電動機(でんどうき、Electric motor)とは、電気エネルギーを力学的エネルギーに変換する電力機器、原動機の総称。モーター、電気モーターとも呼ばれる。一般に、磁場(磁界)と電流の相互作用(ローレンツ力)による力を利用して回転運動を出力するものが多いが、直線運動を得るリニアモーターや磁場を用いず超音波振動を利用する超音波モータなども実用化されている。静電気力を利用した静電モーターも古くから知られている。なお、本来、「モーター」という言葉は「動力」を意味し、特に電動機に限定した用語ではない。それゆえ、何らかの動力の役割を果たす装置は、モーターと形容されることもよくある(モーターサイクル、モーターボート、モーターグライダーなど)。以下では、電磁力により回転力を生み出す一般的な電動機を中心に説明し、それ以外のリニアモーターや超音波モータは末尾で簡単に説明する。回転する電動機は、軸を持ち回転する回転子(ロータ: Rotor)と、回転子と相互作用して回転モーメントを発生させる固定子(ステータ: Stator)、回転子の回転を外部に伝える回転軸、回転軸を支える軸受、損失により発生した熱を冷却する冷却装置などから構成される。回転子と固定子の磁界を発生させる部分を界磁という。整流子電動機 (Brush Motor)や同期電動機で、界磁と相互作用させトルクを得るための磁界を発生させるものを電機子という。負荷機器と接続するカップリング・回転数を下げて目的のトルクを得るための減速機などが付属装置として接続される。整流子電動機は、整流子とブラシによって電機子に流れる電流をきりかえ回転方向を保つ。電動機にはいろいろな種類があるが、電動機は固定子と回転子があって、どちらかが回転変化する磁界を発生して、その磁界の変化によって、駆動力を得るものである。整流子電動機以外の、固定子にコイルがあって、コイルに変化する電流を供給することによって、変動する磁界を発生させる電動機について述べると、回転子の種類に分類できる。ある方向に連続的に駆動力を発生するために駆動側のコイルを複数設けて、磁気の位相を順番にずらして駆動力を発生させる配置にする。その方法もまた、いろいろな配置のものが実用化されている。次に電機子や1次側巻線によって変動する磁界を発生するための電流の種類については次のようなものがある。直流電動機、交流電動機の区分別は電動機の構造の区分でなく、使用法の区分と考えることができ、どちらでも回る電動機もありうる。電動機の損失は、入力電力と出力仕事の差として定義される。電動機の多くは電気によって磁界の変化を作り出し、その磁界の変化によって回転力を生み出すものが一般的であるが、以下のようにこれ以外の原理・構造を持つ特殊な電動機がある。リニアモーターとは、回転式の電動モーターの固定子に相当する一直線に長く伸びた部分の上に、回転子に相当する部分を置いて、磁界の変化によって直線運動を得るものである。リニア誘導モータ(LIM)、リニア同期モータ(LSM)、リニア直流モータ(LDM)、リニアステッピングモータ、リニア圧電モータ、リニア静電モータ等がある。1821年、イギリスの科学者マイケル・ファラデーが電磁気的手段で電気エネルギーを運動エネルギーに変換する実験を行った。上から導線を吊るし、水銀のプールに少し浸しておき、その上に永久磁石を置く。その導線に電流を流すと、導線の周囲に丸い磁場が発生し、磁石の周りで導線が回転する。この実験は学校の物理学の授業でもよく実施されるが、毒性のある水銀の代わりに塩水を使うこともある。これは単極電動機と呼ばれる最も単純な形式の電動機である。後にこれを改良した もある。これらは実演用の装置でしかなく、動力源として実用可能な構造ではなかった。1827年、ハンガリーのイェドリク・アーニョシュは電磁作用で回転する装置の実験を開始し、それを "lightning-magnetic self-rotors" と呼んでいた。彼はそれを大学での教育用に使っており、1828年には固定子と電機子と整流子を備えた世界初の実用的な直流電動機の実験に成功した。その固定部分も回転部分も電磁石になっていて、永久磁石は使っていない。この装置も実験用であり動力源として使えるものではなかった。機械の動力源として使える世界初の整流子式直流電動機は、イギリスの科学者ウィリアム・スタージャンが1832年に発明した。スタージャンに続き、アメリカでトーマス・ダヴェンポートとその妻エミリーと共に商用利用可能なレベルの整流子式直流電動機を開発し、1837年に特許を取得した。この電動機は毎分最大600回転で、印刷機などの機械を駆動した。当時電源としては電池しかなく、その電極用の亜鉛は非常に高価だった。そのためダヴェンポート夫妻は商業的には失敗し破産した。他にも直流電動機を開発した発明家が何人かいたが、いずれも電源コストの問題に直面した。当時、電力網はまだ存在しなかった。したがって、電源コストに見合うだけの電動機の市場は存在しなかった。1855年、イェドリクは electromagnetic self-rotors と同様の原理で役に立つ仕事をする装置を製作した。また同年、電動機で駆動する自動車の模型を作っている。しかし、イェドリクの成果は世界的に知られることはなく、その後の電動機開発に影響を与えることもなかった。1873年、ゼノブ・グラムは2台の発電機を接続し、一方が発電した電力でもう一方を電動機として駆動できることを偶然発見した。このグラム発電機は電動機としても世界で初めて商業的に成功した。1886年、フランク・スプレイグは負荷が変化しても一定の回転速度を維持できる火花の出ない直流電動機を発明した。このころスプレイグは電動機の力を電力網に返す回生技術を発明しており、また路面電車用の架線から集電する方式も発明した。これらの技術を使い、1887年にバージニア州リッチモンドで路面電車を運用して成功を収め、1892年には電動エレベーターとその制御システム、さらにイリノイ州シカゴで集中制御方式の電動式地下鉄(通称シカゴ・L)を成功させた。スプレイグの電動機と関連発明は産業における電動機需要を爆発的に増大させ、他の発明家が同様のシステムを次々と発明するきっかけを作った。1888年、ニコラ・テスラが初の実用的交流電動機と多相送電システムを発明した。テスラはその後も交流電動機の開発をウェスティングハウスで継続した。電動機の効率向上は、固定子と回転子の隙間を小さくすることが重要だということがなかなか認識されず、数十年間進歩がなかった。初期の電動機ではその空隙が比較的大きく、磁気回路の磁気抵抗が非常に大きかった。このため、現代の効率的な電動機に比べると、同じ消費電力で発生できるトルクがかなり小さい。その原因は磁石や電磁石が近いほど引き付け合う力が強いため、ある程度離しておこうとしたためと考えられる。効率的な設計では、固定子と回転子の隙間をなるべく小さくし、トルクを発生しやすい磁束パターンにする。電動機メーカーの一つ、松下電器産業(現・パナソニック)の企画の下で、1963年に『力の技術-モートル-』と題された短編映画(約28分間)が製作されている。当映画作品では、モーターの原理の説明から始まり、各種モーター製品各々の組み立て現場の光景や完成品の動作光景などが、城達也のナレーション入りで、紹介されている。ここで、映画タイトルの中に見える「モートル」は、「モーター」のドイツ語表記“Motor”の20世紀前半まで模範とされていたドイツ語発音に基づく表記方である《ちなみにパナソニックでは、現在、「モートル」という表記方は用いられていない(一般産業向けモーター類の生産は継続)》。当映画作品は東京シネマ(現・東京シネマ新社)により制作されており、現在は科学映像館(NPO法人・科学映像館を支える会)Webサイト内に於いて無料公開されている。
出典:wikipedia
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