笠松県(かさまつけん)は、1868年(慶応4年)に美濃国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の岐阜県南部に広く分布している。美濃国は関ヶ原の戦い後、幕府がこの地に有力な大名が出現しないように、10万石未満の多数の藩と幕府直轄領に細分する。この結果、美濃国の約3割は幕府直轄領となり、美濃郡代が設置された。1868年(慶応4年)1月、朝廷の命を受けた東山道鎮撫使の竹沢寛三郎によって笠松陣屋は天朝御用所に改められ、その後、笠松裁判所を経て笠松県に組織変更された。1871年(明治4年)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い美濃国内の9県が岐阜県に統合されたことにより廃止された。なお、笠松陣屋には1873年(明治6年)まで岐阜県庁が置かれ、笠松県知事であった長谷部恕連は岐阜県令を引き続き務めた。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。
出典:wikipedia
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