大野 まりな(おおの まりな、1972年4月5日 - )は、日本の女性声優、歌手。広島県呉市出身。以前は青二プロダクション、アトリエピーチ、TABプロダクションに所属していた。現在はアトリエピーチの顧問。愛称はりなりん。5歳までは東京に住んでいたが、父親に先立たれたことで母の実家である広島へ引っ越しをした。そこで幼い頃から琴の修業を積むなど音楽性を育んでいくなかで「歌を歌いたい」という夢を強く抱くようになり、アイドルになることを決意。14歳で自ら様々なコンテストに応募するようになる。1988年にはテレビ東京の『ミス・エクボ堂コンテスト』でグランプリとなり、同番組レギュラーを務めながら、アイドル雑誌の音楽祭などでも次々と最優秀賞を受賞。さらに、翌1989年10月、広島での『海と島の博覧会・美少女コンテスト』で優勝し、これにより本格的に芸能活動に入ることを決め、上京し芸能事務所に所属した。しかし、度々デビューの話が潰れたことで移籍をし、乙女塾一期生松本裕美 、モモコクラブ桃組2902番片山裕美などとしてTVなどに出演しながら歌手を目指すこととなる。乙女塾の最中には大賀埜々・佐藤愛子とともにribbonとしてデビューする話もあったが、母子家庭であった大野と大賀は、親元を離れて一人で生活するのが困難であったため、涙を飲んであきらめざるを得なかった。当時の時代状況として、大野が活動を始めた1980年代後半はすでにアイドル歌謡が斜陽となっており、特に1990年代に入ると本格的にアイドル冬の時代を迎え歌手活動を始めることは困難になっていた。一方で、宮沢りえの様な絶大な人気を誇るアイドルがヘアヌード写真集を出してヌード表現に対する社会の評価を変え、フェミニストからも賞賛される状況であったこともあり、歌手活動に至るための「ステップとして」ヌードも含めたグラビア活動を行うことを決心する。家族へ迷惑がかかることから母親に土下座して許可を取り、1993年、野村誠一の撮影でスコラでデビュー、麻生ひろみとなった。モデルとしての活動は、アイドル性を保持したまま、その一番美しい時にヌードまで見せるもので、専門誌ではヌードアイドル(ヌードル)とも呼ばれ高い評価を受ける。そうして数冊の写真集の出版や雑誌への連載を果たし、脇役での映画・ドラマ出演やラジオパーソナリティなども務めたものの、なかなか歌の仕事が来ることはなかった。そんな中、青二プロダクションのマネージャー経由で「声優になれば歌が歌える」と聞いて声優となることを決心し、大野まりなと名を変え、青二へ移る。当時はアイドル声優が流行り始めており、機会に恵まれたことでそれまで八年活動してもできなかった歌手の夢が三ヶ月後に早速叶えられることとなる。芸歴はあったものの声優としては全くの初心者であったが、アイドル時代から叩かれて育ってきた経験から、いくら怒られても平気で、九怒られて一誉めてもらうぐらいが一番いいと語るほど熱心に取り組み、1995年にPC-FXのイメージキャラクターロルフィー役に抜擢され、アニメフリークFXで出演を始める。年末にはオーディションに受かって『ラジオ・声優グランプリ』のメインパーソナリティを担当、翌1996年には『エターナルメロディ』(レミット・マリエーナ役)で単体作品の主役級として初めて出演、さらに1997年にはオーディションで「リカちゃん電話」のリカちゃん役(2代目)に選ばれる。これは情報量が多く早口でしゃべらなければならない応答を編集無しの一発録りで半年分(18本)一気に収録というもので、「これを30年もやっていた(初代の)杉山佳寿子さんはすごい」と語っている。しかし、1999年に初のアルバムを発売し、まさにこれからという時に、前述のヌードグラビア活動がゴシップ週刊誌などで取り上げられたため、スポンサーの意向で降板となった。その後も、『ファーストKiss☆物語』に引き続き主役として出演するなどしたものの、新天地を開拓するため事務所を移籍し、アダルト作品も含めた美少女ゲームへの出演を開始する。初の美少女ゲーム作品は2002年発売の『妹でいこう!』の吉住麻由夏役で、同作では主題歌も担当、以後は美少女ゲームの主題歌に多く採用される萌えソング(電波ソング)を多く歌い始め、その代表的歌手の一人に数えられるようになる。一般に声優は成人向け作品では顔を隠して別名義で活動することが多いが、大野は特に名義を使い分けることもなく顔出し有りで活動し、異色の経歴と併せて業界に独自の地歩を築いていった。長じて自身が美少女ゲームの演技に苦労した経験を元に、それまで声優業界になかった美少女ゲームの演技を教える専門の講座の必要性を感じ、アトリエピーチの顧問に就き、自ら塾長として声優業の傍ら新人声優の演技指導を行うようになっている。担当は「芸能心得」で、単に声優の技術でなく、芸能人として生きる上での振る舞いや心構え、また「芸能界にある掟」を自身の経験を元に指導している。声優は精神面が強くないと続けられないため、精神的に強くなること、夢を諦めないことを新人達に教えているという。特に美少女ゲームの声優は動きを出す技術が必要でそれがすごく難しい。これができなければ立派な声優にはなれず、美少女ゲームの声優こそ「真の声優」であると語っている。えくぼが引き立つ顔立ちで、写真集の撮影でバリに行った際は、えくぼがあると現地では女王様扱いになるらしく、大勢の人が集まってきたという。見た目の印象から、特にアイドル・グラビア活動が主であった頃は、純朴でおとなしそうだと思われることが多かったが、精神的には丈夫な所があり、創られた姿でなくありのままの自分を知ってもらえる方が嬉しいと語る。声優になってからはツインテールの髪型が特徴で、「中年に差し掛かったらやめるもの」との意見に反して生涯貫き通すと宣言している。特技は琴。趣味は編み物、ガーデニングなど女性的なものを好む。幼稚園の頃からインコを飼い続けており、インコのいない生活を送ったことがない。一時期は十五羽ものセキセイインコや兎まで飼育していた。好物はしゃぶしゃぶなど肉料理。カフェインで酔ってしまう体質で、アルコールも滅法弱い。また、酔ってしまうと覚めるまで自分が何をしたか覚えてないと言う。職業人として、声優としては、要望に応えるため、いつも初心者の気持ちで挑戦をするのに対し、歌手としては自分を解放でき、楽しくて仕方ないという。・梨元勝芸能界で世話になった恩人に『サタデージャングル』の共演で知り合った梨元勝がおり、梨本の娘の名が「まりな」であったこともあって父親のように慕っていた。死去の前にもメールのやり取りをしている。・みつばち学園と高橋名人ハドソンがPCエンジン用に開発した、実在のアイドル候補を多数起用したみつばち学園は、登場させる女の子の水着審査を1989年3月27日に青山スパイラルホールで行ったが、当時オーディション狩りとも言えるほど積極的に応募を繰り返していた大野は選考に残り登場候補の20人に選ばれた。そのオーディションでは高橋名人が審査員であったため、名人と出演を前提として関っていた大野は面識がある。ゲーム自体は、開発が遅れたために、大野は登場を辞退し、次点の候補が代わりに出演することとなっため作品には出ていない。・木ノ下留美(Piaキャロットへようこそ!!)初の美少女ゲーム出演は2002年発売の『妹でいこう!』(吉住麻由夏役)からであるが、非公表で1997年発売の『Piaキャロットへようこそ!!』(PC-FX版)で木ノ下留美役を担当していたこともあった。その続編では18禁シーンがあり別の声優に代わったものの、アトリエピーチに入所してから発売された『Piaキャロットへようこそ!!G.O. 〜グランド・オープン〜』で10年振りに留美を演じることとなる。・学生時代から(プラトニックな次元であるものの)人付き合いや恋愛に積極的であったが、仲が良いのはおとなしい子だった。当時好んでいたのは槇原敬之や『男はつらいよ』の寅さんである。・松本裕美時代には、パソコン通信EYE-NETに『裕美の星空パーティー』という番組を持っていたこともある。当時の事務所はレイズイン。※太字はメインキャラクター。1996年1997年1999年2000年2004年2006年2000年2003年2004年2005年2003年1999年1996年1997年1998年1999年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2009年2010年2012年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2003年200?年2006年2007年1997年2003年1993年1994年(18歳未満閲覧禁止のサイトを含みます)
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。