恵宗(けいそう、912年 - 945年10月23日(旧暦9月15日))は第2代高麗王(在位:943年7月5日(旧暦5月30日) - 945年10月23日(旧暦9月15日))。姓は王、諱は武、諡号は仁徳明孝宣顕高平景憲義恭大王。字は承乾。太祖の長男。母は荘和王后呉氏。912年に羅州市で誕生した。父にとっては初めての子であった。長男であるにも関わらず、母が三国時代の中国からの帰化人であり、高位家門の娘ではなかったため、即位までに困難が多かった。その後、921年に皇太子となった。太祖の崩御後、程なくして王に即位した。しかし、実権は重臣で義父でもある王規(ワン・ギュ)に握られており、自身の権力は弱かった。また、異母弟の王堯、王昭等が王権を脅かす存在でもあった。即位後わずか2年で病死した。その死が突然だったことから、暗殺だったのではないかという説がある。陵墓は、開城特級市にある順陵である。
出典:wikipedia
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