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おしん

『おしん』は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていた日本のNHK連続テレビ小説第31作。8月15日から8月20日までの6日間は『もうひとりのおしん』放送につき中断、NHKの連続テレビ小説では『鳩子の海』以来の1年間放送となった。全297話。NHKテレビ放送開始30周年記念作品。連続テレビ小説の定番である“戦中と戦後の混乱期を逞しく生きた女一代記”の一つ。1983年(昭和58年)新春、北へ向かう列車の中である老婦人が座っていた。彼女の名は田倉(たのくら)しん。三重県志摩半島各地に構えるスーパーマーケットの経営者であった彼女は、新店舗開店という記念すべき日に行方を眩ましてしまった。一族が騒然とする中、しんとは血こそ繫がらないものの、孫同然の間柄である大学生・八代圭(やしろ けい)は昔、しんが語ってくれた思い出話を頼りに、山形県の銀山温泉へ、当ても無い捜索の旅に出た。その地で偶然にしんと出会った圭は、今すぐ三重へ戻るよう説得するも、しんは帰ろうとせず、山形の山奥ある廃村に行こうとしており、話を聞かない。だが圭はしんの願いを叶えてあげたいという気持ちになり、彼女をおぶって雪深い山道を進み、廃村へと辿り着いた。そこがしんの故郷であり、雪の中で廃屋となっていた我が家を見た、しんの眼に涙が浮かんでいた。そうして、しんは圭にこの家出が80年以上の人生で自分は一体何を得て、何を失ってしまったか。また、自分のことだけしか考えない経営方針に突き進む息子・仁(ひとし)を、何処でそういう息子にしてしまったのか、を振り返るための旅だと打ち明けた。物語は1907年(明治40年)の春、明治も終わりにさしかかった山形の貧しい農村で生きるおしんの少女時代から始まる。数え年で7歳になるおしんは、4月から小学校へ通うのを楽しみにしていた。しかし母・ふじの懐妊により、おしんは口減らしのため子守りの年季奉公へ出されることになる。奉公先の中村材木店で、初めて経験することばかりに戸惑いつらい思いをしながらも、おしんは半年以上も懸命に励んでいた。しかし根雪の積もる頃、あらぬ疑いをかけられたことで遂に耐え兼ね、おしんは奉公先から逃げ出してしまう。吹雪の中を行き倒れていたところを、おしんは俊作と言う青年に助けられ、彼から読み書きや算数、与謝野晶子の詩などを教わりながら、雪解けの時期を待つ。やがて雪が解け、実家へ戻るため下山したおしんと俊作だったが、憲兵に見つかった俊作は、脱走兵としておしんの目前で射殺される。おしんは無事実家へ戻ったが、奉公先を逃げ出したことと脱走兵と暮らしていたことが噂となり、次の奉公先はなかなか見つからなかった。そこで今度は、生まれて間もない末妹が養女に出されたうえ、母・ふじが銀山温泉へ酌婦として働きに出ることになる。それから間もなく、おしんに新たな子守り奉公の話が舞い込んできた。奉公先は酒田でも知られた米問屋「加賀屋」。裕福な加賀屋での奉公は、おしんにとって贅沢ですらあり、おしんは誰にも頼らず生きていくため商売人を目指すべきと秘かに心を決める。また加賀屋にはおしんと同い年の跡取り娘・加代がおり、最初は彼女を溺愛する両親と共に折り合いの悪かったものの、加賀屋の大奥様で加代の祖母・くにに見込まれたこともあり、様々な出来事を通しておしんは加賀屋で家族同然の大事な存在として扱われるようになる。時は1916年(大正5年)、おしんが加賀屋へ奉公に来て7年の歳月が過ぎた。おしんはわずか16歳で女中頭となっており、そろそろ年頃と言うことで縁談が持ち込まれていた。同じ頃、おしんは警察に追われる青年・高倉浩太を助け、想いを寄せ合うようになる。しかし同じく浩太を慕う加賀屋の娘・加代は、おしんの見合い話を浩太に教え、二人で東京へと駆け落ちする。跡取り娘である加代の駆け落ちと、縁談の相手を手ひどく扱ったことから、おしんは加賀屋から暇を出され、帰郷する。実家へ戻ったおしんを待っていたのは、奉公先の製糸工場で肺結核を患い死の床に伏した姉・はるだった。おしんに髪結いの夢を託し、はるは19歳で息を引き取る。おしんは意を決して上京し、浅草の女髪結い・たかに弟子入り、女性が独り立ちできる数少ない職業である髪結いとして修業を重ね、次第に周囲から認められていく。たかの店に来ても、下働きが続いていた。世の中は、洋髪が流行ってきていた。そんな時、たかの店に、神田のカフェの染子が訪れ、たかはおしんに髪をさせた。染子は、最初激怒するが、おしんの洋髪が気に入り、たかはおしんを出髪専門として、洋髪を始める。そんな中、別のカフェに出髪に行った際に嫌がらせをされた。その時、居合わせたのが後に夫となる田倉竜三である。また、山形を出奔していた加代と再会する。加代は妹の小夜の死を知らなかった。しかし、おしんの説得により加代は山形に帰る。竜三は自分が染子を介して、おしんに出髪を依頼したせいで迷惑をかけたとして、何かと世話をやくようになる。過労で倒れた時には、親身におしんを看病し、遂にはおしんと結婚をする。おしんは羅紗問屋に住むようになるが、源右衛門(源じい)は、おしんを理解していなかった。しかし、次第におしんが身につけている礼儀作法や人柄に感服し、竜三の父大五郎に二人の結婚を認めるよう執り成す。不況のおりおしんは、露店で不良在庫と化した羅紗(洋服の生地)を売るが、若い衆から嫌がらせを受ける。次の日、落とした財布を届けたのが、的屋の元締めの健であった。田倉照会は、羅紗問屋から、子供服を手がけ、百貨店に販路を広げていき、工場を拡張し、縫い子も雇っていくほどの、手広い事業を行っていた。大正12年1月。長男の雄が産まれた。そして、工場を新築し、祝宴を開いたのが、1923年(大正12年)9月1日であった。関東大震災により、工場は全壊し、自宅も全壊していた。源右衛門と雄は、建物の下敷きになっていたが、源右衛門は雄を庇い、死んでいた。竜三とおしんは、竜三の田舎、佐賀へ戻った。しかし、姑の清は、おしんに対して、冷たい態度で接していた。田倉の小作の佐和とは、おしんは仲良くなり、一緒に逃げようとするが、佐和が竜三に話してしまい、頓挫してしまい、その時、転倒しおしんは大怪我を負ってしまい、右手が不自由になってしまう。竜三の妹の篤子が、出産で里帰りをしてきた。おしんも妊娠をしていたが、誰にも祝ってもらうことは出来なかった。そして、篤子の出産の日、竜三は嵐の中、産婆を呼びに行き、夜明けに道端で倒れているおしんを発見する。しかし、子供は死産していた。おしんは、佐賀にいることに耐えきれず、田倉を出る。しかし、清は、長男の雄を手放さなかったが、長男の嫁の恒子が、清の目を盗んで、雄を連れおしんに手渡す。おしんは、東京の髪結いのたかの家に身を寄せる。健が、大判焼きの屋台を出すように進め、おしんも商売を始めるが、健の女房に、誤解をされてしまい、商売をやめ、山形に帰る。山形でも、おしんを庇う、母ふじと兄の庄司が揉める日々であった。そんな中、加賀屋のくにが倒れたと聞き、酒田に出かける。くにも亡くなる。大正14年夏。加代がおしんに飯屋を始めるように進め、開店をする。しかし、加代は加賀屋よりも、おしんを手伝い、両親である清太郎とみのは夫婦仲を心配する。おしんは、加代のために商売を辞める決心をし、浩太の紹介で、伊勢の神山ひさの所へ、雄と旅立つ。おひさの元で、世話になり、おしんは魚の行商を始める。一方、佐賀では台風により、竜三の干拓事業は失敗に終わり、満州へ旅立つことを決意し、最後の別れと、伊勢に訪れる。しかし、おしんと魚屋をやる決心をし、二人で店を始める。昭和4年には、次男の仁が産まれ、雄の小学校入学の際に、山形からふじを呼び寄せる。おしんは妊娠しており、10月には次男の仁が産まれる。しかし、ふじは白血病になってしまう。故郷で死にたいという、ふじの願いでおしんは山形までおぶって連れていった。ふじは雪を見ながら亡くなる。健が突然やってきて、山形出身の女の子、初子を連れて来た。大阪へ奉公に出すつもりだったが、おしんは、自分の奉公時代を見ているようでもあったし、死産した愛の代わりと思い、引き取ることにした。加賀屋が倒産したとおしんは聞く。浩太がやってきて、加代を助けて欲しいと、100円を差し出す。おしんは東京に行き、たかの店に寄り、健と加代がいる、場所に行くが、そこは女郎部屋でも、抜け出せない地獄であった。借金も多く、思案をしていた中、再度、尋ねると加代は急死していた。おしんは、清太郎・みの・加代の骨壺と、加代の忘れ形見の「希望(のぞみ)」を連れ、伊勢に帰る。竜三は、次兄の亀治郎の紹介で、陸軍に、魚を入れる商売を始める。店の経営より、そちらに熱心になり、おしんは最初は反対をする。しかし、家族を守るためと言うことで、賛成するようになる。雄は、中学生になっており、最初、陸軍士官学校を志望するが、初子より、おしんの悲しい思いを聞き、断念する。昭和11年には、禎(てい)が産まれる。雄は京都の第三高等学校に入学し、下宿を始める。戦局が厳しくなってきていたが、竜三は魚類の加工工場や縫製工場を始め、手広く商売をしていた。雄は、京都帝国大学の学生になっていたが、文化系の学生も猶予が解け、招集される。次男の仁も、内緒で少年航空兵に志願して、家を出てしまう。空襲に出会うが、おしんは、初子と希望で、なんとか家を守る。雄の死亡通知が来たが、おしんは信じなかった。終戦の日、竜三は家出をする。山中で自決をしていた。仁も無事に戻り、禎も戻ってくる。家は、元の持ち主が外地より戻ってきて、おしん一家は、片隅に追いやられてしまう。雄と兵隊で同期の川村が復員してきて、雄の形見の日記をおしんに差し出し、おしんと初子は、雄の死を確信する。そして、初子は、絶望して家出をしてしまう。網元のひさも、戻ってきて、おしん一家は、ひさの家に厄介になることになる。おしんは担ぎ屋から始めて、昭和25年に、店を開店する。オート三輪での行商は続けていた。初子が、東京にいることがわかり、おしんは探しに行く。健によって、米軍キャンプで娼婦をしていたのだ。おしんと伊勢に帰ってくる。希望が、窯元に弟子入りをし、家を出る。仁も魚屋に見切りをつけ、東京の百貨店に就職する。しかし、仁は学歴のなさから、失意の上戻ってくる。そんな時、川村が現れ、おしんに駅前の土地を譲渡する。仁は、店の従業員の百合と付き合いながら、知り合った、道子と結婚すると宣言した。おしんは激怒した。百合は家出をし、希望の窯元で、働くようになる。道子の父、川部が資金提供するのを、おしんは断り、浩太を保証人とし、自力でセルフサービスのスーパーを始める。道子との同居では、おしんと何度も衝突をしていた。禎は、従業員の辰則と大学を中退し、結婚をする。昭和43年。たのくらスーパーは販路を広げていた。希望も、作品が入賞し、おしんは窯元から独立をさせる。新しい家の引っ越しの前夜、希望の妻、百合が交通事故で急死する。おしんと初子は、残された圭の面倒をみる。仁の長男、剛が非行に走り、その件で、仁夫婦は、おしんとの同居を考える。おしんは、初子を独立させ、毛糸手芸店を持たせる。裏には、仁の初子に対しての、深い思いがあった。仁は初子が戦後、身を売って送金をしていたことを知っていたのだった。おしんはそのことに涙する。仁夫婦は新しい家を建て、おしんと同居を始める。昭和57年、たのくらスーパーは16号店まで、店を増やしていた。おしんの81歳の誕生日の日に、仁は。17号店の出店を発表する。しかし、おしんは反対する。浩太の食料品店が影響を受けるからである。しかし、仁は聞く耳を持たず、出店を進めてしまう。そして、オープンの日、おしんは、出奔する。山形、酒田、東京、佐賀と圭と周り、旅から戻ってくる。浩太は、自分の土地を、大手スーパーに売っていなかったが、おしんはスーパー田倉が倒産しても構わないと達観しており、浩太は土地を売却する。大手スーパーが出店し、田倉スーパーは苦境に立たされる。仁は道子と離婚を決意していたが、おしんに窘められ、道子と話す。道子も苦境をお互いに乗り越える決意になり、おしんは安心する。家も抵当に入っており、引っ越しの当日、浩太が現れる。仁に、大手スーパーが、17号店を肩代わり(買収)すると進言し、仁は受け入れる。田倉スーパーは負債を抱えることもなく、残った16号店だけで、商売を進めていくことになる。最後は、おしん、仁、初子、禎に希望と圭の墓参りのシーンで終わり、おしんと浩太の海岸シーンで最終カットになる。おしんの夫と義理の家族。おしんの子供たちとその家族。他大橋吾郎、小林綾子、橋田壽賀子、小木新造 ほかテレビドラマの第1部をアニメーション映画化したもの。1984年3月17日公開。高視聴率を挙げたドラマとは裏腹に上映打ち切りが相次ぎ、興行的には失敗に終わる。制作費3億円に対し配給収入は約2億円。失敗の原因に関してサンリオは「サンリオのファミリー映画はいつも子供が親を引っぱってきた。今回は子供にソッポを向かれたのが原因」としている。2006年、ポニーキャニオンから発売された『サンリオ映画シリーズ』の1作としてDVD化された。2012年6月11日にセディックインターナショナルから、実写映画化が発表された。放映開始30周年を迎える2013年10月12日に劇場公開された。主人公のおしん役は半年にわたる全国オーディションで、約2500人の中から濱田ここねが選ばれた。またテレビドラマ版に出演した泉ピン子、小林綾子、ガッツ石松が別の役柄で出演する。監督は山形県鶴岡市出身の冨樫森。山形県内でオールロケを敢行し、2013年2月15日にクランクインし、3月31日にクランクアップした。第22回金鶏百花映画祭にて国際映画部門の最優秀作品賞を受賞。最終興行収入は4億円だった。2015年12月31日に『大晦日! 映画特別企画』と銘打って、TBSの9:55 - 11:55(JST)で地上波初放送(文字多重放送)。

出典:wikipedia

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