ヘネラル・ベルグラノ(ARA "General Belgrano")は、アルゼンチン海軍の巡洋艦。1938年3月にアメリカのニュージャージー州にあるニューヨーク造船会社でブルックリン級軽巡洋艦フェニックス (USS "Phoenix") として建造されアメリカ海軍に納入された。その後日本海軍による真珠湾攻撃を生き延びて太平洋戦争期間中活躍し、大戦終結後の1946年7月にアメリカ海軍を退役した。1951年10月にアルゼンチン海軍が購入し、ファン・ペロン大統領により「ディエシシエテ・デ・オクトゥブレ(10月17日)」 (ARA "Diecisiete de Octubre") と命名された。命名の由来となった10月17日は国家の記念日ではなくペロン大統領が属する正義党(俗にペロン党ともいう)の記念日だったため、クーデターによるペロン大統領の追放後、1816年に行われたアルゼンチン独立戦争時の英雄であり、アルゼンチンの国旗の制定者であるマヌエル・ベルグラーノ将軍の名を取って「ヘネラル・ベルグラノ(ベルグラノ将軍)」と改名された。空母ベインティシンコ・デ・マヨを除けばアルゼンチン海軍一の大艦であり、その後もアルゼンチン海軍の主力と位置づけられたが、さすがに旧式化は否めず、実用艦というよりは海軍の象徴的存在であった。1982年にマルビナス諸島(フォークランド諸島)領有権をめぐりアルゼンチンとイギリスの間に勃発したフォークランド戦争に派遣されたが、5月2日にイギリス海軍のチャーチル級原子力潜水艦「コンカラー」(HMS "Conqueror")から放たれたMk8魚雷を受け撃沈された。撃沈時、ヘネラル・ベルグラノは艦首を吹き飛ばされ、エクトール・E・ボンソ艦長以下、1092名の乗員のうち323名が死亡した。残る770名はアルゼンチン海軍と近隣を航行していたチリ海軍の船艇により救助された。この撃沈後アルゼンチン海軍の士気は急激に低下したと伝えられる。その結果、戦争中のイギリス軍の艦艇の損失はアルゼンチン軍のそれを大きく上回ったものの、結果的にアルゼンチン軍は6月15日に戦闘を停止した。ヘネラル・ベルグラノの沈没では、アルゼンチン海軍の323人が死亡したが、これはフォークランド紛争におけるアルゼンチン側の戦死者649人の半数近くを占める。
出典:wikipedia
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