アブー・ムーサー・ジャービル・イブン・ハイヤーン(, ), (721年? – 815年?)は、アッバース朝時代のイスラム世界の哲学者、学者。後に11世紀にかけて続くイスラム科学黄金期を築く元祖とされる。彼の業績は、著作がラテン語に翻訳されてヨーロッパ世界へ伝わり、中世ヨーロッパの錬金術に多大な影響を及ぼすとともに、近代の化学の基礎を与えた。ラテン語では'(ゲベルス)又は'(ゲーベル、ジーベル)というラテン名で言及される。ジャービルは半ば伝説的な存在であり、その実像を正確に定めることは難しい。生年は721年あるいは722年ともいわれる。生地はホラーサーン(現在のイラン北東部およびアフガニスタン北西部)とされる。彼の父は化学、薬学者であった。イエメンで学業を修め、後にアッバース朝イラクのクーファで活躍、その地で没した。815年あるいは808年ともいわれる。アッバース朝最盛期のカリフであるハールーン・アッ=ラシードに宮廷学者として仕えた。988年にイブン・ナディームが編纂した『フィフリスト』(目録の書)には、ジャービルがシーア派の第6代イマーム、ジャアファル・アッ=サーディクを精神的な師と慕っており、また、イマームの友人でもあったと言及されている。イブン・アン=ナディームによると、ジャービルは正真正銘の学者の仲間だと言う学者もいる一方で、『大いなる慈悲の書』(, )だけが素晴らしくて、残りの著作はジャービルの名前を騙って誰か別のものが書いたに違いないと言う者もいるという。イブン・アン=ナディームは、どちらかの説に肩入れはしない。 ジャービルが実在の学者とする思われるのは、イブン・ワフシーヤが「ジャービル・イブン・ハイヤーン・アッ=スーフィー...毒についての本は偉大な業績だ...」と述べているからで、そうでないと思われるのは、970年頃の学者でイブン・アン=ナディームの友人、アブー・スライマーン・アン=マンティーキーが「本物の著者はアル=ハッサン・ブン・アン=ナカドルマウィーリーという人物だ」と述べているからである。14世紀のアラブ文学の批評家ジャマール・アッ=ディーン・ブン・ヌバタル・ミスリーは、ジャービルの作に帰せられているすべての文献が偽書であると言った。ジャービルは、概ね8世紀の自然哲学者である。当時はウマイヤ朝の支配地域だったペルシアのホラーサーン地方のトゥースに生まれたとされている。上述のような古い文献では、出自を表すニスバが文献ごとに異なっていて、例えば、「バリク(アラビア半島紅海側の一オアシスの名前)」、「クーファ」、「トゥース」といった地名が現れる。によると、ホラーサーン生まれでのちにクーファで暮らしたという説と、シリア生まれでのちにホラーサーンやクーファで暮らしたという説とがある。また、薬学者であったジャービルの父は、アラブ人のの一員であったとされており、ジャービルの民族的出自を曖昧なものにしている。ジャービルの父、ハイヤーン・アル=アズディーは、ウマイヤ朝期にイエメンのバリクからクーファへ移住したと考える説がある。その一方で、ジャービルの全名に現れるアル=アズディーは、ジャービルがアズド家と付き合いがあったことを表すとする説もある。化学、薬学、冶金学、天文学(あるいは占星術)、哲学、物理学、音楽などに亘る彼の著作は400を越えるとも言われているが、残存するものは20程度である。その中には彼の名に仮託した後世の著作と思われるものも含まれている。彼の業績は化学、薬学の分野が顕著である。彼が発明したとされる、塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法などは現在の化学工業の基礎となっている。金などの貴金属を融かすことのできる王水も彼の発明によるものである。彼はまた有機化合物であるクエン酸、酢酸、酒石酸などの発見者ともされている。発明は化学器具にも及んでいる。彼が工夫した蒸留装置はアランビックとして、現在も使われている。化学にとって重要なアルカリの概念も彼によって産み出された。彼の思想は古代ギリシア、古代エジプト、イスラム教の中の神秘思想が総合されていると考えられている。彼が敬意を払う人物はヘルメス・トリスメギストス、アガトダイモーン(Agathodaemon、ギリシア神話の「慈悲の悪魔」)、ピタゴラス、ソクラテスなどであった。彼の著作は中世ヨーロッパの錬金術に大きな影響を与えた。12世紀にラテン語に翻訳されたアラビア語原題 (黒き地の書、Kimya は Khem の転じたものでエジプトのことを指すとされる。『金属貴化秘宝大全』とも。)は錬金術 (Alchemy) 、ひいては化学(Chemistry)の語源となっている。金属の性質は硫黄と水銀の比率で変性するとする、硫黄ー水銀説は中世ヨーロッパにも引き継がれた。ただし、彼の著作とされているものに、後世の弟子たちが書いたものも多いとの疑いは、早くも10世紀には指摘されていた。2000編以上の文書が彼の作であるとされてきたが、20世紀には、アラビア語で書かれたジャービル派の全文書が、10世紀のイスマイール派によって編纂されたことが明らかにされた。中世ヨーロッパにとって、もっとも主要な化学教科書的存在であった 『マギステリウム完成の梗概』(Summa perfectionis magisterii)は彼の名に依っているが、現存するものは13世紀以降のラテン語訳のみで、原著とみられるアラビア語のものは残っていない。このため、この書は彼の名によって13世紀のヨーロッパで著作されたものではないかとの見方は多く、「疑ジーベル」あるいは「偽ジーベル」(Pseudo-Geber)の書と呼ばれることもある。ジャービル作とされたラテン語文献に、ジャービルの著作はないのではないかともいわれたが、ヨーロッパで最も影響の大きかった"Kitab al-Kimya" は、間違いなくジャービルの翻訳手稿に基づいていることがわかっている。ジャービルについては不明な点が多いが、確かなことは、中世ヨーロッパの錬金術において、彼の名がもっとも権威があると認められていたことである。
出典:wikipedia
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