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広島空港

広島空港(ひろしまくうこう、)は、広島県三原市本郷町にある空港。空港法では第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分されている。広島県三原市本郷町善入寺字平岩64-31にある()。1993年(平成5年)10月に開港。山を切り開いて造った空港で標高が330mと高く、山間部にありがちなことなのだが気象条件が急激に変化しやすく、霧などが急に発生し流れ込んでくる傾向がある。また風も急に変化しやすい。運航は霧などの気象条件の制約を受けやすいので、以前は年間75便もが欠航していた。滑走路は10/28方向に3,000mで、滑走路西側からの進入になる「滑走路10」に計器着陸装置(ILS)が設置されている。欠航便や目的地変更便を解消するため、2008年6月5日よりILSをカテゴリーIIIaの運用を開始し、年間2便まで欠航便が減少した。また、1年後の2009年6月4日にはもっとも精度が高いカテゴリーIIIbの運用を開始した。ただしILSが設置されていない東側から進入する場合はILSは使えず、最終的にパイロットが滑走路を目視して手動で着地させる飛行方式で着陸することになる。つまり、東側からの進入では霧などで視界不良になると着陸できなくなる可能性が高くなる。年間利用客数は、開港時の予想で「最大でも300万人」とされていた。実績としては2014年度で国内2,437,574人、国際283,630人。中国地方で2番目に多い岡山空港と比較しても2倍以上である(→中国地方#空港)。2006年にはターミナルの旅客処理能力を500万人程度まで高める事業の一環として、搭乗橋が新たに追加増設された。空港内の施設として海上保安庁第六管区海上保安本部広島航空基地(ひろしまこうくうきち)、広島県防災航空センター(ひろしまけんぼうさいこうくうセンター)が所在している。全日本空輸 (ANA)の国内線においてB777-200(1995年12月23日・5便目)・B777-300(1998年7月10日・初便)・B787-8(2011年11月1日・3便目と3度の初就航、あるいは初就航日の就航地となっている。戦中に日本陸軍の広島飛行場(吉島飛行場)が供用されたが、戦後占領期は接収され、サンフランシスコ講和条約後に返還された。返還後はグライダーの発着に利用されたが廃港になった。滑走路(L=1,300m)の跡地は広島市道中島吉島線(吉島通り)に転用された。高度経済成長期の1961年に1,200mの滑走路を持って開港した広島空港は、現在の広島市西区にあり、現在地に移転後は2012年まで広島西飛行場として供用されていた。旧広島空港から現在地に移転した理由には、地形的に旧空港の拡張が困難で、住宅地に近く騒音問題も有った。また、広島平野の周辺が島や山で囲まれた盆地に位置しており、着陸時に市街地上空を旋回する必要があるなど空港へのアプローチが難しい。1994年には着陸のために空港に近づいていたセスナ機が操縦ミスで江田島の山中に墜落する航空事故も発生している。旧空港(= 現在の広島ヘリポート)は1972年に滑走路長が1,800mに延長されたが、ボーイング747型機等の大型機は離着陸できなかった。さらに、ターミナルやエプロンが狭いうえ平行誘導路を備えていないため、繁忙期であっても便数を増やすことが困難であったことから、需要に対して供給が追いつかない状態にあった。瀬戸内海に面し、天満川と太田川放水路に挟まれた場所に位置していたため、滑走路の延長や誘導路の新設と言った拡張のための用地確保が難しく、新たに瀬戸内海を埋立てて用地を確保するのも費用がかかりすぎるという問題があった。広島市に本社を置く南日本航空(東亜航空)は、1956年(昭和31年)から定期便(鹿児島 - 種子島線)の運航を始め、さらに吉島飛行場を拠点として路線を拡充した。高度経済成長期の1961年(昭和36年)に(旧)広島空港が開港すると同社は吉島から拠点を移し、同空港と中国四国地方や九州とを結ぶ近距離便および東京便の運航を開始した。また、全日本空輸も近距離便などを開設した。このため、近距離便の比重が大きい年間旅客数が20万人を超える空港として発展したが、1966年(昭和41年)に石崎汽船が広島港 - 松山港間に水中翼船を就航させ、1968年(昭和43年)に国鉄がダイヤ改正(ヨンサントオ)をすると、近距離便は伸び悩むこととなった。しかし、1960年代末からは大阪便や東京便の旅客数増大があり、年間旅客数は50万人を超えるようになった。1975年(昭和50年)に山陽新幹線が岡山駅 - 博多駅間で延伸開業すると、大阪便および福岡便が廃止となり、年間旅客数は開業前の約1/3まで減少した。これ以降、当空港の旅客数は東京便がそのほとんどを占めるようになり、徐々に旅客数を増やした。1984年(昭和59年)のエアバス機乗り入れからジェット化が本格的に始まると、年間旅客数は50万人を再び突破し、バブル景気期にかけて急増。1992年度(平成4年度)には約200万人に達した。1993年度(平成5年度)の年間旅客数は、(旧)広島空港が206万人、10月に開港した(新)広島空港が86万人と一気に100万人近い増加を見せた。新空港は、推計人口が県内1位の広島市(、安芸地方、県庁所在地、政令指定都市)と同2位の福山市(、備後地方、中核市)のほぼ中間に位置している。ただし、福山市からは岡山空港()も利用圏内にあるといったことや、バブル崩壊も加わって、新空港の年間旅客数は減少し、1995年度(平成7年度)には265万人となった。その後は増加に転じ、2002年度(平成14年度)に344万人でピークに達した。 この間に、山陽新幹線ののぞみの増発や、500系・700系・N700系が導入され、広島駅 - 東京駅間では航空機と新幹線は時間距離ではほぼ同等となっており、また、2003年10月の品川駅の開業もあって、利用シェアの航空機対新幹線は62%対38%(2002年度)を航空機ピークとして、55%対45%(2005年)、51%対49%(2007年)、と近年急速に新幹線に回帰され、2008年には新幹線が50%シェアにまで回復した。この後、2009年8月29日にエクスプレス予約のEX-ICサービスが山陽新幹線を含む東海道・山陽新幹線全線でサービスが開始されたことなどもあり、新幹線のシェアはさらに拡大し2013年度には、40.4%対59.6%と、新幹線が約6割を占めている。 また、新幹線選択者が増えた理由の一つに、当空港へのアクセスの脆弱性がある。軌道系アクセスがないため、リムジンバスが主流となっており、経路となる山陽自動車道の渋滞/事故による遅延や運休も珍しくなく、特にETCの休日特別割引が行われていた2010年度は799便が運休となり、全本数の1%を上回った。2002年度(平成14年度)の後は横ばいで推移していたが、2008年度(平成20年度)にリーマン・ショックが発生すると減少傾向が強まり、東日本大震災が影響した2011年度(平成23年度)に256万人で底になった。2012年(平成24年)12月に民間にも開放された岩国錦帯橋空港()は、広島市役所からの道程が42km、(新)広島空港のそれが52kmで、両空港から羽田便を運航するANAは、変更可能運賃料金の航空券を2013年8月22日から共通化した。当空港は駐車場が有料なのに対し、岡山・岩国では条件を満たせば無料になるなど、当空港は新幹線や周辺空港と様々な面で競合している。以下に乗降客数を示す。マウスポインタを棒グラフの各要素に合わせると、該当年度の数値がポップアップする。ビル中央に吹き抜けがあり、イベントなどに使用されている。2013年には空港ラウンジが改装され、面積や内装が改善された。2階出発ロビーには、平山郁夫の陶板壁画「厳島神社」(縦2.8m×横12m)が展示されている。ビル内に設置されていた広島空港郵便局は2014年4月1日に廃止された。航空会社が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便。広島市街まで約55 km(約60分)。近くに山陽本線白市駅があるが空港への軌道アクセス路線はないため、全てのアクセスは道路を経由したものとなっている。広島空港からは、一番近いJR山陽本線白市駅をはじめ、三原駅、尾道駅、竹原駅、広島駅および広島市内、呉駅などを結ぶ路線バスが運行されている。また、福山駅~広島空港線にて高坂バスストップにおいて甲奴駅や尾道駅、大三島、府中、平成大学方面への乗り継ぎができる。2016年7月14日~2017年1月13日の予定で、三次市と広島空港を結ぶ空港連絡バスの運行社会実験も行われている。広島空港からの高速バス、路線バスの行き先とのりばの詳細情報は運行会社に関係なく「交通アクセス」に記載されている。自家用車でアクセスする場合、高速道路利用では広島駅から約50kmで、広島高速1号線(6.5km。広島東ICと直結)および山陽自動車道(広島東IC - 河内IC:32.5km)。一般道を利用すると、広島駅から国道2号経由で約53km、1時間半以上かかる。なお空港の駐車場は全てのエリアが有料であり、大部分の駐車場エリアが無料で利用可能な岡山空港と対照的である。かつては空港出口から左手に無料駐車場があったが、現在は閉鎖されており使用できない。民間の駐車場は1箇所のみ存在し割安な料金設定ではあるが、空港から距離があるため無料シャトルバスの利用が必要である。2012年12月13日に、岩国基地の軍民共用化が実現し岩国錦帯橋空港として開港した。広島駅付近から、岩国錦帯橋空港と広島空港はほぼ同距離であり、横川駅より西の地区では岩国錦帯橋空港の方が近い。広島駅からも山陽新幹線を利用すると、やはり岩国錦帯橋空港の方が近くなってしまい、アクセスの改善が急務となっている。2015年現在、広島駅新幹線口から広島空港までを全区間高速道路で結ぶ計画が進められており、今後は広島高速5号線の開通を残すのみとなっている。この区間の供用開始によって、所要時間は38分に短縮される見込み。また、山陽自動車道河内インターチェンジから空港を経由して中国横断自動車道尾道松江線に接続する計画の地域高規格道路「広島中央フライトロード」が一部供用開始されている。2011年に三原市本郷町の空港ICから同市大和町の大和南ICまでの約10Km区間が暫定2車線で開通しており、残りの区間は調査区間に指定されている。最寄駅はJR山陽本線・白市駅で、駅から空港までバスで約15分。かつて、空港と広島市内を結ぶ空港連絡鉄道の構想がいくつか存在した。当初はHSST方式も構想にあがったが断念し、JR山陽本線・白市駅から分岐する新線を敷設する在来線方式の構想になった。広島県の行政側はJR西日本の資金負担を当て込んだが、そもそもJR西日本は航空機の東京便と露骨に競合する山陽新幹線を運行しており、JR側からダイヤが錯綜している、、などの理由が挙がり実現しなかった。その後、JRと接続しない単独路線の建設や、運行車両を広島県が保有しJRにリースすることが計画されたが、「大幅な赤字が予想される」として2006年9月に計画の凍結が発表された。その後の2013年1月18日、白市駅に「広島エアターミナル(HAT、仮称)」を建設し、搭乗手続きや手荷物検査など、空港の一部機能を設置する案が広島県より明らかにされた。なお、他にも新幹線新駅設置やロープウェイ建設などの構想もあった(→空港連絡鉄道#広島空港参照)。

出典:wikipedia

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