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金沢次男

金沢 次男(かなざわ つぎお、1958年12月18日 - )は、茨城県常陸太田市出身の元プロ野球選手(投手)。中一でゴルフを始め、当初はプロゴルファー志望だったが、茨城県立佐竹高等学校在学時にその運動能力を野球部顧問に認められ、野球を始める。三菱自動車川崎に進み、1981年の都市対抗に控え投手として出場。同年のドラフト5位で横浜大洋ホエールズに入団。1982年には初登板から26と2/3イニング連続無失点を記録し注目される。速球と大きく曲がり落ちるカーブを武器に、1983年、1984年と2年連続10勝を挙げるなど、遠藤一彦に次ぐ2番手の先発投手として活躍したが、1986年大畑徹と共に木田勇・高橋正巳との交換トレードで日本ハムファイターズに移籍、1986年にも10勝をマークするが1990年オフに戦力外通告を受けヤクルトスワローズに無償トレードにて移籍。91年にプロ初の未勝利に終わると、この頃からサイドスローに転向し、ほとんど中継ぎであったが、ローテーションの谷間で先発するなど、随所で存在感を発揮、1992年と1993年のヤクルトの連覇に貢献し、日本シリーズにも登板した(特に92年は岡林洋一が完投した試合以外の試合に全て登板。)。1995年千葉ロッテマリーンズに移籍し、この年限りで現役引退。引退後はゴルフ界に転進し、レッスンプロとなった。大洋時代、契約更改で1400万円を提示されるはずだったが、球団が桁を間違えて1億4000万円と提示されたことがある。そのまま更改していれば球界初の1億円プレーヤーになっていたが、判を押す前に間違いを金沢が指摘したため球団側が慌てて訂正した。大洋、日本ハム時代は優しい性格をカバーする為に、パンチパーマ、口ひげという風貌だったが、ヤクルトではひげが禁止だった為、剃り落とし、眼鏡をかけていた。あと日本ハム戦で勝利すれば、史上3人目の全球団勝利だった。1982年に中日をリーグ優勝させた、田尾安志に対する5打席連続敬遠の試合で先発している。大洋時代、当時の近藤貞雄監督と反りが合わず、日本ハムにトレードされるが、1989年に近藤監督が日本ハムの監督に就任し、予想通りその年のオフに戦力外となり、ヤクルトにトレードされた。ヤクルト在籍時の1992年8月9日深夜、自宅近くをランニング中に痴漢を発見してその場で取り押さえ警察から感謝状をもらったことがある。現役時代のあだ名は「銀次」。大洋在籍当時、監督だった関根潤三が付けたもので、口元から銀歯が見えたのと、名前の『次男』から由来と言う。巨人の堀内恒夫投手の引退試合において、彼の現役最終打席となる8回にホームランを打たれた。試合後の堀内選手からインタビューで「悪いことをした」とコメントされている。

出典:wikipedia

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