ボノム・リシャール (USS Bon Homme Richard, CV/CVA-31) は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦としては14番目に就役した。艦名はジョン・ポール・ジョーンズの乗艦した有名なフリゲート(フランス語で「善良なリチャード "Goodman Richard"」の意。ベンジャミン・フランクリンが "Poor Richard" の別名で出版した著書『貧しきリチャードの暦』から。)に因む。「ボノム・リシャール」という名を持つ艦としては二隻目。ボニー・ディックの愛称を持つ。ボノム・リシャールはニューヨーク州ブルックリンのニューヨーク海軍造船所で建造された。1944年11月に就役し、1945年3月には太平洋戦線に参加、6月には日本への最終攻撃に参加した。8月の終戦から9月まで作戦参加しその後帰国、1946年には復員兵輸送(マジックカーペット作戦)に参加するが、その後シアトルで予備役となる。1950年6月に朝鮮戦争が始まると、ボノム・リシャールは現役復帰する。1951年1月に再就役、5月には西太平洋に配備され同年末まで朝鮮半島の目標に対し艦載機による攻撃を行う。その後CVA-31と艦種変更され1952年5月から12月まで作戦参加する。1953年5月には就役が解かれ、ジェット機を運用できるようにするための改修が行われた。ボノム・リシャールは飛行甲板を延長、アングルド・デッキ化され、開放艦首はエンクローズ化した「ハリケーン・バウ」となり、蒸気カタパルト、新型艦橋、船体のワイド化など多くの改修が行われた。1955年9月に再就役し、第七艦隊に配備される。西太平洋での航海は1957年、1958年 - 1959年、1959年 - 1960年、1961年、1962年 - 1963年および1964年に行われた。最後の航海はインド洋であった。トンキン湾事件時にはジョージ・スティーヴン・モリソン提督(ドアーズのリード・シンガー、ジム・モリソンの父親。)が艦を指揮した。1965年前半にベトナム戦争が段階的に拡大すると、ボノム・リシャールは三度目の戦闘参加を行うこととなる。艦は続く6年に渡って東南アジアでの5度の戦闘参加を経験する。ボノム・リシャールの艦載機は北ベトナム軍のミグ戦闘機と交戦し、地上輸送部隊や建造物への攻撃を行った。ボノム・リシャールは1970年に任務を解かれ、1971年7月に退役する。ワシントン州ブレマートンで予備艦隊入りしモスボール化が行われ、20年後の1992年3月にスクラップとして売却された。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。