井上 嘉浩(いのうえ よしひろ、1969年12月28日 - )は、元オウム真理教幹部。確定死刑囚。京都府京都市右京区出身。ホーリーネームはアーナンダ。教団内でのステージは正悟師。高校1年時に阿含宗に入信したが、2年時の1986年にはオウム神仙の会に入信する。1988年、京都の私立洛南高等学校を卒業し、3月1日に出家。合格していた日本文化大学法学部へ入学。地下鉄サリン事件の3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。また、教団が省庁制を採用した後は諜報省長官とされた。駐車場経営者VX襲撃事件、会社員VX殺害事件、被害者の会会長VX襲撃事件、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件、地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件に関与する。新宿駅青酸ガス事件、東京都庁小包爆弾事件には首謀者として関わった。公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で特別指名手配されていたが、1995年5月15日に秋川市(現あきる野市)で発見され、公務執行妨害の疑いで、豊田亨と共に現行犯逮捕される。乗っていた車の中から東京都庁小包爆弾事件・島田裕巳宅爆弾事件で使われた爆発物の原料となる物質が発見された。1995年12月26日付で、オウム真理教から脱会したとして、サマナや信徒宛にメッセージを出し、脱会を促す。メッセージの中では「グルの意思」の名の下になした修行の結果、生じた犯罪行為によって身体は拘束されているが、心は以前よりもずっと自由である旨が記されていた。さらに、教団で培った様々な観念は崩れ去り、覚醒を得ようとするなら「最終解脱者」や「救済者」は必要がない、「尊師」も「正大師」も「サマナ」もそんな階級などいらない、教団など何一つとして必要ないと言い切った。第一審では死刑の求刑だったが、目黒公証役場事務長事件では逮捕監禁罪を認めたが逮捕監禁致死罪を認めず、地下鉄サリン事件では連絡役に留まるとして2000年6月6日に東京地裁で無期懲役判決が下った。オウム真理教事件において死刑求刑に対して無期懲役判決が下ったのは初めてであった。検察が控訴し、控訴審では目黒公証役場事務長事件の逮捕監禁致死罪を認め、地下鉄サリン事件の現場指揮者ではないが総合調整役として無差別大量殺人に重要な役割を担ったことを認定して死刑判決を受けた。2009年12月10日に上告棄却、2010年1月12日に上告審判決に対する訂正申し立てが棄却され、死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは9人目。2016年現在、東京拘置所に収監されている。非常に信心深く、修行に際しては同じ行を繰り返し行うことで知られていたことがワイドショーに出演した元信者の告白などで語られている。ワイドショーでは水中クンバカの行を行い、5分30秒も水中で結跏趺坐を組み続ける姿も放映された。かつて瞑想修行中に麻原の妻である松本知子から「アーナンダは眠っている」としつこく注意されたが、「私は起きている」と反論すると、麻原からカーボン製の竹刀で打擲され、1週間ほど立つのにも苦労した経験があったことを公判中に語った。 死刑確定後の2011年に井上は公証人役場事務長逮捕監禁致死事件の被害者(事務長)の長男に関係者を介して手紙を出した。その内容は、これまで事務長の死因を麻酔薬の副作用と述べていたが、それは事実ではなく、中川智正(当時医師)が故意に殺害した可能性がある、というものだった。しかし、この時点での捜査機関の対応はなかった。その後2012年1月に平田信が、6月には高橋克也が逮捕され、両名は公証人役場事務長事件に関与していたため、同事件の捜査が再開された。井上の新主張(後述するように井上は「新主張」ではないとも主張しているが、その裏付けは示されていないので「新主張」と表記する)を裏付ける証拠や共犯者の供述はなく、井上が事件発生から16年以上経って自分の過去の証言や供述を覆したこともあり、検察庁の認定は麻酔薬の副作用による死亡ということで変わらなかった。平田の裁判員裁判では、平田が逮捕監禁罪(「致死」はついていない)で起訴されていたこともあり、事務長の死因は争点にならなかった。判決は事務長の死因を麻酔薬の副作用と認定し、井上の証言について「死因について突然新たな供述をするなど、証言は誇張や記憶の混同があるのではないかとの疑問が残る」と指摘している。高橋克也の裁判員裁判では高橋が逮捕監禁致死罪で起訴されていた上、弁護側が事務長の死因について争ったため、これについて詳しい審理が行われた。「中川が故意に事務長を殺害した可能性がある」との井上の証言に対し、中川は否定したほか、共犯者で元医師の林郁夫は、井上の証言に対して「あり得ない」と証言し、他の共犯者も井上の証言を否定した。2015年4月30日の高橋に対する一審判決は、「井上の証言はその内容が突飛である上に、これに沿う関係者の証言もない」「井上の証言はそのまま信用できないというほかにない」、他方、中川の証言は他の共犯者の「証言などにより支えられている」として事務長の死因を麻酔薬の過量投与による事故と認定し、井上の新主張を採用しなかった。井上が新主張を行った理由については、事務長の長男が「これまでの説明とあまりにも違い、すべてを信じることはできない。再審のための証言ではないかと受け止めた」と語っているとおり、中川が井上と無関係に被害者を殺害したのであれば被害者に対する井上の責任は軽くなるため、再審請求が目的だったのではないかと指摘する報道も存在する。なお、井上は、中川が事務長を殺害した可能性があるとの話は一審の段階から弁護人に話しているが弁護人から他に話すことを止められた、とも証言している。菊地直子の一審裁判員裁判で、井上は、林泰男から手伝いの信者について逮捕される覚悟があるかどうか了解を取るよう求められ、井上が女性信者2人の了解を、中川が菊地の了解をそれぞれ得ることとなった旨や、井上が菊地に爆薬を見せねぎらいの言葉をかけた際に彼女が驚かなかった旨を証言した。一方で中川は、自分が菊地に逮捕される覚悟の有無を確認するという話は記憶がなく、自分は井上らに対し、菊地は「何も分かってないからよろしく」と言ったと証言した。2014年6月30日、東京地裁は井上の証言を信用できるとし、それを菊地が事件を起こすことを認識していた根拠の一つとして、菊地に懲役5年を宣告した。その後、二審東京高裁は2015年11月27日に判決の中で、井上の証言について、「多くの人が当時の記憶があいまいになっているなか、証言は不自然に詳細かつ具体的」でその信用性は慎重に判断されるべきであると述べ、二審で事実調べした結果によれば井上らは他に重要な役割を担って本件居室に出入りしていた女性信者2名に対しても活動の目的を秘匿していたと認められる、菊地はクシティガルバ棟での土谷正実の助手であって井上の部下ではなく教団内におけるステージとしても一般信者の2つ上である師補というステージ立場にあったに過ぎず、この菊地に対し井上が殊更に爆薬を見せてねぎらったというのは不自然と言わざるを得ない、などとして、井上の証言よりも中川の証言を信用できるとし、菊地に対する一審懲役5年を破棄して改めて無罪判決を言い渡した。この他、井上と中川の主張は地下鉄サリン事件に使われたサリンの原料を誰が持っていたのかについても対立している。中川は、井上の一審判決間際に、サリン原料が井上の使っていた東京・杉並のアジトで保管されていたことを暴露し、高橋克也の一審公判の中でも井上による保管の様相を詳細に語っている。井上はこれを否定し、中川が持っていたと主張している。この食い違いについて、中川は2014年5月14日の菊地直子一審公判において、「(井上死刑囚は)過去の裁判で対立した私に対して意地になって、反対のことを言おうとしている」とした上で「井上君の言っていることは事実ではない」と証言した。このような井上と他の幹部の主張の食い違いは、中川との間のみにあるのではない。重要事件における自らの立場は補佐役にすぎなかったと主張する井上は、新實智光とはVX事件でどちらが主導的だったのかについて、また、林泰男とは地下鉄サリン事件の運転手役をどちらが指名したのかについて、真っ向から対立している。
出典:wikipedia
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