩見孝也もお祝いにかけつけた。ここで松岡社長は「紙の爆弾」の創刊号に書かれた「ペンのテロリスト宣言」を今後も持続し、月刊「紙の爆弾」が「タブーのないラディカルスキャンダル雑誌」であり続けると宣言した。
出典:wikipedia
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