西田 吉洋(にしだ よしひろ、1973年1月30日 - )は、日本プロポケットビリヤード連盟所属のプロポケットビリヤード選手(第44期生)。愛媛県出身。元プロサッカー選手。東京ヴェルディ時代に付けられたキャッチコピーは「爆走機関車」。小学校3年よりサッカーを始める。南宇和高校時代の1年上に大西貴、同期に實好礼忠がいる。2年次の1989年に高校選手権優勝、3年次に高校総体準優勝に、いずれも大会最多得点をマークする活躍で貢献。同志社大学在学中には3年次に全日本大学サッカー選手権大会で得点王をマークする活躍で、同校初の決勝戦進出を牽引。また、ユニバーシアード(バッファロー大会)の日本代表フォワードとして活躍した。1995年、卒業と同時にサンフレッチェ広島へ入団。同期に久保竜彦、大木勉、山根巌、吉村光示、萩野英明、三浦和俊、水田月満、玉田真人。当初はフォワードとしてプレーしていた。京都パープルサンガに在籍していた1996年シーズン途中に右サイドバックにコンバートされてから頭角を現し、日本代表候補にも選出された。アビスパ福岡に在籍中だった1998年には、J1参入決定予備戦(対川崎フロンターレ)において、ロスタイムにボールを奪い、劇的な同点劇(試合は延長で逆転勝利)のきっかけを作り脚光を浴びた。2002年は出場機会に恵まれず、シーズン途中にJ1残留争い中だったコンサドーレ札幌に移籍。古巣、東京ヴェルディに恩返しゴールを決めるなど活躍したがチームはJ2降格。降格後も札幌に残留したがその後はふるわず、2003年に戦力外通告を受け退団。移籍先は見つからず事実上の引退となった。2005年12月14日、地元のクラブ愛媛FCがJ2参入に伴いセレクションを実施、参加するも合格に至らなかった。2006年6月頃、移り住んだ京都でマイキューを持った友達に誘われてビリヤードと出会う。負けたのが悔しくて一人で練習をするようになった。曲球で世界的に有名な木村義一が経営するビリヤード場「白ばら」(2008年5月末に閉店)のことを行き着けの美容室で知って訪れた。木村の人柄に触れ、同店に通って練習を重ねるようになった。「10月までにマスワリを出す」と宣言し、プロや常連に指導を受けながら10月23日に達成した。2007年6月、ビリヤードの公式戦「全日本アマチュアナインボール選手権(B級の部)」へ初参加し、5位に入賞した。西田はCUE'S(2007年9月号)誌上でプロになる決意を発言した。2009年には同誌においてプロを目指す企画へ参加。同年、日本プロポケットビリヤード連盟のプロ試験に合格し、第44期生となった。150||6||24||0||9||1||183||716||0||colspan="2"|-||||||||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||1||1||1166||6||24||0||||||||その他の公式戦
出典:wikipedia
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