酒井 勉(さかい つとむ、1963年6月27日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。東海大浦安高校では、夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、銚子商に完封負け。東海大学へ進学。同期に関根勝美(朝日生命)、2年下に荻原満など好投手がおり、あまり出番はなかった。首都大学リーグでは在学中6回の優勝を経験。リーグ通算11試合登板し1勝1敗。他の大学同期に渡辺伸治がいる。卒業後は日立製作所に入社し、の都市対抗野球に出場。同年のドラフト1位でオリックス・ブレーブスに入団。ルーキーイヤーのはサイドスローから繰り出す、スピードはないが重い球質の直球と打者の裏をかいて打ち取る頭脳的な投球術でシーズン前半は先発、後半は抑えで9勝9セーブ(7敗)を挙げ、渡辺智男(西武)との激しいマッチレースを制して新人王に選ばれる。には10勝を挙げた。しかし翌のシーズン中盤に黄色靭帯骨化症という特定疾患(難病)を患っていることが判明。背骨の一部を摘出する大手術を受けたため、同年のシーズン終了後にはオリックス球団との間で日本プロ野球史上初の複数年契約(3年契約)を結んだ。しかしチームの世代交代の時期と重なったこともあって、一軍への復帰を果たせないままに現役を引退した。引退後は、オリックスの二軍マネージャー、アスピア学園関西野球専門学校(廃校)の監督、野球解説者を歴任。からまでは、オリックスの二軍・サーパス神戸投手コーチを務めた。からはオリックスのスカウトに転身したが、のテリー・コリンズ監督辞任を機に同年5月22日からまで再び二軍投手コーチを担当した。には再びスカウトへ転じている。2軍投手コーチ時代は西勇輝を育て、スカウト時代は平野佳寿を担当した。に東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍投手コーチへ就任。から2014年7月1日までは、二軍チーフ投手コーチを担当していた。5月には一軍監督の星野仙一が自身と同じ黄色靭帯骨化症と腰痛を併発させて休養、当初一軍投手コーチの佐藤義則が監督代行をつとめていたが、7月2日に佐藤に代わり二軍監督の大久保博元が一軍監督代行を務めることになり、酒井が二軍監督代行となった。7月24日に星野が一軍監督に復帰、大久保も二軍監督に復帰したことから、酒井も二軍投手コーチに復帰。からは二軍監督。同年10月4日に退団(酒井から退団の申し入れを受け、球団がそれを了承)。から一軍投手コーチとしてオリックスに復帰することが決定したが、開幕から低迷が続き、同年4月17日に投手陣崩壊の責任をとる形で二軍育成コーチに降格となった。
出典:wikipedia
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