名古屋帯(なごやおび)とは日本の女帯の一種。名古屋で考案されたことに由来する。袋帯より長さが短く一重太鼓結びにする長さの帯で、軽く締めやすい帯である。当初は染め帯であったが、織り帯も作られるようになり、金糸銀糸を使用したものは付け下げ、色無地に合わせて準礼装に、その他のものは小紋や紬などのお洒落着に合わせる。以下の2つの種類に大別される。時代と共に寸法が変わっており、近年は、お太鼓の部分の仕立て上がり幅は、いずれも鯨尺8寸2分となる。寸法は、西陣織工業組合(京都)の規格。仕立てる前の幅が鯨尺9寸なので、九寸名古屋帯と呼ばれる。未仕立ての巻物として売られており、お太鼓の部分を8寸2分幅で、残りの部分は半幅に折りたたみ、帆布や、綿の帯芯を入れて仕立てる。織りの帯と染めの帯があり、素材と色柄が豊富である。格調の高い柄の織り帯は準礼装にも使うことができる。染め帯はお洒落用として用いる。鯨尺8寸2分の幅で織られた地厚の織り帯で、お太鼓部分を折り返して二重にし、帯芯を入れずに両端をかがって仕立てる。綴織などの格調ある織りは準礼装に使うことができるが、一般的には紬や小紋に合わせる。袋名古屋帯や八寸帯、かがり帯など、さまざまな名前で呼ばれる。昭和初期ごろから八寸名古屋帯が使われはじめ、昭和30年代に人気となり、普及した。大正末期に名古屋女学校(現在の名古屋女子大学)の創始者越原春子が考案した。名古屋の松坂屋が率先して売りだし、全国的に広まった。また、もう一つ説がある。当時、飯田志よう(名古屋在住)が、中部の工芸展覧会に考案し出品したものが入賞し「文化帯」の名で普及したものが、後に名古屋帯と改められたものである。1991年に日本テレビ系列中京テレビにて、「名古屋帯は誰の発明か?」という番組が放送されたが、番組内で当時の記録などを辿っても明確な事は分からなかった。両者とも教育者であり、名古屋帯を語るには忘れてはならない人物である。
出典:wikipedia
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