ミニー・リパートン(Minnie Riperton, 1947年11月8日 - 1979年7月12日)は、アメリカ・シカゴ出身の歌手である。シカゴ生まれ。幼少の頃から音楽に親しんだ。14歳の時にはグループ「ジェムス(GEMS)」に加入、1966年には「アンドレア・デイヴィス」という芸名でソロデビュー、「ロータリー・コネクション」のリードヴォーカルも担当したが、なかなかヒット曲には恵まれなかった。この間にプロデューサーのリチャード・ルドルフと結婚、女優のマーヤ・ルドルフ含む2児の母となり、プライベートでは恵まれた生活を送っていた。1971年にスティーヴィー・ワンダーのバックコーラスに抜擢され、1974年12月にスティーヴィーのプロデュースによるアルバム『パーフェクト・エンジェル』をリリースした。このアルバムからシングルカットされた「Lovin' You 」が、全米で大ヒットとなった。その後はヒット曲のリリースが続いたが、1976年初頭に乳がんと診断され、その年の春に手術を行なった。一時快方に向かったが、1978年には腕にがんが転移していることが判明、1979年7月12日に死去した。31歳の若さであった。5オクターヴから5オクターヴ半という広い声域を持ち、特に「Lovin' You」のサビで使われる超ハイトーンが有名である。後のマライア・キャリー、セリーヌ・ディオンらに幅広く影響を与えた。スティーヴィーはヒット曲に恵まれなかった時期からミニーの歌を聴いており、ミニーに注目していた。スティーヴィーのライヴ会場で、ミニーがスティーヴィーの音楽に対する思いを語ったが、スティーヴィーはミニーのことをファンの一人としか思っていなかった。ところが、社交辞令的に名前をきいてみると、その女性こそ自分が注目していたミニーだったことを知り、スティーヴィーの方が驚き、賞賛の言葉を贈ったという。この偶然がきっかけで、『パーフェクト・エンジェル』のプロデュース及び演奏サポートをスティーヴィーが手がけることになった。『パーフェクト・エンジェル』のブックレットの裏には、「A VERY SPECIAL FAN」という署名とともにメッセージが書かれているが、この「A VERY SPECIAL FAN」とはもちろんスティーヴィー・ワンダーその人であり、スティーヴィーがいかにミニーに注目していたかを示すものでもある。最晩年、死の床にあったミニーにスティーヴィーが見舞いに訪れた時、ミニーは「私の待っていた最後の人が来た。」とつぶやいたという。美しいメロディと演奏側による解釈の自由度から海外ではスタンダード的な曲としてノーマン・コナーズやシャニース、ジュリア・フォーダムなどジャンルやキャリアを問わず多数がカバー。日本国内でも「ジャズ好きな父親の影響で聴いていた」という今井美樹が自身のアルバム「fiesta」(1988年)でカバーするなど元々日本でも馴染みの深い楽曲であった。1991年に日本盤のみ発表されたUKレゲエ歌手ジャネット・ケイの『LOVIN' YOU~BEST OF J.K.』の大ヒットを機に、その後日本国内のアーティストによるカバーも多数発表された。
出典:wikipedia
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