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佐原真

佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は日本の考古学者。 大阪府大阪市上本町で佐原忠雄・香代の次男として生まれる。父方の祖父は福山藩(広島県)の家老の家柄とされる。幼稚園児のときに公園で拾った土器片が考古学を志す契機となる。小学校4年生の時の担任の先生の影響で浜田青陵『博物誌』を読む。小学5年生の時、東京へ転居。1947年(昭和22年)、日本人類学会主催「中学生の為の人類学講座」へ参加して縄文学の創設者山内清男に感銘を受け、東大の山内研究室に出入して個人指導を受けた後、縄文土器の文様の研究に没入するようになった。山内が終生の師となった。新制武蔵高校、大阪外国語大学ドイツ語学科を経て、京都大学大学院博士課程修了(考古学専攻)。弥生時代を中心とした考古学研究に携わり、日本人の起源から衣食住にまでわたるその研究範囲は幅広い。分かりやすく面白い考古学を提唱し、考古学の普及啓発を積極的に推し進め、特に博物館の充実・設立に取り組んだ。また、吉野ヶ里遺跡の保存など考古遺跡の保存運動や史跡の整備にも尽力するなど、自身の研究にとどまらない広範な活動を進めていった。こうした佐原の研究・活動は、。佐原は「ものを細かく観察する方法は山内さんに育てられ、学問の組み立て方は小林さんに教わった」と述懐している。佐原は、考古学資料を美術史の立場から評価している。たとえば、銅鐸の形態と絵画を分析し、人・動物・建物・船などを一つの対象を複数の視点から見る描く「多視点画」が多く、「一視点画」は少ないことなどに認識している。江上波夫とは騎馬民族論争を展開した。対談の内容は小学館より、『騎馬民族は来た!?来ない!?-<激論>-江上波夫VS佐原真』として刊行されている。また、戦争の起源にも強い関心を持ち、戦争という現代的課題と考古学を結びつけ「人間が始めた戦争は人間が終わらせることができる」との信念を持ち続けた。佐原が考古学を現代社会で役立つ学問にしたいと考えるようになったのは40歳の頃からである。佐原が最後の最後まで上梓の熱意を持って取り組んでいたのが『魏志倭人伝の考古学』(岩波現代文庫)であった。1950年(昭和25年)処女論文「茨城県花輪代式土偶の新資料」(『貝塚』第28号)を発表する。藤村新一によって捏造された一連の「前期旧石器」については一連の石器の出土状況に疑問を投げかけた小田静夫を名指しで批判し、「所変われば土や気象条件も異なる。」として明確な考古学的根拠を全く示さずに、前期旧石器への反対意見を封じ込めてしまった。 結果、日本の考古学を誤った方向に導く一端を担う事となった(旧石器捏造事件)。2001年の退官時には、7000冊にのぼる蔵書を沖縄県北谷町立図書館へ寄贈し、佐原文庫として保存されている。没後、佐原の業績をまとめた金関恕・春成秀爾編集『佐原真の仕事』(全6巻)が岩波書店(2005年)より刊行された。

出典:wikipedia

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