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スティーブ・フランシス

スティーブ・フランシス(Steven D'Shawn Francis, 1977年2月21日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州タコマパーク出身の元バスケットボール選手。ニックネームは、「ウインク」、「スティービー・ザ・フランチャイズ」(Stevie The Franchise)。サンジャシント、アレガニーのジュニアカレッジで2年間プレイした後、NCAAディビジョンIのメリーランド大学へ転校、抜群の運動能力と高いバスケットボールスキルから、しばしばアレン・アイバーソンと比較され、注目を集めた。その後、NBAにアーリーエントリー。1999年のNBAドラフトで、バンクーバー・グリズリーズ(現メンフィス・グリズリーズ)から全体での2位指名を受けるも、カナダの事は全然知らないという理由で入団を拒否。マイケル・ディッカーソン、オセラ・ハリントンらとの交換でヒューストン・ロケッツに放出された。ルーキーイヤーから恵まれた身体能力を生かし得点を量産。1試合平均18.0得点6.3アシストを記録し、エルトン・ブランドと共にルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞する。その後4シーズンロケッツに在籍。チームのトップスコアラーとして君臨、ファンからも絶大な人気を誇ったが、02-03シーズン、2002年のNBAドラフトで1位指名権を得たロケッツは、中国の長身選手姚明を獲得。低迷するチーム事情からロケッツのフロントはヤオ中心のチーム作りをはじめる。フランシスはこの方針に納得がいかず、03-04シーズン終了後、オーランド・マジックに放出された。03-04シーズンは、キャリア最低の数字に終わったが、マジックでは再び活躍。グラント・ヒル、ドワイト・ハワードらとプレーオフ進出を賭けて戦うが、あと一歩及ばなかった。05-06シーズンはチームは低迷、フランシスもチームから出場停止処分を受けるなど不本意なシーズンを送った。05-06シーズン途中、NBAを揺るがすビッグニュースと共にニューヨーク・ニックスへ移籍。このとき、ニックスはチーム史上最悪と形容してよいほどの衰退を見せていた。フランシスはチームの起爆剤となるか注目されたが、エースステフォン・マーブリーとポジションが重複、名将ラリー・ブラウンも効果的なローテーションを見つけることができず、ニックスはディビジョン最下位でシーズンを終えた。フランシスの数字も移籍後は急降下した。このシーズン、ニックスでは24試合に出場したが、先発出場は15試合のみに終わり、マーブリーとは反目する日々が続く。06-07シーズンも調子は上がらずトレードの噂も流れたが、結局シーズン終了まで残留した。2007年6月28日、NBAドラフト当日のトレードによりポートランド・トレイルブレイザーズに放出され、更にチームの構想から外れ、7月11日にバイアウトで解雇された。07-08シーズンは、古巣ヒューストン・ロケッツに復帰するが出場時間を与えてもらえず、膝の故障が悪化し、シーズン絶望となった。08-09シーズン途中、ドラフト2巡目指名権との交換でメンフィス・グリズリーズに放出され、間もなく解雇された。高い身体能力と巧みなボールハンドリングで、ストリートバスケでなドリブルを見せる。特に、クロスオーバーと呼ばれる左右に大きくるドリブルは彼の代名詞のひとつである。またスピードを活かしてペネトレイトし、鮮やかなダンクをすることも出来る。しかし、ドリブルを始めるとそこからシュートまで行くという選択肢しかなくなるため、基本的にパスが少なくなる。

出典:wikipedia

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