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ヤップ島

ヤップ島は、ミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれている西太平洋上の島である。マップ(Maap)島とも。ミクロネシア連邦の西端に位置し、州都コロニアが置かれている。古代よりヤップ州の離島とサウェイ交易を通じた主従関係にあるが、民族的出自や言語は大幅に異なっている。アメリカの無線連絡基地(ロラン)が置かれていたことがある。第一次世界大戦までドイツ領。戦後、日本の委任統治領となる。太平洋戦争中は陸海軍の基地となり、1944年には航空部隊を中心に、合わせて約6000名の将兵が配置され、想定されたマリアナでの戦いに備えて、二本の滑走路が作られた。またその過程で、島民3000名は沿岸部から島の中央に疎開させられた。結果的に米軍の上陸は行われず、終戦まで日本軍はこの島を維持したが、補給の途絶と人口過多により食糧不足に悩まされ、島民と協力して農業や漁業に努めたものの、陸軍250名、海軍94名の戦病死者を出している。戦後、アメリカ合衆国の信託統治領となり、現在はミクロネシア連邦に属する。巨大な石の貨幣(のようなもの)を用いていることで知られる。ただ、個々の石貨には価値が厳密に設定されているわけではない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨の来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。例えばこの石貨はサイズも大きく、白人が来る前からヤップにあったので極めて価値が高いから、あのパンの木何本と交換しよう、というような条件である。また普通の貨幣のように人が携帯するものではなく、特に大きくて動かせないものは屋外の一定の場所に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさない。ただし、かつては石貨は来歴によらず、貨幣として通用していたとする記述も日本国内の文献には存在している。 1898年、同島のドイツ人監督官がある村の住人に、補修を要する道路の工事に出てくることを命令した。しかし村人たちは面倒くさがって作業に出なかったので、監督官は村人の資産を差し押さえた(具体的には、村の石貨にペンキで×印をつけた)。財産を取り上げられて驚いた村民は、直ちに作業に出てきて働いた。作業完了後、監督官はペンキの印を消し、村民に石貨を返してやった。ヤップの石貨には、古代に石器で切り出してパラオから航海カヌーで運んで来たものと、1872年から1901年にかけてオキーフというアイルランド系アメリカ人が機械で切り出して機帆船で持ち込んだものがあり、前者のほうが価値が高いとされている。また1990年代に日本のNPO「アルバトロス・クラブ」がマウ・ピアイルックの協力を得てパラオから航海カヌーで石貨を運ぶ実験を行い、その時に運ばれた石貨をヤップの酋長に寄贈している。ユナイテッド航空のアイランドホッパーと呼ばれる島巡り便が就航するヤップ国際空港がある。

出典:wikipedia

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