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KUDO

KUDO(くどう)は、日本のプロレスラー。本名および生年月日不詳。DDTプロレスリング所属。日本大学キックボクシング部出身。2001年にコニカマン2号としてDDTでデビュー。2002年4月25日のClub ATOM大会でマスクを脱いで「蛇界転生」入り、リングネームをトグロ・ハブ影に改めた。2003年1月 一切の記憶を失い香港の悪の組織に捕まっているのをHERO!によって救出される。この際「なんと呼んだらいいんだろう?」と悩んだHERO!は「佐藤?田中?高木?橋本?」等と呼びかけるが無反応だった。しかし「クドウ?」と聞くとその声に反応したためリングネームをKUDOに変更。2003年2月、第1回のディファカップジュニアヘビー級タッグトーナメントにMIKAMIと組んで出場し名を挙げる。2003年12月29日の後楽園ホール大会においてHERO!とのコンビで第12代のKO-Dタッグチャンピオンに。2005年のKING OF DDTトーナメントに優勝。同年7月から約1年間のアメリカ遠征を経て、2006年5月に帰国。2009年8月23日の「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」においてヤス・ウラノとのタッグで第20代のKO-Dタッグチャンピオンに。2011年5月、KING OF DDTトーナメント優勝。7月の両国大会のメインにKO-D無差別級王座の挑戦者として出場が決定すると、同年7月24日、「両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜」において、石川修司を破り、KO-D無差別級王座を初戴冠。同年9月、大石真翔とのシングルマッチ終了後、大石からの勧誘を受けて「ほもいろクローバーZ」に4人目のメンバーとして加入。2012年9月の「全ユニット解散」まで所属した。「ほもいろクローバーZ」解散後、HARASHIMA、ヤス・ウラノと共に「ウラシマクドウ」を結成。2014年2月23日、後楽園ホール大会において、HARASHIMAの保有するKO-D無差別級王座に挑戦表明し、「ウラシマクドウ」を脱退。直後にマサ高梨、坂口征夫と共に「酒呑童子」を結成し、同ユニットのリーダーとなる。同年3月、HARASHIMAとのKO-D無差別級王者戦に勝利し、2度目のKO-D無差別級王座に輝くと、同年5月には「酒呑童子」としてKO-D6人タッグ王座初戴冠を果たす。2015年5月、HARASHIMAとのKO-D無差別級王者戦に勝利し、3度目の戴冠。同年6月6日の春日部大会では、「いつでもどこでも挑戦権」を保持していた男色ディーノに勝利し、王者でありながら同挑戦権を保有する初の事態となった。同年6月28日の後楽園ホール大会では、挑戦権を行使したヤス・ウラノとの選手権試合中、同じく挑戦権を保持している大家健が乱入したことから3WAYマッチに発展。大家がヤスに勝利したため、直接負けることなく王座から陥落するも、直後に所持していた挑戦権を行使して大家と選手権試合を行い、勝利。ベルトを奪取すると共に、「いつでもどこでも挑戦権」が全て消化されたことから、4年振り2度目となる両国大会のメインを務めることが決定した。同年8月23日の「両国ピーターパン2015〜DDTより愛をこめて〜」で行われたKO-D無差別級王者戦は、坂口征夫との「酒呑童子」対決となったが、最後は坂口の「神の右膝」で3カウントを奪われ、王者陥落。その後、両国大会翌日の会見でプロレスリング・ノアの「日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」に梅田公太と共に出場が決定するも、リーグ公式戦の小川良成&ザック・セイバーJr.組との試合中に右膝を負傷。精密検査の結果、右ヒザ前十字靭帯断裂と診断され、長期欠場と『DDTドラマティック総選挙2015』・個人部門の辞退が発表された。同年12月に手術を行い、翌年の2016年8月28日に行われた「両国ピーターパン2016〜世界でいちばん熱い夏〜」で実戦復帰を果たした。キックボクシング出身の打撃技主体のファイトスタイルが特徴。

出典:wikipedia

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