『悪霊』(あくりょう、)は、フョードル・ドストエフスキーの長編小説。1871年から翌年にかけて雑誌『』()に連載され、1873年に単行本として出版された。無政府主義、無神論、ニヒリズム、信仰、社会主義革命などをテーマにもつ深遠な作品であり著者の代表作。『罪と罰』、『白痴』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』と並ぶドストエフスキーの五大長編の1つで3番目に書かれた。題名は作品のエピグラフにも使われているプーシキンの同題の詩および新約聖書<ルカによる福音書>第八章三二-三六節からとられている。晩年のニーチェがこの本を読み、とりわけキリーロフの人神思想に注目して抜書きなどをしていたことも知られている。物語は、1869年の秋から冬にかけて、ロシアのとある地方都市と、その郊外にあるスクヴォレーシニキと呼ばれる領地を舞台に展開する。ステパン氏は、1840年代のロシアを代表する自由主義者の一人で、かつては大学の講壇にも立ったことのある知識人だが、今はスタヴローギン家の女主人ワルワーラ夫人の世話を受けており、同じ屋敷内で夫人と熱烈に手紙を交し合い、平穏無事の毎日を送っていた。ワルワーラ夫人は、ある日突然、自分の養女であるダーシャとステパン氏を結婚させようと思い立ち、有無をいわさず話を進めるが、意に染まないステパン氏はスイスにいるピョートルに自分を救い出してはもらえないかと手紙を出す。スタヴローギン家の一人息子であるニコライは、ステパン氏のもとで教育を受けたあと学習院に進学し、卒業後、軍務に服してから、にわかに放蕩に耽りだした。2度にわたって決闘事件を起こし、放蕩三昧の生活をおくるなど、不吉な噂が絶えなかったので、町から放逐された。4年後の日曜日、ワルワーラ夫人は、スタヴローギンとマリヤ・レビャートキナの関係をほのめかす匿名の手紙を受けとり、真偽を正そうと、教会で出会ったマリヤを家へ連れ帰る。この日は、ステパン氏とダーシャの婚約発表が行われる日に当たっていた。ダーシャの兄シャートフやワルワーラ夫人の幼馴染の娘リーザとその婚約者マヴリーキーが集まるなか、ピョートルと一緒にスタヴローギンが帰館する。ワルワーラ夫人は、スタヴローギンに真相を問い質すが、彼は何も答えずに、マリヤを家まで送るといって出て行ってしまう。その間にピョートルは、かつてペテルブルクにいたころ、皆から笑いものにされていたマリヤを唯一スタヴローギンだけが丁重に扱っていたため、マリヤは彼が自分の夫か何かであるという妄想にとらわれてしまったというだけの話だと説明する。次いで、ピョートルは、ステパン氏に、結婚させられそうになっているので助けてほしいとはどういう意味かと問うた。それを聞いたワルワーラ夫人は、激昂して、ステパン氏に絶交を言い渡す。そこへ戻ってきたスタヴローギンを、なぜか突如としてシャートフが殴りつけて、一同を驚かせる。スタヴローギンは、黙ったまま反撃しなかった。シャートフが去ると同時に、スタヴローギンを秘かに恋するリーザは気絶した。この一件で、スタヴローギンはスイスにいたころリーザと密かな関係をもっていたのではないか、また近いうちにシャートフを殺してしまうのではないかなどという噂が広まる。数日後、有力者の息子ガガーノフが、四年前に父が受けた汚名を雪ぐべく、スタヴローギンに決闘を申し込む。シャートフの部屋で、スタヴローギンは、ペテルブルクでマリヤと正式に結婚したことを彼に告げた。それに感づいていたシャートフは、スイス時代に妻をスタヴローギンに寝取られた過去をあったが、彼への崇拝の念を捨てきれず、それゆえその虚偽と堕落に対して、殴りつけずにはいられなかったのだということを話した。その夜、スタヴローギンはマリヤを訪ね、結婚を公表しようと思うと告げるが、マリヤに「偽公爵」呼ばわりされて帰ることになり、その帰途で、ピョートルに匿われている懲役囚のフェージカに金をばら撒き、マリヤの殺害をそれとなく唆した。翌日、決闘が行われた。ガガーノフが撃ち損じたのに対して、スタヴローギンはわざと狙いを外して撃った。同じことが3度繰り返されたために、その厳正な様から町におけるスタヴローギンの名望は、一挙に高まった。同じころ、ステパン氏とピョートルは完全に見解を異にして決裂した。町では、ピョートルが、新たに就任したレンプケ県知事の夫人ユリヤに取り入り、労働者たちを煽動して町に騒乱を起こそうと画策していた。その檄文に躍らされて、シュピグリーン工場の70人あまりが、給料未払い問題を直訴に押し掛けるが、レンプケは冷たく拒否し、不穏な空気が漂う。ちょうどその時、ステパン氏が差し押さえの抗議に来るが、途中でユリア夫人が講演をお願いするという条件で引き取った。スタヴローギンは「告白」を携え、町外れにあるボゴローツキー修道院にチホン僧正を訪ねた(スタヴローギンの告白)。祭りは始まるが、運営の不手際で、混乱が次々と起こった。カルマジーノフの朗読会もステパン氏の講演会も大失敗に終った。夜の舞踏会に至っては参加者が少なく、しかも胡乱げな連中ばかりではあった。一方、リーザは、舞踏会の混乱に紛れ、マヴリーキーを振切って、スクヴォレーシニキに走り、スタヴローギンと一夜を共にするが、放蕩三昧の末に退廃していた彼の姿に失望する。舞踏会が終ろうとする夜更け、対岸の郊外の家々に火が放たれ、大混乱となる。その混乱の中、レンプケは発狂する。翌朝、炎上した川の向こうの一軒屋から、マリヤとその兄レビャートキン、そして女中の惨殺体が発見される。スクヴォレーシニキの屋敷から火事の現場に駆けつけたリーザは、狂乱する群集たちに撲殺された。その後、ピョートルは、シュピグリーンの労働者を使って、レビャートキン兄妹殺害の下手人フェージカを始末する。翌日、シャートフの元に別れた妻マリイが戻ってきたが、マリイがスタヴローギンの子を産気付いていることを知り、キリーロフや「五人組」のヴィルギンスキー、リャムシン達に連絡する。結局、ヴィルギンスキーの妻アリーナが助け、男の子が産まれた。シャートフは、男の子に「イワン」と名付け、養子にすると言う。ピョートルは、密告に怯える「五人組」を使嗽し、シャートフを当局の密告者と決め付け、スタヴローギン公園の隅に誘き寄せて、殺害する。その数時間後、ピョートルは、シャートフ殺害の罪をキリーロフに請負わせ自殺させる。その後、リャムシンの告発によって「五人組」とエルケリは逮捕されるが、ピョートルは国外逃亡し、二度と戻らなかった。一方、失意のうちに放浪の旅に出たステパン氏は、旅の途中に熱病に罹り、駆けつけたワルワーラ夫人が看取る中、帰らぬ人となる。また、スタヴローギンは、スイスのウリイ州に出発する旨をダーシャに書き送るが、それを果たすことなくスクヴォレーシニキの屋敷の屋根裏で首を吊った。ドストエフスキーはこの小説の構想を1869年のネチャーエフ事件から得ている。架空の世界的革命組織のロシア支部代表を名乗って秘密結社を組織したネチャーエフが、内ゲバの過程で一人の学生をスパイ容疑により殺害した事件である。本作ではネチャーエフをモデルにピョートルが描かれている。当初は第2部第8章に続く章として執筆されたが、その告白の内容が「少女を陵辱して自殺に追いやった」という過激なものであったため、連載されていた雑誌(ロシア報知)の編集長カトコフから掲載を拒否された。やむをえず後半の構成を変更して完成させたため、単行本化のさいにもこの章は削除されたままとなり、約50年の間、原稿自体が所在不明となっていた。編集長カトコフの意向に沿うようにドストエフスキーは悪霊に加筆修正を加え、スタヴローギンの悪魔性や宗教性を和らげた表現に直した。しかし、1921年から1922年にかけてこの章の原稿が2つの形(校正刷版と夫人による筆写版)で発見され、いずれも出版されることとなった。章題を直訳すると「スタヴローギンより」となるが、これは正教においては福音書を「ヨハネより」「マタイより」などと呼ぶことになぞらえている(日本正教会では「イオアン(ヨハネ)伝による聖福音經」「マトフェイ(マタイ)伝による聖福音經」と訳されている)。章中、スタヴローギンとチホン僧正の対話において、「完全な無神論は、完全な信仰へ向かう道である」という認識が共有される。このことはスタヴローギンが、その無神論が聖性への一歩手前にありながら、最後の壁を越える契機を得ることなく破滅に終わってしまう悲劇的な人物として書かれていることを意味する。これまで3度映画化されている。日本では、1988年版を除く2作品は劇場未公開。また、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)に、上記「スタヴローギンの告白」が引用されている。
出典:wikipedia
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