琉球電信電話公社(りゅうきゅうでんしんでんわこうしゃ)は、復帰前の沖縄において、電信電話事業を独占的に経営していた琉球政府の公社である。琉球政府が管轄する公社で、琉球電信電話公社法(1958年立法第87号)により、1959年5月1日に発足した。資本金は200万ドルで、琉球政府より電信電話事業の業務を承継した。アメリカからの交換機の導入を断り、日本側の交換機を導入するなど、本土復帰を念頭においたネットワーク整備が行われた。その後、1964年に本土-沖縄間のマイクロ回線開通、1968年の無電話地域解消などの業績を残した。マークは本土の日本電信電話公社(電電公社)とまったく同じだが、マークの上部に「R」の文字が白抜きでついている。復帰後は、日本電信電話公社が琉球電信電話公社の権利義務を承継したが、そのうち国際電話に関する設備は、電電公社から国際電信電話株式会社(KDD。現KDDI)に譲渡された。また、職員は、国際電話に従事する者の多くがKDDに移籍し、その他の者は電電公社の職員となった。琉球電電発足後、沖縄本島内全市と一部の町村のほか、宮古島・石垣島・久米島にも設置された。復帰後には電電公社に引き継がれたが、NTTに民営化後1989年に支店・営業所に名称変更、NTT再編の1999年までにすべて廃止された(那覇市と浦添市に集約)。現在でも「電話局前」のバス停が存在しているところもある。沖縄本島内は1970年までに全域が自動ダイヤル化されたためすべての地域に市外局番(那覇局は市内局番も)がつけられた。復帰前の琉球電電時代は自動ダイヤル化後電話番号は7桁(1971年5月以降、那覇局の市内局番が2桁になったため復帰までの1年間は8桁)だった。1972年の本土復帰後は復帰前の市外局番をそのまま残した上で桁数を2 - 3桁増やして10桁とし、市外局番は頭4桁が0988・0989・0980を使うことになった(頭3桁の098は宮崎の局番だが、4桁目が2 - 7しか使われていないため空き番号を沖縄で使うようになった。なお市外局番が先に098の3桁だけになったのは沖縄で1990年12月から)。宮古島・石垣島の各島内では復帰前に自動化されたものの、沖縄本島や本土と即時通話できたのは復帰後で市外局番も復帰後につけられた。沖縄全域で自動ダイヤル化されたのは1979年3月に南・北大東島が最後。
出典:wikipedia
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