『野々村病院物語』(ののむらびょういんものがたり)は、TBS系列で放送されていたテレビドラマ。パートIIの『野々村病院物語II』についても述べる。放映期間は、『野々村病院物語』が1981年5月12日から11月3日までの全26回で、『野々村病院物語II』が1982年11月2日から1983年5月3日までの全26回で、いずれも毎週火曜日の21:00-21:54に放送された。なお、両作には連続性はなく同様なシチュエーションの別バージョンの設定である。宇津井健と津川雅彦が、『シークレット部隊』以来9年ぶりに共演したテレビドラマである。大病院に勤務していた野々村隆之は念願の地域医療をめざした病院を吉祥寺で開業することにした。野々村の父親・野々村智が全財産を投げ出して協力してくれて形ばかりの理事長になり、実際の運営は、強面で口うるさいが人の好い事務長・須崎八一に任せることになった。また、婦長には野々村が、インターン時代からお世話になっている看護婦・広島友子が就任してくれることになった。だが、同期の久米丈二は優秀な外科医だが、主任看護婦の北見紀子とは以前から良からぬ噂が立っており、大学病院から追放同然で野々村が引き受けた形であった。また温厚な内科医の村岡啓介は病弱な妻を抱えており、後輩医師の坂井田一平は前途有望だが、生真面目で融通がきかないところがあった。そんな開院前日に腹痛を訴えた子どもを連れて母親・長岡菜美子がやってきた。休日で見てもらえる病院のあてがないということだった。開業前で正規の医療行為が出来ないので、坂井田が応急処置をとり他の病院に診てもらうよう母親に諭して帰した。だが、夜になって再び母親が、ぐったりとした子どもを抱えて飛び込んできた。野々村は思わぬ容態に緊急手術をせざるを得なくなるが、手ほどきの甲斐もなく子どもは亡くなってしまうのだった。半狂乱になった母親は亡くなった子どもを残したまま行方不明になる。波乱の中で病院を開業した野々村は、前途多難な病院経営を始めていくことになるのだった。薬剤師・村上時子役の紀比呂子も主要な登場人物として幹部会会議などに出ていたが、数回で降板してしまったため薬局関連のシーンが降板以降は、まったく描かれなくなった。看護婦役にユニークで個性的なタレントや女優を起用したり、事務長役の蟹江敬三と事務員の古田守役の山田辰夫との掛け合いのシーンが、コメディリリーフとして機能し、深刻な内容になりがちなドラマを明るくしていた。このパターンは続篇にも踏襲された。アメリカの病院に勤めていた野々村隆之が帰国し亡くなった父が開業した野々村病院の2代目院長に就任する。金儲けに走る院長代理の木井省三が経営を握っていたため、病院は腐敗していた。隆之によって地域医療を理想とする病院として建て直していく物語である。パートIでの主要レギュラーを踏襲しているが、設定や配役を若干変えた変奏曲的作品である。事務長役だった蟹江敬三は医師役だった関口宏と役割交代して外科医役になった。山田辰夫は続けて事務員役で事務長との丁々発止のやり取りに真価を発揮した。このシリーズでの新加入は、精神科医役・白川由美が野々村や木井の大学同窓生として登場。さらに主人公・野々村隆之の娘役には、当時、アイドルとして絶大に人気があった柏原芳恵が抜擢され、その母親役を加賀まりこが演じた。サブタイトルは、パートI同様つけられていなかったが、第10回からつけられた。最終回のサブタイトルは、主題歌「青年の樹」の歌詞にある「吾(われ)は行く」。第1回ATP賞個人賞(武敬子)受賞。
出典:wikipedia
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