芦屋線(あしやせん)は、かつて福岡県遠賀郡遠賀村(現・遠賀町)の鹿児島本線遠賀川駅より分岐し、同郡芦屋町の筑前芦屋駅までの間を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。1961年(昭和36年)6月1日に廃止された。その複雑な経緯から「国鉄の営業路線であるが国鉄線ではない」と呼ばれたり、営業期間が短かったため「幻の路線」と呼ばれることもある。営業時の写真もきわめて少ない。芦屋町に建設された日本陸軍芦屋飛行場を第二次世界大戦後に進駐軍が接収し、米空軍芦屋基地としたが、この芦屋基地へ建築資材、燃料、ジープ、トラックなどの物資を輸送するために建設された路線(進駐軍専用側線)が芦屋線である。その建設目的から、建設費用は大蔵省の終戦処理費により拠出された。路盤は旧芦屋鉄道(1915年開業、1931年廃止)の廃線跡の多くを利用している。その後、1950年から大蔵省の所有路線となり、駅業務を国鉄へ委託することで一般旅客輸送も行われるようになった。同年に起きた朝鮮戦争では芦屋基地が輸送基地となり、物資の輸送量が増加していた。しかし、委託路線ということもあって、正式な国鉄路線とは認知されていなかった面があり、九州地方版の「時刻表」には掲載されていたが、全国版の「時刻表」の中には芦屋線が掲載されていないものもあった。しかも、時刻表によっては「筑前芦屋」と「芦屋乗降場」の2つの時刻が掲載されているなど謎が多い。なぜ両者の時刻が記されていたのか諸説あるが、定かなことは分かっていない。遠賀川駅では芦屋線専用ホームはなく、室木線ホームより列車が発着していた。芦屋線について記載のあるダイヤグラムでは、遠賀川 - 筑前芦屋間5.5km、遠賀川 - 乗降場間6.2kmである。筑前芦屋は基地外にあった運転室を意味し、乗降場は基地内の駅本屋を指すといわれる。すなわち筑前芦屋駅全体は芦屋基地の内外にまたがっていた。また乗車券も、九州内各線相互間の間でしか販売されておらず、その他の地域から乗車する場合は遠賀川駅で距離計算が打ち切られ、芦屋線内だけ別立ての運賃を払うようになっていた。末期は遠賀川の両岸で、折尾から芦屋行きのバスが何本も運転されていたため、乗客は少なく、列車は蒸気機関車1両に旅客輸送用の客車1両と物資輸送用の貨車(燃料輸送用のタンク車など)を連結した混合列車として運転されていた。1961年、米軍芦屋基地が返還されると同時に廃止された。廃止日は鹿児島本線の電化開業日と同じだった。全線福岡県内に所在。接続路線の事業者名は芦屋線廃止時点のもの。線路は遠賀川駅から一旦西に進み、北東方向へカーブし、もう一度カーブして北へ進んでいた。遠賀川駅付近のカーブ部分は完全に区画整理され、カーブ部分から北側は県道285号となり、芦屋町南側の浜口交差点から北は国道495号となっている。
出典:wikipedia
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