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櫻内幸雄

櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年(明治13年)8月14日 - 1947年(昭和22年)10月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。商工大臣、農林大臣、大蔵大臣など歴任。元中国電力会長櫻内乾雄、元衆議院議長櫻内義雄の父。福田康夫元首相の妻貴代子や政治家の太田誠一は孫。旧雲州広瀬藩士・櫻内和一郎の長男。東京専門学校(現・早稲田大学)中退。岐阜新聞、愛知新聞などで記者を務めていたが、実業家の雨宮敬次郎に認められ、実業界に入り、大日本軌道、日本高架鉄道の設立に参画、1907年(明治40年)東洋競馬会を起こして理事。また銚子、石巻、埼玉、逗子などで電燈会社を創業、1910年(明治43年)日本電燈株式会社を設立し取締役。のち揖斐川電気、琴川電力、出雲電気各社長を務めた。他に支那興業、利根川水力など電力数十社の重役、相談役を兼ねた。その間、1920年(大正9年)以来衆院議員(島根1区)当選8回、政友本党で政調会長、総務、民政党に合して初代幹事長、総務。1931年(昭和6年)第2次若槻礼次郎内閣の商工相、1939年(昭和14年)平沼騏一郎内閣農相、1940年(昭和15年)米内光政内閣蔵相を歴任。翼賛会、日政会各顧問、鈴木貫太郎内閣顧問、1945年(昭和20年)枢密院顧問官。1946年(昭和21年)公職追放。幸雄は十歳に満たぬ年少の身でありながらすすんで母を手伝った。母のつくった豆腐や油揚げは店で売れるのは量が知れていた。母は自分のつくった油揚げを籠に入れて背負い山坂越えて遠く島根県八束郡の外海方面まで行商に行った。幸雄少年も小さな肩に荷物を背負い、近隣の村々を売って歩いた。毎朝五時に家を出て、八時過ぎに帰ってくると、朝めしもそこそこに学校にかけつけ、午後になって帰宅すると、まもなく夕方から豆腐売りにでかけるのである。ときによると、その前に菓子や飴などの行商にも出たというから、少年とはいいながらその奮闘ぶりは周囲の人たちを感動させたものらしい。“士族の坊っちゃまが…”そういって彼らは、つとめて幸雄少年から買ってくれるのであった。

出典:wikipedia

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