ペドロ・アントニオ・トログリオ(Pedro Antonio Troglio, 1965年7月28日 - )はアルゼンチン・ブエノスアイレス州出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。CAリーベル・プレートでキャリアを始める。1990 FIFAワールドカップにアルゼンチン代表の一員として出場し、ソビエト連邦戦ではゴールを挙げた。イタリアでは4シーズンをセリエA、2シーズンをセリエBでプレーした。選手生活の晩年は母国で過ごし、ヒムナシア・ラ・プラタから移籍した4部所属のクルブ・ビジャ・ダルミネで現役を引退した。プリメーラB・ナシオナルのCDゴドイ・クルスで初めて監督を務めるがシーズン途中に退任。2005年3月、不振に喘ぐヒムナシア・ラ・プラタの指揮官の座に就きクラブをプリメーラ・ディビシオンに残留させることに成功した。翌シーズンのアペルトゥーラではクラブを過去最高タイの2位に導いた。同年6月、ヒムナシアで自身が着けていた背番号である21番がクラブ初の永久欠番に指定された。以降クラブはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタとのダービーマッチでは0-7の大敗を喫するなど再び下降線を辿り、2007年7月に辞任した。しかしファンからの支持は根強く、成績低迷に関する批判は会長に向けられた。同年、ホルヘ・ブルチャガが退任したCAインデペンディエンテの監督に就任したが、翌年3月には成績不振により解任された。セロ・ポルテーニョの監督として2009年のアペルトゥーラを制すると、翌年5月30日にはクラウディオ・ボルギに代わってアルヘンティノス・ジュニアーズを率いることになった。2011-12アペルトゥーラでは開幕以来低迷し、2011年9月18日に辞任することを発表した。2016年3月22日、CAティグレの監督に招聘された。
出典:wikipedia
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