下平 隆宏(しもたいら たかひろ、1971年12月18日 - )は、青森県三戸郡五戸町出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。現在は柏レイソル監督。兄の影響でサッカーを始める。青森県立五戸高等学校時代は中盤の攻撃的プレイヤーで、インターハイや高校選手権の出場経験は有ったものの、全国的には無名の存在だった。高校卒業後に美容師として東京での就職が内定していたが、サッカー選手の夢を断ちがたく、小学校時代の恩師の紹介で日立製作所サッカー部(後の柏レイソル)のテストを受け、1990年に社員選手として入団。テクニックで勝負するのは厳しいと感じ、守備で貢献するボランチへと転向した。1993年にレギュラーを掴んだことで1994年になってプロ契約を締結。同年は柱谷幸一とドイスボランチを構成し、ジャパンフットボールリーグで準優勝。翌年からのJリーグ昇格を果たした。以後、Jリーグにおいても的確なカバーリングと激しいタックルで中盤の守備を支え、1997年には加茂周監督率いる日本代表にも選出された。柏では主将も務め、1999年のナビスコカップでは自身の手で優勝カップを掲げた。同クラブでコーチ及び監督を務めた西野朗は、チームの中心的存在となった下平を「柏の魂」と評した。2000年、西野から「ボランチに外国人を獲るから来季は出場機会が減ることになる」と告げられ、2年契約を打診するFC東京への移籍を決意。2001年より完全移籍した。加入早々にして主将に就任。同年、ボランチには三浦文丈及び浅利悟が入ることが多く、満足に出場することは出来なかったが、下平の努力を絶やさない姿勢はチームの財産となった。2002年は三浦・浅利の負傷もあり、ほぼレギュラーとしてプレー。左サイドバックを務めることもあった。2003年、強い復帰要請を受け3年ぶりに柏へ復帰。堅実な守備は健在で、高いプロ意識は若手の見本となった。2004年末に現役引退を表明。引退後は柏レイソル強化部スタッフとしてスカウト活動に携わった後、2009年にU-18ユースチームのコーチに、2010年からは監督に就任。同年S級ライセンス取得。2012年のクラブユース選手権ではチーム発足以来初の優勝を果たした。2016年からはトップチームのヘットコーチに就任したが、この年から就任したミルトン・メンデスが3月12日に家族の健康上の理由に退任したため、同日付で監督に昇格した。!colspan="4"|日本!!colspan="2"|リーグ戦!!colspan="2"|!!colspan="2"|天皇杯!!colspan="2"|期間通算234||3||44||2||||||||21||0||1||0||||||||3||0||0||0||||||||58||5||7||0||||||||316||8||52||2||||||||その他の公式戦
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