高尾山(たかおさん)は、東京都八王子市にある標高599mの山である。東京都心から近く、年間を通して多くの観光客や登山者が訪れる。古くから修験道の霊山とされた。関東山地(秩父山地)の東縁に位置する山のひとつ。明治の森高尾国定公園に指定されており、キャンプやバーベキューなど、また、植物の採取、鳥類の捕獲も禁止されている。中腹には、数多くの建物や文化財を有する高尾山薬王院の他、サル園・野草園や標高500mからの夜景を楽しめる高尾山ビアマウント(夏季限定)等がある。山頂には、展望台や高尾ビジターセンターがある。長さ1,697kmの東海自然歩道の起点でもある。また明治以降、高尾山薬王院の参拝客に元気をつけてもらおうと振る舞ったのが始まりのとろろそばは高尾山の名物であり、ふもとから山頂に点在する各店がそれぞれメニューを提供している。暖温帯系の照葉樹林帯(カシなどの常緑広葉樹)と冷温帯系の落葉広葉樹林(ブナ・イヌブナ・ナラ・ホオノキなど)・中間温帯林(モミ・ツガなどの針葉樹林)の境界に位置するため植生が豊かであり、しかも都市部に近い割には比較的よく保たれている。高尾山は、東京近郊の行楽地として有名であるが、元来は修験道の霊場であり、真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の寺域となっている。高尾山という名前から真言密教の聖地の一つ・京都高雄山神護寺に見立てられたこともあり、天然の森林が守られてきた。中世には、八王子城(慈護寺城)主北条氏康・北条氏照親子がこの山を保護し、氏照による「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されている。江戸時代にも幕府直轄領となり八王子代官・大久保長安が山林保護政策をとり、その書状が同じく薬王院に残されている。その後も帝室御料林、国有林と常に保護されてきた。明治以降、牧野富太郎をはじめ、多くの研究者により高尾山が最初の発見地として新しい植物が発表された。山頂から東側は八王子市や相模原市などを中心とした関東平野の街並や、筑波山、房総半島、江の島まで眺めることができる。また西側は丹沢山地や富士山を見渡せる。冬至の前後数日間には、富士山の真上に太陽が沈むダイヤモンド富士を見ることができる。また八王子八十八景にも選ばれている。また、高尾山には古くから天狗が存在しているとの伝説もある。オリエンテーリングのパーマネントコースも整備されており、トレイルランブームも相まって競技に興じる人がよく見られる。『出没!アド街ック天国』においても取り上げられた。1971年から毎年春と秋に高尾山から陣馬山にかけてのスタンプハイクというイベントを開催している。また、山頂から見て東側の地下には、ケーブルカーの下をくぐる形で、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「高尾山トンネル」(下り線(南から北方向)1348m、上り線(北から南方向)1329m)が南北に掘られ、南側には高尾山インターチェンジが設置されている。この道路トンネル建設には八王子市民や自然保護団体の間から強い反対運動が起こり、建設差し止めを求める「高尾山天狗裁判」が行われた。開通後の現在でも景観保護や地下水脈の保全への懸念が指摘されている。詳しくは下記参照。高尾山は、東京都心から電車で約1時間で行くことができる交通アクセスの良さや、後に記すように登山道がよく整備されていること、ケーブルカーなどを使って気軽に登山できることなどから、老若男女問わず登山者数が多い。年間の登山者数は約260万人を超え、世界一の登山者数を誇る。山頂へは登山道(自然研究路など)が整備されており、各種ルートを組み合わせて低山登山が楽しめる。なお、高尾山の標高は低いが登山口の標高も低いため、標高差は小さくはない。総じて、山頂までの所要時間は全行程徒歩で1時間半から2時間程度である。など、難度や時間設定を組み替えることができるほど良好な歩道が整備されている。周辺には、非常に多くの種類の植物が自生していて、田中澄江により花の百名山に選定されている。代表する花として福寿草を紹介している。高尾山にはブナ(イヌブナが黒っぽい幹なのでクロブナとも呼ぶのに対して、こちらをシロブナと呼ぶことがある)も見られるが、イヌブナの方が数が多い。ブナに比べ材質が劣るのでイヌブナと呼ばれるが、実はブナと同じように食用になり、鳥やリスの好物である。ブナと異なり、太い幹の周辺から「ヒコバエ」(幹の根元から生える枝)が多数出るのが特徴である。一般に、ブナはより寒冷地に、イヌブナはより温暖地に分布し、高尾山以外の周辺の山にはブナは皆無である。また、現存する高尾山のブナはいずれも樹齢200年を越える大木ばかりで、実生や稚樹、若木などはまったく見られない。薬王院境内を中心にスギの巨木が成育している。東京都指定天然記念物に指定されているスギ並木や飯盛スギなどといった樹齢700年とも1,000年とも語られる巨木が何本も存在し、高尾山のシンボルとして、古くから維持管理がなされてきた。こうした先人の努力は、薬王院への祈願が成就した参拝者が、杉苗料として金銭を奉納する慣習と残されていることからも伺い知れる。薬王院の境内外は国有林となっており、ここにもスギ林は広がっている。一丁平に向かう歩道の脇には、江戸時代に韮山代官であった江川英龍が植えた人工林(江川スギ、2009年(平成21年)の段階で樹齢147年)が現存している。源流となる河川は多摩川水系で、東京湾へ流れる。ナイキの靴で「タカオ」というものがある。アメリカからナイキの開発者が「ある程度整えられたフィールド」を歩くための靴を開発するために高尾山へやってきたとき、重い頑丈な靴を履いた人ばかりを見た。そのような靴は、急斜面や荒れた路面を重い荷物を背負って歩くために作られたもので、高尾山のような、ゆるい、ある程度整えられた道を歩くのには適していなかった。そこで、頂上までの距離が短い高尾山のようなハイキングコースを歩くために作られたのが、「ナイキ タカオ」である。 発展モデルとして「テング」も発売されている。1984年、首都圏の自動車交通状況の改善、特に東京都心部の中央環状線を中心とした首都高速道路の渋滞緩和を目的に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)構想が国(建設省)から提起され、そのルートが高尾山にかかる事が示されると、八王子市民や自然保護団体の間から強い反発が起こり、1988年には「高尾山の自然をまもる市民の会」(以下、「市民の会」)が結成されて、自然保護を中心とした建設反対運動が組織された。2000年には住民1060人と6つの自然保護団体が原告となり、国と日本道路公団に対して工事の一部差し止めを求める住民訴訟が提起され、この山の天狗伝説にちなんで「高尾山天狗裁判」と呼ばれた。反対運動には朝日新聞の天声人語担当者や日本エッセイスト・クラブ理事長なども務めたコラムニストの辰濃和男なども支援し、2008年1月27日投票の八王子市長選挙では「市民の会」事務局長の橋本良仁が6万3540票(得票率42.81%)を獲得したが、現職市長の黒須隆一に敗れた。「高尾山天狗裁判」自体は、圏央道の事業認定取り消しを求める別の裁判と一括審理になった後、2010年9月1日に東京地方裁判所(八木一洋裁判長)は住民側の請求を退け、2002年に着工していた高尾山トンネルを含む圏央道の建設を認めた。原告団は控訴したが、圏央道開通後の2012年7月9日に東京高等裁判所はこれを棄却し、東京地裁判決が確定した。その後も「市民の会」は活動を続け、訴訟時に指摘した地下水脈の減少による井戸の枯渇などについて高尾山で調査・監視活動を継続するとともに、この訴訟の経験を公開・公刊し、2000年からは道路建設や自動車公害に反対する各地の住民運動組織が加盟する「道路住民運動全国連絡会」(道路全国連)の事務局業務も担当している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。