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愛染明王

愛染明王(あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王の一つ。梵名のラーガラージャ()あるいは、マハーラーガ()は、サンスクリット経典にその名は見られないが、チベットの経典や儀軌には散見され、中でもチベット密教の四大宗派に共通する後期密教のテキストである、「プルパ金剛」の儀軌や次第、グル・デワ・ダキニの『三根本法解説』等には、「プルパ金剛十大忿怒尊」の一尊としてこの愛染明王が登場するまた、漢訳では真言宗で五部秘経に数える『瑜祇経』(大正蔵№867:金剛智三蔵訳)を典拠とするだけではなく、宋代の訳である『仏説瑜伽大教王経』(大正蔵№890:法賢三蔵 訳)や、『仏説持明蔵瑜伽大教尊那菩薩大明成就儀軌経』(大正蔵№1169)をはじめ、チベット密教では、ニンマ派が伝承する旧訳『大幻化網タントラ』(グヒヤ・ガルバ・タントラ)経典群等の各種の曼荼羅や、サキャ派やカギュ派が伝承する新訳『幻化網タントラ』(マーヤ・ジャーラ・タントラ)の曼荼羅にも、尊那仏母(准胝観音)や大日如来の守護尊(yidam:イダム)として、穢跡金剛(大力金剛)や、不動明王らと共に、梵名のタキ・ラージャ(takki raja)の別名でも登場する。『覚禅鈔』には、愛染明王の異名として「吒枳王」(タキ・ラージャ)を挙げ、『妙吉祥平等秘密最上観門大教王経』(大正蔵№1192)には、このタキ・ラージャが「大愛明王」と訳されており、その真言が「ウン・タキ・ウン・ジャク」とあるので、那須政隆はタキ・ラージャを愛染明王であるとしている。このように愛染明王は数々のインドにおける経典にも登場する。なお、この「プルパ金剛」の真言と印は、日本最古の次第書である『寛平法皇の次第書』(別名;小僧次第)にも尊名は無いが梵字で真言が登場し印相も述べられており、ので、愛染明王において日本密教とチベット密教の共通性を見ることができる。愛染明王の密号は『離愛金剛』で、『白宝口抄』には「離愛金剛は即ち愛染明王なり」としていて、ここで「離」は生死の業となる因子の煩悩や渇愛を離れる意味で、「愛」は菩提(覚り)の妙果を愛する意味であるので、『離愛金剛』は「愛欲(煩悩)を離れ、大欲に変化せしむ」の意味となる。日本密教の愛染明王は、『金剛頂経』類に属するとされる漢訳密教経典の『瑜祇経』に由来し、この経典は正式名称を『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』といい、同経典の「愛染王品第五」に愛染明王が説かれている。その修法は、息災・増益・敬愛・降伏の『四種法』の利益をもって記述され、その功徳は、「能滅無量罪 能生無量福」(よく無量の罪を滅して、よく無量の福を生じる)とも説かれている。また、同経典の中で「三世三界中 一切無能越 此名金剛王 頂中最勝名 金剛薩埵定 一切諸佛母」(三世の三界の中にあって、他の一切が誰もこの尊を越えることができ無いので、この尊の名前は金剛の王とされ、『金剛頂経』の中で最勝の名前であり、、この日本密教における大日如来や如意輪観音、如意宝珠等を中心として、左右に不動明王と愛染明王の二体を祀る形式は非常に古く、他にも京都や高野山の古刹の寺院などに現在も少なからず見かけることができる。歴史的な資料としては、9世紀当時のバセルチン(dBa gSal snang)が著したチベットの歴史書である『バシェー』(dBa bzhed)によると、空海と同時代の人物であるインドの密教行者グル・パドマサンバヴァが、国王ティソン・ディツェンの勅命によりチベットに初めて建立した国立の大寺院であるサムイェー寺は、四面二臂の『大日経』系の姿をとる大日如来を中心とする、三層から成る立体曼荼羅を実現させた密教寺院であるが、寺の入り口の左右には守護者である門神として、不動明王(アチャラ・ナータ)と並んで愛染明王(タキ・ラージャ)が祀られていたという。サムイェー寺は歴史の変遷の中で立替がなされ、現在はチベット動乱後にディンゴ・ケンツェ・リンポチェの資金援助で再建されたものが建っているが、チベット仏教で人気のある馬頭観音と金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ)に換えられてしまっている。日本では、この不動明王と愛染明王の両尊を祀る形式が1338年頃に成立した文観の『三尊合行秘次第』に始まるとする説がある。この説に基づくならば、現在、広島県にある円光寺・明王院(福山市)は、大同2年(807年)に空海が開基したと伝えているが、この寺の境内にある五重塔(国宝)は貞和4年(1348年)に建立され、初層に大日如来を本尊として左右に不動明王と愛染明王を祀っているので、日本におけるその初期の例として挙げることが出来る。ただ、文観自身はこの書を書写したとしており、密教の事相上では『三尊合行秘次第』の本尊となる如意宝珠は特殊な形をしていて「密観宝珠」とも呼ばれ、如意宝珠形の下に五鈷杵を配した舎利塔に仏舎利を入れたものであるところから、これを如意輪観音の三昧耶形であるとして、空海の直弟子に当る観心寺の檜尾僧都実恵や、醍醐寺の開祖理源大師聖宝の口伝にまで遡ろうとする考え方もある。ちなみに、高野山には空海の請来になる品物を保管している「瑜祇塔」という建造物がある。この名は、愛染明王と同じく『瑜祇経』を典拠としているが、その正式名称は「金剛峯楼閣瑜祇塔」で、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺の呼び名は、この「瑜祇塔」に由来する。愛染明王は「、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さの象徴である獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしている。もともと密教における蓮華部の敬愛を表現した仏であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。また、『瑜祇経』第五品に記される偈頌(げしゅ)である「衆星の光を射るが如し」の部分を再現した天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿の高野山金剛峯寺に伝えられる「天弓愛染明王像」や、京都府木津川市山城町の神童寺像、山梨県甲州市塩山の放光寺像などがあり、更には、日蓮筆と伝える「愛染不動感見記」の馬に乘る八臂像や、両頭など異形の容姿で描かれた図像も現存する。愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護仏としても信仰されている。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。日蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれているが、空海によって伝えられた密教の尊格であることから日蓮以来代々梵字で書かれている。なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。軍神としての愛染明王への信仰から直江兼続は兜に愛の文字をあしらったとも考えられている。愛染明王の姿は『瑜祇経』に説かれる一面六臂が一般的で、密教の仏であるからその姿には様々な象徴的な意味があり、それを愛染明王の「本誓(ほんぜい)と功徳」としてここに明らかにしておき、愛染明王の仏教的な働きの意味の理解を深める一助とする。いわゆる愛染明王の姿の特徴は、一面三目・六臂で、頭上には獅子の冠を頂き、冠の上には五鈷鉤が突き出ていて、その身は赤色で宝瓶の上にある紅蓮の蓮華座に、日輪を背にして座っている。これらの相が示すその象徴的な意味は以下のようになる。更に、愛染明王は仏としての誓願に基づき、一切衆生を諸々の苦悩から救うために十二の広大な誓願を発しているとされ、その内容は以下のようになる。(なお、真言を唱える際には個別の灌頂を必要とし正しく潅頂をえていない場合には唱えることは相応しくなく、その功徳を失う。また、未灌頂者に真言法を教えた者は三昧耶戒に違反となる。[未潅頂者 請勿誦呪])明王はその称号に「明呪の王」とあるように、真言(マントラ)から派生した手印が少なからずあり、愛染明王も流派や師伝、その系統によって手印にはいくつかのバリエーションが見られる。『降三世儀軌』(trailokyavijayakalpa)には、金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ)が世尊(大日如来)の教えを授かった上で、「タキ・フン・ジャク」(takki hun jah)の心真言を述べていて、これを四臂の金剛手菩薩となる「具徳金剛手」であるとしている。平岡龍人は『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』の中で、これを「タキ = 欲(欲の自性)」と、「フン = 憤怒」と、「ジャク = (欲と憤怒の)両者を鈎招し」と訳し、「タキ・フン・ジャク」の真言を「一切世間の全ての有情を欲と憤怒で清める」と訳した上で、この「具徳金剛手」を金剛薩埵の「愛染三昧」の化身で、愛染明王と同様の姿であるとしているが、このことから、愛染明王の起源を金剛薩埵に求めることも考えられ得る。また、同様の理由から栂尾祥雲は『理趣の研究』の中で、『理趣経』の主題である五秘密について触れ、「欲・触・愛・慢」における金剛薩埵の「五秘密の三昧」は愛染明王の姿であるとし、『理趣経』の本尊は愛染明王に他ならないとしている。日本密教では、愛染明王とその諸尊を説く大法の『愛染明王私記』や、諸明王の別法や大法を集めた『明王法集』、愛染明王法と同じく『瑜祇経』を典拠とする五重秘伝の智火を燃やす『内護摩次第』等が知られていたが、作法や実修の内容が難しくて時間もかかるため今では行なわれてない。かわって、短い「一尊法」形式のものや、一段から三段の外護摩の『護摩次第』が中心となっている。中国密教では、愛染明王は「唐密」において有名であるが、その法や潅頂を伝えている人は少なく、そのため次第やテキストは非常に稀である。チベット密教では愛染明王の単尊の潅頂や、「プルパ金剛法」やタントラの原典に付随する大法における部分的な灌頂を伝えているが、愛染明王の単独での修法や法要等の現行のテキストは知られていない。また、「唐密」やチベット密教では愛染明王法には特別な法具を用いており、その一つとして金剛橛(プルパ杵)を挙げることができる。『秘抄』の作法中によると、空海が弘仁4年(813年)に興福寺の「不空羂索観音」を本尊とする南円堂を建立の際に『八大明王鎮壇法』を修して、その典拠となる『大妙金剛経』(大正蔵:№965)を入唐八家の安祥寺僧都恵運が伝え、後に小野派随心院僧都成尊がこれを再び修したとされている。この古密教に属すると見られる『八大明王鎮壇法』では、いずれも金属製の法具として、八葉の蓮華座の上に八幅輪の「輪宝」を載せ、その上に「橛」(金剛橛)を載せたものを八個並べて修法を行なうとあるので、日本でも明王の修法には金剛橛が用いられたことが分かる。日本の「八大明王法」は、主に愛染明王と同じく獅子の宝冠を被る仏眼仏母を本尊としており、醍醐寺にはこの八大明王を配する『仏眼曼荼羅』を秘蔵しているが、現在、金剛橛を用いる修法は伝えられておらず、この「八大明王法」が修されることはない。なお、「八大明王法」と類似の法としては、同時代に伝えられたチベット密教における『八大ヘールカ法』を挙げることができる。愛染明王に関係する修法において、かっての日本の東密では金剛杵として古法の「如意宝珠法」や「愛染王法」・「両頭愛染法」において、特殊な金剛杵である割五鈷杵(わりごこしょ)を用いたことがある。これは一般的な五鈷杵を縦に2つに割って、片方づつが五つの山からなる刃で構成され、愛染明王の出典である『瑜祇経』には「五山杵」(ごさんのしょ)と記述があるところから、別名を「瑜祇杵」(ゆぎしょ)ともいう。本来は、この五鈷杵の中心に貴重な「仏舎利」を入れて修法に用いることを目的とする法具である。その両端の片方が三鈷杵、もう片方が二鈷杵になっているので人形(ひとがた)にも見えるところから、立川流では、この五鈷杵を好んで用いたとされ、流派独自の命名でその名を「人形杵」(にんぎょうしょ)と呼んでいた。立川流が邪教とされて弾圧を受けた際に、この「人形杵」がその弾圧のシンボルとされたため、密教僧が持つことも禁じられて消滅したといわれている。現在は、博物館などに文化財として少数が残されている他、好事家の収集品や「唐密」の古法類において知られるのみとなっていて、一般に用いられることはない。日本密教中国密教チベット密教『心曼荼羅』とは、その尊格の心真言による「字輪観」より生じた、説会の曼荼羅のことを言う。中国密教の「唐密」やチベット密教等では、各々の尊格が個別の異なる「字輪観」を説くが、日本密教では口伝の残る「阿弥陀如来法」や「如意輪観音法」と、「不動明王法」の一部に各尊の「字輪観」を伝えるのみで、他は「大日如来法」の五仏の真言をもって代用し、全て同じ「字輪観」としている。それ故、ここでは中国密教の「唐密」が伝える『愛染明王成就儀軌』に説かれる『心曼荼羅』を紹介する。なお、日本密教では『理趣経』に説かれる「初会の曼荼羅」が、説会の曼荼羅に相当する。『本尊曼荼羅』とは、愛染明王を曼荼羅の本尊として中心に配置し、その周りを多数の尊格が取り囲む形式で描かれるもので、日本密教では通常『別尊曼荼羅』と呼ばれる曼荼羅を指している。愛染明王の曼荼羅は多岐にわたり、その種類や登場する尊格も様々であるので、ここでは日本密教のものに限定し、具体的な例を挙げて解説を加える。いわゆる日本の愛染明王の『本尊曼荼羅』は、次の3種類に分けることが出来る。愛染明王を本尊とし、その周囲に眷属聖衆や護法尊等を配置する形式の中国密教やチベット密教とも共通する『本尊曼荼羅』、愛染明王を「金剛王菩薩」であるとする一般的な『愛染曼荼羅』、異形の「両頭愛染明王」(りょうずあいぜんみょうおう)を本尊とする『両頭愛染曼荼羅』である。この他には、神仏混交を背景とした『本地曼荼羅』も知られているが、ここでは割愛する。本尊曼荼羅愛染曼荼羅両頭愛染曼荼羅愛染明王は守護尊(明王などの力のある尊挌を脇持や念持仏とすること)として祀られることが多いが、以下のように本尊としている例も存在する。

出典:wikipedia

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