『モスラ対ゴジラ』(モスラたいゴジラ)は1964年(昭和39年)4月29日に公開された日本映画。ゴジラシリーズの第4作であり、『モスラ』の続編でもある。製作、配給は東宝。カラー、東宝スコープ。上映時間は89分。併映は『蟻地獄作戦』。初回興行時の観客動員数は351万人。登場怪獣はゴジラ、モスラ(幼虫、成虫)。本作でのゴジラはモスラに対する悪役として描かれており、ゴジラにとって怪獣同士の闘いにおける初の黒星(昭和シリーズでは唯一)を喫した作品である。本作の公開された1964年には『宇宙大怪獣ドゴラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』と怪獣映画が3本公開されており、後の第一次怪獣ブームの土台を築いたとされる。主要襲撃地点は名古屋。一見単純な娯楽作品の体裁をとりつつも、「観光開発ブーム」「背後の興行師による暗躍」「新聞の第三権力化」など、やんわりとながら当時の世相への批判が盛り込まれている。1972年頃には『モスラ』と『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』を編集した8ミリ映画と、ソノシートとセットの絵本「モスラ アタック東京!」が発売されており、国内盤DVDの特典に収録されている。巨大台風8号が日本を通過した翌日、毎朝新聞の記者である酒井と助手の純子は、高潮の被害を受けた倉田浜干拓地で虹色に光る肉片のような物体を見つける。一方、静之浦の海岸には巨大な卵が漂着する。ハッピー興行社の熊山は漁民から卵を買い取り、静之浦の海岸に孵化施設を兼ねたレジャーランド「静之浦ハッピーセンター」の建設を始める。三浦博士と酒井らは巨大な卵を調査するが、彼らの目の前に小美人が現れる。小美人によると、巨大な卵はインファント島に唯一残っていたモスラの卵で、卵を失った島の人々は悲しんでいるという。酒井たちは卵を返還するよう抗議活動を始めるが、熊山は応じないどころか、小美人まで売るように言い放つ始末。実は熊山のバックには大興行師・虎畑二郎がついており、抗議活動は頓挫。落胆した小美人はインファント島に帰ってしまう。そんな折、酒井と純子は三浦に呼び出され、放射能洗浄を受ける。倉田浜で見つけた物体から放射能が検出されたのだ。酒井たちは調査のために倉田浜干拓地へ赴くが、その眼前でゴジラが出現。四日市のコンビナート地帯と名古屋市を蹂躙する。酒井たちはインファント島に飛び、原住民たちにモスラの力を貸してくれるよう懇願するが、「悪魔の火」と呼ぶ核実験によって島を荒らされ、モスラの卵の返還をも拒まれた原住民たちと小美人は激しい人間不信を抱いていた。しかし、酒井たちの必死の訴えを聞き入れたモスラは、寿命が近づく身を押して日本へ向かう。ゴジラは自衛隊の高圧電流攻撃にもひるまず、金銭トラブルから熊山を射殺してしまった虎畑が滞在するホテルを破壊し、虎畑もその際に逃げ遅れて命を落とす。ゴジラがモスラの卵がある静之浦に迫ったところへモスラが飛来し、最後の武器である毒鱗粉をも用いた戦いを繰り広げるが、寿命が残り僅かなモスラは卵をかばうように着地すると、絶命してしまう。モスラに勝利したゴジラは付近の集落を破壊したうえ、小学校の教師と生徒が残された岩島に迫る。小美人が祈りの歌を歌う中、卵が孵化し始める。孵化した双子の幼虫は岩島に向かい、ゴジラを糸で動きを封じ撃退、酒井達は無事教師と生徒を救出。酒井達はインファント島に帰っていくモスラと小美人を見送りながら人間不信のない社会を作ることを決意するのだった。1964年5月、ヘンリー・G・サパースタインが本作のアメリカ合衆国における配給権を取得。アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが配給を担当した。海外版は当初『GODZILLA VS. THE THING』 というタイトル(モスラをシークレット扱い)だった。セリフは全て英語に吹き替えられている。田崎潤と藤木悠の「卵も逃げたのか?」「いえ、卵には足がありませんから」というセリフは、図らずも「エッグ(卵)」と「レッグ(脚)」をかけた洒落になっている。ゴジラが名古屋に現れ、名古屋城を破壊し、海へ向かうカットの後に、国連派遣の新鋭艦隊(アメリカ第7艦隊と紹介する説もあるが誤り)が出動し、浜辺を歩くゴジラに対してミサイル攻撃を行なうシーンがある。海外版の完成フィルムではこのミサイルは、国連大使により「高性能誘導弾フロンティアミサイル」と説明されている。また、ミサイル艦隊後尾で風にはためくアメリカの星条旗がアップになるカットがある。ロケーションは静岡県浜松の中田島砂丘で、擬似夜景処理を施し、オープン撮影で行われた。国内版予告には、この浜辺を歩くゴジラの映像がある。このシーンは以前、海外向けの追加シーンとされていたが、実際はこのシーンは決定台本にも存在しており、脚本中ではロリシカ国の新兵器「誘導弾フロンティア」と紹介されている。1990年代半ばにこの海外版と日本版をセットにしたレーザーディスク(LD)が発売され、2008年1月リリースのDVD5枚組ボックス「ゴジラ DVD コレクション I」の特典ディスクとしてDVD化された。ゴジラが名古屋城を破壊するシーンは、特撮キャメラマンの有川貞昌によると、撮影中に中島が転倒し、城を壊してしまったが、予算とスケジュールの両方の面から撮り直しは不可能だったため、編集で処理したという。特撮未使用フィルム大全集にはゴジラが名古屋城を壊そうとするも、模型が頑丈すぎて模型が壊れなかった映像が収録されている。なお名古屋の都心に現れたゴジラは、まず名古屋城の南東方向に位置するテレビ塔を倒壊させるが、続く名古屋城には城の北西方向から近付いている。東宝公式サイトのMOVIE DATABASEによる。東宝公式サイトのMOVIE DATABASEによる。※映画クレジット順久松文雄作画により『冒険王』 1964年5月号別冊付録に掲載。『ウルトラマンサーガ』(2012年公開)でゴメス(S)が地中から現れるシーンは、本作でゴジラが倉田浜干拓地から出現するシーンへのオマージュであり、これは元々ゴメスがゴジラの着ぐるみの改造であることを意識した演出である。『Shall we ダンス?』(1996年公開)や『それでもボクはやってない』(2007年公開)の周防正行監督は、「初めてハマったポップカルチャー」として本作を挙げている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。