ナーランダ大学(ナーランダだいがく、、 ナーランダー大学)は、インドビハール州、ナーランダ()中部にある427年に建てられた世界最古の大学の1つ。北部インド仏教の最重要拠点であり、後期以降はヴィクラマシーラ大学()等と共に、インド仏教が終幕を迎えるまでそれを支えた。ナーランダ僧院(ナーランダー僧院)、ナーランダ大僧院(ナーランダー大僧院)、那爛陀寺とも。「ナランダ」は " 蓮のある場所 " という意味。蓮は知恵の象徴であるため、“知恵を与える場所、知恵を授ける場所”と解釈される。(ナラン=蓮、ダ=与える)また玄奘三蔵は『大唐西域記』で " 施無厭(せむおん) "という意味にとっている。この場合は“惜しみなく与える処、倦まず授け続ける場所”という解釈になる。(ナ=ない、否定、アラン=十分、ダ=与える)ゴータマ・ブッダ が訪れ、"Pavarika" と呼ばれるマンゴーの木立の下で説法した。仏教を学ぶ重要な場所となり、10,000人までの人が滞在した(最古で、それまでの歴史で最大の居住型の学校、最多で1万人の生徒と、1,500人の教員がいた。高い塀と、1つの門、図書館は9階建ての建物にあり、多様な分野の教科が行われていた)。チベットの記録によると、インド仏僧龍樹(ナーガールジュナ)(150 - 250年頃)が講義を行ったとされるが、グプタ朝(427年成立)時代に、によって大学が出来たと思われる。645年(唐時代)に、唯識派のシーラバドラ()は玄奘三蔵に唯識を伝え、玄奘は657部に及ぶ経典を中国に持ち帰った。761年に中観派のシャーンタラクシタ()がチベット仏教を起こし、774年にはニンマ派の開祖パドマサンバヴァ()が密教をチベット仏教にもたらした。サムイェー寺の宗論(792年 - 794年)では、インド仏教のカマラシーラと中国仏教の摩訶衍が宗教論争を行い、チベット仏教の方向性を決定した。1193年に、アイバク靡下の将軍 率いるトルコイスラム人の侵略によって大学は破壊された。インド仏教の衰退はグプタ朝時代から始まっており、イスラーム侵入以前にはほぼ衰退していた。イスラーム勢力によるナーランダー大学の破壊はインド仏教の滅亡を決定づけた。現在ナーランダには人は住んでおらず、遺跡が残っている。バラガオン村 (Baragaon) が近接。現在ナーランダー全地域を衛星写真で記録する作業が行われている。ナーランダー博物館には発掘された写本、遺物などが展示されている。現在ナーランダーの名は3つの学校と修道院に付けられている。ビハール州、スリランカ、トロント、フランスの修道院にもナーランダーの名前が使われている。新ナーランダ大学の建設は「ナーランダ大学復興構想」と呼ばれるインドの国家プロジェクト。新ナーランダ大学は2014年9月1日、800年の時を経て授業を再開した。40ヶ国の1000人の申請者の中から15人を募集して新学期を開始した。ナーランダ大学の副学長よると2020年までに大学院を7つ設立して科学、哲学、心理学、社会学科を開設する予定である。
出典:wikipedia
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